第八話 逆に食べられちゃわないように
いつの間にか熟睡していた。枝葉の隙間から差し込む朝日で目が覚める。
隣に眠るユウカはカーディガンを毛布のように被り、スマートフォンから伸びたイヤホンは耳に差したままだ。
眠ったまま私にしがみついているリョウの手を、そっと外して起き上がる。ケンイチもヒロトもよく眠っている。
私は彼らを起こさないようにエコバッグを持ってツリーハウスを降りる。
「車、完全に沈んじゃってる……」
沼地になっている地面に足を取られた私たちの車は、泥に沈み完全に見えなくなってしまっていた。
ツリーハウスの樹木に巻き付けた牽引ロープは、それほど強く引っ張られているわけでない。おそらく車は木の根本にひっかかっているのだろう。
だが、私たちの力だけで引き上げるのは無理そうだ。
木材でできた道はすっかり乾いていて、道の上の泥は細かい砂のようになっていた。
道の端のまだ乾いていない泥を指ですくう。油分が含まれているのか、油粘土のようだ。
そういえば、イラミザに襲来したガーゴイルは「機械樹脂」でできていると生き字引に書かれていた。機械都市フォーレンは湿地と隣接しているから、この泥が原材料の一部なっているのかも知れない。
私は立ち上がって、周囲に食べられるものが生えていないか探す。
木々に実はなっていないようだし、植物は雨のせいで湿地に埋まってしまっている。
「沼に、なまずでもいないかな」
私は木に巻き付いている細い蔦を剥ぎ取り、葉をそぎ落とす。
先端の細い方に小さく切った干し肉を括り付け、湿地に投げてみる。最初は泥の上に浮かんでいた干し肉は、次第に沈んでいった。
「あっ」
急に蔦が強く引かれる。まさか本当にアタリが来るとは思っていなかったので油断していて、体が湿地に引きずられそうになる。
蔦を左手に巻き付けて右手で引く。腰を落として重心を低くし両足を踏みしめる。
釣り針をつけていたわけでもないのに、獲物はまだ蔦から離れていないようだ。干し肉ごと丸呑みにしてしまったのかも知れない。
水面がばちゃばちゃと跳ねる。
ふいに、自分が軽率だったことに気づく。
どうして魚かなにかが釣れると思い込んでいたのだろう。沼にいるのは魔物かも知れないのだ。もし、魔物を引き上げてしまったら、私一人では戦うことはできない。そっと蔦から手を離そうとすると
「逃げちゃうわよ、引いて引いて!」
と背後から声がする。
「えっ」
私が解きかけた蔦をその人は握る。浅黒く大きな手だ。私の背後から包み込むように、その人は蔦を引くのを手伝ってくれた。私よりも随分力が強いのか、獲物は対して苦も無く陸に上ってきた。
私たちが二人で引き上げたのは、ワニのような形をした生き物だった。
「あんた、これしめていいの?」
「えっと、どうしましょう。食べるものを釣ろうと思って」
「食べるのね。しめるわよ」
山高帽を被ったその人は野太い声で私に質問をし、てきぱきと獲物を蔦で縛る。小型のナイフで手際よくワニの首を刺し血抜きをする。
「ありがとうございます。えっと」
「あたいはハモンド。この子はトッピ。フォーレンに向かう行商人よ。ワニを釣りあげるなんて、あんたなかなかやるじゃない」
彼の後ろにはロバに似た生き物がいた。灰色の毛は羊のようにふわふわで、背や脇にたくさんの荷物を積んでいる。
「私は山田ヨシエです。これやっぱりワニなんですね。ワニってこっちにもいるんだ」
「湿地にはワニがいるものでしょ。逆に食べられちゃわないように気をつけなきゃ」
ハモンドと名乗った男はカラフルなポンチョを着たままワニの皮を剥ぎ、肉を大きな塊に捌く。
「ヨシエはワニの内臓は好き?」
「内臓も食べれられるんですか」
「好き嫌いがあるわね。食べるなら残しとくけど。かわりにあたいが皮をもらってもいいかしら」
「どうぞどうぞ。あの、よかったら朝ご飯を一緒に食べていきます?」
「あら、悪くない提案ね」
ハモンドとロバっぽい生き物トッピを連れて、ツリーハウスまで戻る。ケンイチたちはまだ眠っているようだった。
「なんか変なものがあるなあと思ったけど、これあんたんとこの拠点だったのね」
ハモンドはツリーハウスを見上げる。
「乗り物が沼に沈んでしまって」
「この縄がそうなの? 大変ね。まあ数日雨が降らなければ、水位も下がって掘り出せるんじゃないかしらね」
「だといいんですけど」
ハモンドに捌いてもらったワニの肉を、食べやすい大きさに切って小枝に刺す。宿屋の婦人にハーブ入りの調味料を分けてもらっていてよかったと思う。
念のため生き字引でワニ肉の情報を確認する。『沼ワニ』と書かれている。食べることができるが、寄生虫がいることがあるのでよく焼く必要があるらしい。内臓は酒で煮込むと美味だとある。
「わあ、だれかいる! ねえ、ママがだれか連れてきたよ」
ツリーハウスからリョウの声が聞こえる。みんなが起き出してきたようだ。