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狗患い  作者: 青沼がざみ
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狂犬病


「どんな病なんですか?」


 きいがビスケット片手に身を乗り出す。巡査は首を振る。


「病だなんて! 村人の騙りだよ。以前、酒の密造を取り締まろうとした役人が、村人から袋叩きにされたんだと。役人に手をあげた咎で村人を召喚すると、『あれは狗患いで余所者の山入りを嫌った狗の仕業だ』と。村人同士で庇い合い、結局成果は上げられないまま終わった。先代は、他の事件を調べたんだ。以前この村で医者が一人死んで、村人に狗患いで死んだと言われた。橘の家の離れで寝起きしていた石谷という男だ」


 近代的な医者で、田舎を馬鹿にする洒落臭さがあるのと迷信をバッサリ切る鼻持ちならないところがあって嫌われがちな男だったため、事件性を疑ったのだという。


 ちょうど狂犬病の取り締まりが強くなる頃だった。医者は村人に女の教育の奨励や幼い子供の工場奉公の防止などに取り組み共産主義者(アカ)だと後ろ指を指されていたが、流行している狂犬病の対策として大規模な犬狩りを強いたそうだ。送り狼などの民間信仰があった村ではかなりの非難があった。


 そんな彼は狗患いにかかった。切れ者風の美形が影もないほど痩せ衰えて、息も荒く、水辺や鏡を怖がり、狂い死にしたそうだ。その足首には巨大な犬の歯形が残っていたとか。


 犬の歯形。次郎伯父の傷と一致する。


「それは、巷でいう恐犬病というものでは? 水を怖がるというでしょう」


 賢しらな口を利くと、巡査は咥え煙草を深く吸って、煙を吐いた。


「ああそうさ。医者は狂犬病として処理された。そして村人が言うのさ。犬狩りなんかしたからたたられて狗患いになるのだと。先代も狂犬病の罹患が事実というところまでは自分で調べたらしい。騙りなのに不思議だ、意味がわからん。そうすると医者には女と通じている噂があったから、女の方も無事じゃあ済まないはずなんだが……いやすまない、これは子供に話す内容ではないな。まあそれも調べる前に隠蔽されてしまったようだ。橘家の奥さんにも、今日、賄賂をもらってしまったよ。先代はこういう袖の下を断ってね、結局は帰り道で袋叩きに遭ったそうだ。だから、自分が喋ったことも、秘密にしてほしい。君たちも、むやみに首を突っ込むのはやめにし給え」


「おまわりさんわかりました。でも、僕は僕なりに頑張ってみます」


 甘いお菓子というかわいい賄賂を断れず、または賄賂だということすら思い至りもしない善良な巡査に、僕は笑顔でキャラメルの箱を渡した。




二人並んで歩く。風が吹き、僕のセエラア服の襟が揺れる。


「狗患いは、厄介事を暴力で解決する際用いられる、都合のよい架空の病だったのか」


「憑き物落としをしていると、『病だったことにするのは』よくあるご相談事だわね」


 僕の心中に浮かぶのは妹の姿だった。犬が憑いたことになった首を振り立てる妹。


「騙りではなくとも憑き物に関しては、気を尋常に保てなくなった人の理由付けになることも少なくない。祖母曰く、暴漢に襲われてから毎夜狂乱する娘を『狸に化かされた』として落着することがあったらしいわ。その方が、周りに邪推されないものだから」


「そして、橘家の当主優乃介伯父は狗患い。橘の家の離れ、つまりは次郎伯父が死んだ場所を使っていたのも狗患いにかかった石谷という医者」


「医者が迷信深い村人と仲違うというのもわかるの。父は、祖母を頼ってやってきた狐憑きの娘の親に、西洋でいう躁病の気があると申して揉めておりました」


 口寄せは先祖を弔う儀式の一つであり、狐憑きが出た家族が加持祈祷に頼るのは大事な身内を座敷牢に放り込みたくない一心で縋る最後の手段である。地域と歴史に根付いた文化と、異国の科学の相性は悪い。きいは両方を難なく操っているが、普通はそうもいかないものだ。


「きいちゃん、離れを見てみよう」


 僕は提案する。


「なにか、殺人の証拠を探すんだ。次郎伯父のことも、医者のことも、橘家が関わっているならそれは弱みになる。僕の財産を取り戻しやすくなる」


「捕物小説の真似のつもり? そう上手くいくかしらん」


 きいは困った弟を眺めるように口元を緩めて、輪にした三つ編みのお下げ髪──マガレイトを揺らした。



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