第1話『変わった子』
あの子が最初に目についたのは、入学式当日の講堂でしたの。
壇上では先生方が長々とご挨拶をなさっておいででしたけれど、ずらりと整然と並ぶ椅子の列に――ひとつだけ、妙に浮いた姿勢がございました。
背筋こそ正しておりましたわ。でも、手の置き方も、脚の閉じ方も、どうにも“覚えたて”の印象でして。
ときおりちらちらと周囲を見やる様子も、礼儀作法の確認というよりは……まるで、自分がここにいていいのかどうか、確かめているような目でしたの。
あとから伺いましたところ、あの方――クララ嬢は男爵令嬢なのだそうですわ。
もっとも、生まれついてのではなく。
ご実母は平民のご出身で、しかも再婚とのこと。つまり、血筋も育ちも、わたくしたちとはまるで異なるのです。
お可哀想――? いいえ、そういうことではありませんわ。
わたくしたちは生まれや立場で人を蔑むほど、浅はかではございませんもの。
けれど、“違和感”というものは、本人の努力や善し悪しとは別のところで立ち上がるのです。
クララ嬢は、頑張っておられました。
本当に、毎朝、毎晩、教室でも、廊下でも、食堂でも――“お手本の令嬢”になろうとしておられましたわ。
でも、努力というものは、時として、あまりに誠実すぎると、かえって浮いてしまうものなのですね。見ていて、胸が痛くなるほどでした。
たとえば、家政学の授業の日のこと。
その日は「使用人管理」が主題でして、先生が問いかけられましたの。
「では、厨房女中と洗濯係が、互いの仕事範囲をめぐって言い争いを始めたとしましょう。
あなたが屋敷の夫人として、その場に居合わせたなら、どう仲裁いたしますか?」
クララ嬢はしばらく考えたあと、お答えになりました。
「……それぞれに言い分があると思います。まずはちゃんと、どちらの話も聞いて、できるだけ間をとって納得してもらいます。
“皆で仲良くやっていこう”って言って、私も一緒に作業に加わります」
――講義室が、静まり返りましたわ。
誰も何も言いませんでしたの。ええ、直接的には、誰も。
でも、小さくため息をつかれた方がいらして、筆を止めた方も、視線を交わした方もおられて……。
クララ嬢ご自身も、その空気に気づかれたようでした。
あの方がぎゅっと下唇を噛んだ様子が、わたくしの目に焼きついております。
先生は、淡々と、けれど容赦なくおっしゃいました。
「――それは、あなたが彼女たちと同じ“労働者”であるならば通る話です。
けれどあなたは“主人”であり、“秩序を保つ立場”なのですよ、令嬢。
人の上に立つ者が“仲良し”に逃げれば、屋敷はすぐに乱れます。
使用人の間で起きた問題は、“感情”ではなく“責任の所在”で解決しなさい」
「でも、私……」
そう言いかけたクララ嬢は、声を飲み込まれましたわ。
ああ、居たたまれないとは、こういうことを申すのですのね。
――その日の午後にはもう、いくつかの噂が立っておりました。
「どうして試験に通ったのかしら」
「お情けで入れてもらっただけでしょう」
もちろん、わたくしは口に出したりはいたしません。
でも……心のどこかで、こう思ってしまったのです。
この子、長くは持たないわね――と。
わたくしもクララ嬢も在籍しておりますのは、「婦徳・礼法科」。
貴族家へ嫁ぐことを前提に、家を預かる夫人としての所作を学ぶ場ですわ。
けれど、この学科には“基礎から教わる者”などおりませんの。
どのご令嬢も、それなりの教養と作法を備えた上で、「そつのなさ」を評価されるのです。
夫人の価値観は、そのまま家の空気を作ります。偏りがあれば、家を歪め、子を狂わせかねません。
この三年間で“そつなくこなせます”という証明を持ち帰る――それがこの科における修了証であり、すなわち「嫁いで大丈夫」という推薦状なのです。
クララ嬢は、根が真面目なお方なのでしょう。
もっと幼い頃から、それを学べる環境にあったなら……と、そう思わずにはいられません。
だからでしょうか。
初めて目が合ったその瞬間――わたくし、ほんの一瞬だけ、微笑んでしまいましたの。
クララ嬢は驚いたように目を見開き、そしてぎこちなく頭を下げられて。
そのあと、ほんの少し、背筋が伸びたように見えました。
努力は、必ずしも報われませんし、実を結ぶとは限りません。
けれど、“誰かが見ている”ということだけが、人を支えることもあるのですわね。
まあ、ほんの気まぐれですけれど。
わたくしは、そういう女なのですのよ。