第15話 報われた日
夕視点
〜ミー⤴ドー⤵ミー⤴ラー♪〜
『ANAから、出発便最終のご案内をいたします。ANA 五島福江行き 8時30分発 1005便は、出発いたします。五島福江行き 1005便をご利用のお客様は、お乗り遅れございませんよう、31番搭乗口よりご搭乗ください。』
久々の東京で思ったよりも疲れた。慣れない収録があったから……とかではなく、羽田空港に着いて都内へと向かう電車に乗った時点でもうすでに疲れていた。
これでも浪人時代から始まって大学時代、社会人時代と、10年以上も東京に住んでいたんだけどなぁ。まぁそこから東京を離れて5年も経つから、そのとき身に付いた耐性とかはすっかりなくなったのだろう。
最初に番組出演の話を聞いた時、率直に思ったことが2つあった。
1つは、自分にできることがあるなら協力したいという思いだ。教え子がアイドルになっていたことはもちろん知っていた。
ライブとかには行ったことなかったけど、テレビに出ているのを見かけたらチャンネルをそのままにしたり、あとラジオは好きで普段からよく聴くから出ている番組があれば積極的に聴いたりしていた。
もう1つは、果たしてその役目が自分に務まるだろうかということだ。今をときめくアイドルが会いたい人なんて誰が出ても成立しそうなものだけど、例えば小さい頃通っていたお店の老夫婦とかならほっこりしそうだし、部活の厳しい顧問が優しく当時を振り返るのもお涙頂戴の演出になるだろう。
一応担任だったとはいえ1年生の頃は知らないし、彼女が3年に上がるタイミングですぐ離任したからそんな長い付き合いでもない。ましてや二人きりで話した記憶も皆無だ。
テレビ局の人からは『先生のホームルームが思い出に残っているみたいです。』と言われたが、そもそもホームルームでの喋りも東京を離れると同時にやめてしまった。時折聞こえてくる『言葉より態度』『言うだけなら誰でもできる』みたいな世間の声に、言葉を扱う者としてどこかで後ろめたさを感じていたのかもしれない。
子どもの頃から、言葉が好きだった。多読していたわけてはなかったけど本も読んだし、歌はメロディーよりも詞の方に目がいってしまう。テレビよりラジオが好きなのも、映像がない分より言葉が際立つからなのかと思う。
『死ね』って言うのが学校で流行ったときも頑なに言いたくなかったし、好きな人がその言葉を吐くのも嫌だった。そのくらい、言葉に対して人一倍敏感だという自負があった。
その後文学部に進んで国語教師になり、そういった歩みの中で自分でも知らず知らずのうちに、言葉への思いとか自信とか、そういうものが薄れてしまったのかもしれない。
でも、見違えるように立派になった彼女はあの1年間のホームルームを具に覚えていてくれた。あの頃の自分が、残業続きで余裕のなかった自分が楽しく、そして必死に紡いだ言葉たち。
気恥ずかしくて覚えていないふりをしてしまったけど、もちろん覚えている。それだけの思いをして伝えた言葉を、忘れるはずがない。
彼女のおかげで、夏休み明けも胸を張って授業ができそうだ。久しぶりにホームルームで喋ってみるのもいいかな、なんて思う。
久々に東京を訪れた日、疲労感と引き換えに過去の自分が報われたような、そんな感覚が得られた日となった。




