第64話 あまり ふたつ
ゲストトークでは、楽曲を2つかける。前半のトーク終わりに1曲、そしてお別れにもう1曲といった流れだ。
前半の曲のタイトルは、『あまり ふたつ』。聞き慣れない言葉だ。
「曲紹介をお願いします。」
「はい。それではお聴きください。
クレナズムで、『あまり ふたつ』。」
その言葉を合図に曲がかかり始め、そのままCMにいく。
その隙に、曲について検索してみる。
あまり ふたつ。
調べると、『とう あまり ふたつ』という言葉がヒットした。これは12という意味のやまと言葉らしい。昔の古い日本語ってことかな?
歌詞を見てみると、曲の終わりの方に、
『ひぃが過ぎて ふぅが過ぎて
みぃが過ぎて よぉが過ぎて
いつが過ぎて むぅが過ぎて
ななが過ぎて やぁが過ぎて』
(1が過ぎて、2が過ぎて、
3が過ぎて、4が過ぎて、
5が過ぎて、6が過ぎて、
7が過ぎて、8が過ぎて、)
とあって、最後に、
『ここも過ぎて とおも過ぎて
あまりひとつ あまりふたつ
秋も過ぎて 冬も過ぎて』
(9も過ぎて、10も過ぎて、
11も過ぎて、12も過ぎて
秋も過ぎて、冬も過ぎて)
という結びの詞が待っている。
ひぃふぅみぃよぉという呼び方までは、おじいちゃんかおばあちゃんが使っていただろうか。聞いたことはある。『いつ』以降は、パッと言われても脳内で数字変換できるか怪しい。
それにしても、すごくきれいな歌だ。『アンニュイ』な感じもありつつも透明感がある。
何より、私はあまり ふたつという表現が気に入った。歌の中では12月のことを表しているのかなと思ったけど、12年としても使える言葉だ。
そう、12年。これは、別れの日から先輩と先生が歩んできた歳月に他ならなかった。
この曲を知って、最終話の構想が固まった。
タイトルは、『とう あまり ふたつ』。
上がっていく凧を見上げる先生の脳内を、歩んできた12年間の景色が一瞬のうちに駆け巡る。別れたときのこと、テレビ収録で再会したときのこと。あ、このときは私もいたな。
先生の周りには、たくさんの子どもたちと先輩も見惚れた五島の穏やかな海。
レッドカーペットを歩く中たくさんのフラッシュの光によって、先輩の脳内で映画のフィルムのような断片的な記憶が呼び起こされる。二度目の再会を果たした結婚式の会場、三度目の再会を果たせぬまま向かった撮影現場。
先輩の見上げた先に、東京のビル群に降り注ぐ時期尚早な風花。
先生は晩春の五島に、そして先輩は寒秋の東京にいる。神様によって引き離された夏の星座と冬の星座のように、二人は重ならない。見上げた空の先に、お互いの姿はない。
以前は文章だけだったから考えもしなかったが、映画化の話を機に映像にしたらどうなるかを気にしながら書いている。ラストシーンは、違う表情を見せる2つの空を映せたらいいなと思った。




