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狗患い  作者: 青沼がざみ
10/19

巡査

「きいちゃん、食欲はある? 朝餉を食べ損ねたから空腹でしょう、何かお菓子を出そうか」


 きいの突く杖と、僕の革靴がこつこつとリズムを生む。肩掛け鞄には汽車の中で食べ損ねたお菓子が詰まっていた。


 霜月も近いが、今日は爽やかな秋晴れだ。線香臭い家から抜け出し澄んだ青空を見上げて歩くと、なんだか西洋でいうピクニックをしている気分になる。


 お菓子を食べるのに好適な場所を探していると、二十になるかならぬかくらいの男が手ごろな岩に腰かけて煙草を吸っていた。詰め襟の制服にサーベルを提げている。


 巡査だ。

 朝の、橘家の家で起こった人死にについて尋ねにきた官警だろう。僕らが手を振ると、はにかみながら軽く警帽を下げて挨拶を返してくれる。そばかすの散る素朴な顔に優しさが浮かんだ。


「やあまた会ったねえ。お二方、若い者同士で腕を組んでいるなんて、こんな田舎じゃ噂の種にされるよ」


「あたしは目が悪いんです。だからいとこの時さんが隣を歩いてくれるのよ」


「あ、じゃあ姉さんの手伝いか、感心だね。東京から来たんだっけか」


 ほどほどに外部から来た、人のよさそうな若い巡査。同じく村の部外者でなおかつ子供である僕らに親しみを持っている。この巡査からなら、何か手がかりになる情報を得られるかもしれなかった。


 きいの腕をぎゅっと握ると、彼女も心得たもので、見えぬ目で目配せを送ってからふらりと前に出た。


 よろめくような一歩に慌てて彼女の腕を支えた巡査に、鮮やかな紫矢絣の銘仙のさらりとした袖が触れた。


「ねえおまわりさん、お話しませんか。時さん、東京から持ってきたチョコレートを持ってるんです。美味しいんですよ」


 なるほど。僕も肩掛けの鞄から次々と、東京の菓子屋で買い込んだビスケットやキャラメルを取り出す。

「そうだねきいちゃん、そろそろ疲れたでしょう。おまわりさんとおやつをご一緒しよう」


 無邪気を装った子供の申し出を断れず、若い巡査は頬を掻いた。




「へえ、お父上がお医者様。偉いもんだなあ」


「そうなんですの。あたし、目が見えないので三味線とお琴を覚えて瞽女になるしかないと悲観していたのですけれど、時さんのお父上が時さんにあたしを目合わせてくれて……。ふふ、でも瞽女唄もなかなか上手に習ったのですよ。機会があったら聴かせてあげたいですわ」


「サーベル格好いいですね。いいなあおまわりさん。僕も身体を強くしてなってみたい」


「買い被りすぎだよ時太郎君。本官は公僕であることを誇っているけど、安月給の巡査だからね、進学できなかったから出世も期待出来ないし」


 羊羹。カステラ。チョコレート。ビスケットに甘いジャムが入った飴菓子。

 真っ赤な嘘は甘い菓子の香りがする。


 開けた原っぱに風呂敷を敷き物にして、三人で野遊びと洒落込んでいた。今朝、きいが本物の令嬢のように琴を弾けた理由がわかった。瞽女をしていたという母親に習ったのだろう。


 先ほどから妙に自嘲しては煙草に逃げる巡査をきいが黒い瞳で見つめ、「橘家の方に何かされましたのね」と、確信を持って突き刺す。


 わかりやすく巡査の肩が震える。助け舟を出すように、懇願する。


「次郎伯父さんを最初に見つけたのは僕なんです。彼の足に咬み傷はあるし、あんな亡くなり方をしたのに、狗患いだってまともな葬儀もされなくて……可哀想で。何があったか教えてください。僕、子供だからってなにもできなくて」


 声と表情に悲痛をたたえて、巡査にねだる。細い身体に高い声、白い海兵服を着た僕は村の者からはめんこい子である。


「狗患い……またか」


若い巡査は憂鬱そうに、


「自分の何代か前の先輩は狗患いだった」


 ぽつりと呟いた。

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