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第3話『運命を錯覚するには、学園はあまりにも狭すぎますの』





あの方――クララ嬢が、“これは運命だ”と思い込んでしまったのは、おそらく二度目にアレシオ卿と会話を交わされた日でしょうね。


図書室の奥、窓際の読書席。

本を抱えたクララ嬢が席を探しておられたところに、偶然……などとは到底思えない自然さで、アレシオ卿がお声をかけになったのです。


「きみ、あのときの……よかったら、ここ、どうぞ」


優しげな声に導かれるようにして並んで腰かけ、同じ本を読んだり、感想を交換したり。

会話の端々に、アレシオ卿の知性と配慮が滲んでおりましたわ。


――それはまるで、恋物語の序章のように。


でも、わたくしは知っておりますのよ。

この学園は、運命を育むには、あまりにも狭すぎることを。


生徒数は限られておりますし、領地が遠く離れた者同士では、卒業後の関係継続など現実的ではありません。

ましてや、爵位も財も教育も――すべてが不均衡な相手では。


それでも、クララ嬢は“信じて”おられました。


昼食時、ふとした瞬間に見せる柔らかな笑み。

一歩下がって歩いてくれる心遣い。

忘れかけていた誕生日を、アレシオ卿がふと口にしたときの、あの表情――。


まるで、すべてが“特別”の積み重ねに思えたのでしょう。


そしてクララ嬢は、いつしかこう考えるようになっておられたように思います。


――これは、神さまがくれた巡り合わせなのだ、と。


まあ、滑稽と言えば滑稽なお話ですわ。

けれど、当のご本人にとっては、どれもが切実で、唯一無二の希望だったのでしょう。


そうして、一つまた一つと、“らしくない行動”が増えていきました。


ある日、わたくしの目の前で、クララ嬢が手縫いのハンカチを包んだ小箱を取り落とされたことがございましたの。


それを拾って差し上げたとき――ちらりと見えてしまいましたのよ。

蓋の裏に書かれた、たったひとつの文字。


「A」


わたくしは、それを咎めるつもりなど微塵もございません。

けれど、黙ってそれを差し出しながら、ふと思いましたの。


――この子、もう戻れないところまで来てしまったのね、と。


人は、何かに夢を見ることで、自分の立場から目を逸らすことができます。

けれど、夢は幻ですわ。

まばゆいほど綺麗で、触れようとすれば消えてしまう。


そして、夢から醒めたあとの現実ほど、重たく冷たいものはありません。


学園には、気の早い方々がございますから、もう噂は形を変えておりました。


「最近、ヴァルティレイド卿がお一人で歩かれているわね」

「もう飽きられたんじゃなくて?」

「そもそも、そんな関係だったって証拠は?」


誰もが、最初から結末を知っていたのです。

これは、物語にはならない。舞踏会の招待状が届くことはない。

“平民育ちの男爵令嬢”という肩書を、誰かが覆すような奇跡など起きないと。


でも、クララ嬢だけが、信じておられた。


“この人となら”、

“特別になれる”、

“世界が変わる”と。


それを錯覚と笑うことはたやすうございます。

けれど、笑わずにはいられなかったのは――

きっと、あの方の真っ直ぐすぎる目が、あまりにも痛々しかったから。


わたくしはと言えば、傍観を決め込むつもりでおりましたの。

けれど、ある日の帰り道。夕暮れの回廊で、偶然にもクララ嬢とすれ違いまして――


彼女はわたくしに気づくと、ぺこりと頭を下げられました。


それだけのやりとり。

でも、その瞬間の笑顔が――


……ええ、まさに、恋をしている少女そのものでしたわ。



運命を錯覚するには、この学園は狭すぎる。


けれど、“錯覚するには十分すぎるほどの物語”は、あちらこちらに転がっているのです。


誰かとすれ違うたびに、目が合うたびに、ふと微笑まれるたびに――

「これが始まりなのかもしれない」などと、想ってしまうのが、年頃の乙女というものですもの。


そして、そのたびに“選ばれなかった”という現実を突きつけられるのです。


クララ嬢は、まだ気づいておられませんでした。

あの笑顔のまま、ただ、今日も机に向かい、筆を走らせておられましたわ。


――ああ、この子、まだ信じているのね。

自分だけは、違うと。



どんなに恋焦がれようと、世界がそれを祝福しなければ、お伽話のように「そして2人は幸せに暮らしました」とは終われないです。


でも、当の本人にとっては――

それでも、誰かを想うことこそが、世界のすべてになってしまうものですわね。


ほんとうに、乙女とは、つくづく厄介な生き物ですこと。


ええ、わたくしも含めて。


 


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