第55話 灯火
「もしもし。」
「もしもし。本当にごめんなさい。今日から夏休みなのに。今、少しよろしいですか?」
「お疲れ様です。何でしょうか。」
「実は、星加さんが出演されていた化粧品メーカーのCMあるじゃないですか?先方の企業さんから、後任を宮手さんに頼めないかとオファーがありまして。
ほら、CM全て降板で、残りはほとんどうちの事務所とは続けてくれなさそうなんです。だからこれだけは何としても受けてくれって、社長から直々にご指示がありまして……。
ほんと急で申し訳ないんですけど、今晩会食という名の謝罪の場に同席していただきたいんです。向こうもこちらも、社長と担当者が出席するみたいで。もちろん、私も同行します。
そして早速なんですが、明後日にでも撮影ができないかという話になっていまして……。
私の力ではどうすることもできなくて、すみません。社長からは撮影が終わったら臨時のボーナスと、夏休みの日数を増やしてもらえると聞いています。来てくださいますか?」
耳元で聞こえてるはずなのに、今にも泣き出しそうなマネージャーさんの声が何だかすごく遠く感じた。一生懸命伝えてくれる内容を何とか脳でキャッチしながらも、言葉の端々はまるで頭に入ってこなかった。
今週でないと、意味がないのよ。来週には新学期が始まっちゃって、部活動とかもあるから案内なんてしてもらえない。
それよりも何よりも、7年ぶりに交わした約束。彼は仕事のことを話したら、きっと分かってくれる。大変だね頑張ってねって、きっと言ってくれる。
でも、その言葉の先に、私たちの未来はないのだ。
今の二人の関係は、言うなればキャンプで火をおこすときの着火しかけの炭のようなものだ。風を送るのを怠れば、火種はすぐに消えてしまう。送る風が強すぎても、すぐに消えてしまう。そんな危ういものだ。
だから『また今度』、そう言った時点きっと火は消えてしまう。そして、永遠に着くことはない。
どうしても、この約束だけは守りたかった。
「それって……断ることはできるんですか?」
芸能生活で初めて後ろ向きなことを言った。ここまで何年もイエスマンをしてきた。どんな仕事も、嫌な顔一つせずに頑張ってきたつもりだ。
そのくらいのご褒美があっても罰が当たらないくらい、頑張ってきたつもりだ。
「……。すみません。」
しばしの沈黙の後、謝るマネージャー。
ふーっと息を吐く。冷静……になるのは到底無理な話だけど、深く呼吸をする。
「すぐにかけ直します。一度、電話切りますね。」
そう言って終話する。
一瞬のうちに、覚悟は決めた。でも、先に夕に断りたかったのだ。そして完全に諦めがついてから、この仕事をちゃんと受けようと思う。




