妹に犬が憑いた
皇紀2583年の、晩秋の頃だった。
妹に犬が憑いた。最近離れに住み始めた父の妾が妹を呪っているのだと、後妻がここぞとばかりに言い立てる。
妾は勿論否定するが、妹の挙動がおかしくなったのは妾が我が家へ住まってからなので弁解し難い立場である。これをあげるから困らせないで呉れろと菓子やおもちゃでもって妹をなだめすかしていたがとうとう自分への当てつけかと毒づきはじめたので閉口する。
妹の中にある犬はますます猛る。いやしくも我が家は父が官僚という、上流に少々手が届く程度の家柄であるので、良家の子女がみっともないからと止めさせようとしたが、妹自身にも止められないらしい。先妻の息子である僕は跡継ぎであるが、父が留守がちなので後ろ盾がろくにない。父は今年起きた大正の大震災の復興の為におおわらわで、家の内部についてないがしろにされている中、居場所のない子供の力になってくれる使用人は少なかった。
そんな中、かろうじて親身になってくれている下女のお袖婆さんが井戸端会議で耳にした、近場に良い憑き物落としの拝み屋がいるとの話を聞かせてくれた。
大人が頼れないなら妹の異変は兄が解決するしかない。妹の手を引いて町を探した。
お袖婆さんの情報をもとにたどり着いたのは、東京の大地震で傾いでしまった風の、幾分屋根が斜めになった小さな家である。戸を叩くと、「はあい」と奥から返事があったので粗末な門の前でしばし待つ。
戸を開けたのは自分より年が三つ四つ上だろう少女だった。目が際立って大きいのでどこか西洋味がある。女にしては背が高く、十三にもなって未だ背が伸びぬ僕より頭一つ大きい。野良着のような地味な銘仙に不釣り合いな、髪を後ろで三つ編みにして、できた髪のロープを輪にして下げたような不思議な髪型をしていた。
「どなた? 誰かいるの?」
「……わっ!」
挨拶をする前に、少女の白い顔が僕の鼻先すれすれまで近づいたので、後ろにあとずさる。彼女は、ようやくそこに人がいると気づいたようで、すまなそうに謝った。
「ごめんなさいましね。目が生来、うんと悪いんですよ」
何と声を掛けてよいか迷った。元来、僕は人好きのする気質ではないし、外にも滅多に出ず、女中以外の女に自分から話しかけたことがないのだ。言い淀む僕をうかがう少女に、先に話しかけたのは妹である。
「髪の毛かわいいー」
「あら、お嬢ちゃんもいるのね。ありがとう、マガレイトっていうのよ。女学生が好きな髪型なのよ。本当は編んだ髪をリボンで飾るらしいんですけどね。さあお客様、お茶でも入れますから、お上がりなさって」
着物の袖を広げ、暗い家の奥にいざなう少女に、やっとのことで口上を絞り出す。
「あの、ごめんください。僕は滝時太郎と申します。この家は拝み屋をしていると聞いたのですが、憑き物落としができる方はご在宅でしょうか……?」
少女は微妙に視線の合わない笑顔をこちらに向けた。
「ええ、おりますよ。祖母は留守なので、あたしが代わりを務めます。ご用件を承りましょうか」