第七話 ハウスっていうか、鳥の巣っていうか
ただならぬ様子に、私たちは荷物を手にし、慌てて車から降りる。
「リョウ、大丈夫か」
「わーん、ボクのランドセル!」
ケンイチはジュニアシートの下に手を伸ばし、ランドセルを取ってからスライドドアを閉める。
「ほら、これヒロトのカバン!」
「お、おう。サンキューユウカ」
「パパ、車が傾いていくよ。このままじゃ湿地に沈んじゃうよー」
「ヨシエ、子供たちを安全な場所へ」
「うん」
ケンイチは傾いた車のトランクを開け、工具箱と牽引フックを取り出す。
「道がせり上がってきてるみたい」
大きな歯車を回すような音が地中から聞こえてくる。
木材でできた道は湿地の地面と同じ高さにあったのだが、豪雨が降るとともに上がってくる仕組みになっているようだった。
雨のさなかに停車していた車は、視界が悪く道の端にあったせいで、左側の後輪が脱輪してしまったようだ。
ケンイチは手際よく、バンパー付近に牽引フックとロープを取り付ける。
ロープを引っ張ってみるが、さすがに人力で引き上げるのは無理そうだった。左後輪が完全に泥の中に埋まってしまい、そのままずるずると右後輪も引きずられていく。
ケンイチは諦めたようにロープを近くの木の幹にくくりつけ、空きっぱなしだった運転席の窓を閉め、大きくため息をつく。
「車はここに捨てていこう」
「えっ、車捨てちゃうの」
「アタシ歩くのやだー」
私たちは空を見上げる。雲の切れ間から見える二つの太陽は傾き始めていた。夕方が近い。
「このまま歩いても、日没までに機械都市にたどり着くことがはできなさそうだな」
「エルフの森まで引き返す?」
「いや、今夜はここに泊まろう。ヒロト、ユウカ、木の枝や蔦を集めてくれ」
「ええー」
「ボクも手伝う!」
車から少し離れたところまで歩いて行き、道沿いの樹木から枝や蔦を集める。
豪雨が降る前には、地上に根が絡み合っていた樹木だが、今は沼のようになった地面に埋まってしまっている。
地上から二メートルほどの高さで枝は大きく横に広がり、複雑に絡み合っていた。
資材を集めて戻ってくると、ケンイチとリョウは樹上に拠点を作ろうとしていた。
鳥籠状になった枝の分かれ目に、枝を敷き詰めている。
「うわ、もう車ほとんど沈んじゃってるやん」
枝を抱えてヒロトが戻ってくる。
車は半分以上が湿地に沈み、運転席より前方が斜めに地面から突き出ている。見た目よりも地面は液状化しているようだった。
「木の根にひっかかって、止まってくれるといいんだけど」
「止まったところで、どうやって引き上げるの」
ユウカも資材を抱えて戻って来る。
「わー、ツリーハウスできてるやん。パパすげえ」
「ハウスっていうか、鳥の巣っていうか……、あ、パパこれ使えそう? 樹の皮が剥がれけてたから、引っ張って持ってきた」
「これはいいな、ありがとうユウカ」
ケンイチはロール状になった樹皮を受け取り、樹上に集めた枝の上に敷く。
鳥の巣のようだったツリーハウスが、床に敷かれた樹皮で少しましな姿になる。
「わーい、ボクたちのおうちだよ!」
「まさかとは思うけど、アタシたち、今夜ここで寝るの?」
「沈んでいく車の中で寝るのと、どっちがいい? ユウカ」
「うう……」
さすがにユウカは不服そうな表情をしているが、ヒロトはまんざらでもなさそうだった。若干わくわくしているようにも見える。
ヒロトとユウカが、蔦を掴んで樹に登っていったので、私も同じようにする。
「ママだいじょう……、わあ、いがいとすんなり登ってきた」
「ママ、木登りは得意なのよ。子供の頃はよく登ってた」
「へえー」
今どきは、ほとんどの公園も木登りは禁止されているし、植栽すらないところも多いけれど、私が子供の頃はあちこちに登りやすい形の木が生えていた。
さすがにこの年になると、子供の頃のように身軽にはいかないけれど、体はなんとなく登り方を覚えている。
「わあ、外から見た感じよりずっといいじゃない」
樹皮が敷かれた空間は、4畳程度の広さがあった。
五人くらいなら並んで眠ることができそうだ。絡み合った枝や大きな葉がカーテン代わりになり、夕日を透かしている。
「ボク、このおうち気に入った。ずっとここに住む」
「ずっとは無理だろ。風呂もトイレもないし、雨が降ってきたら簡単に流されそう」
「今夜は雨が降らないことを祈るしかないな」
「あーん、イラミザの宿屋が懐かしい。今朝旅立ったばかりなのに、もう帰りたい」
「おなかすいたね。まだパンは残ってるかな」
私がエコバックを開くと、ヒロトが中を覗き込んでくる。
「あっ、ウインナーも干し肉もあるやん。食べたい食べたい」
「干し肉は日持ちするからとっておこうね。ウインナーは食べちゃおう」
丸いパンにウインナーを挟んで、ホットドックのようにして食べる。
果物は持ってきた分を全て食べてしまった。もう少し多めに食べ物を持ってくるべきだったが、思い悩んでもしょうがない。
ヒロトが樹皮でできた床の上に寝転がる。
「あ、星が見える」
「ほんとだ」
日はすっかり沈んでしまい、色濃くなり始めた空に星がいくつも見える。
まるで南国リゾートのコテージみたいだ。泥に沈みかけた車のことを考えると憂鬱な心持ちになるが、今は忘れてしまおうと思う。
「パパ、もう寝ちゃってる。いびきうるさいねえ」
「今日はたくさん働いたもの。疲れたのね」
リョウがケンイチの鼻をつまむ。いびきは止まるが、起きる気配がなかった。
「ボク、ママの隣がいい!」
「じゃあアタシもママの隣ー」
「えー、俺パパの隣かよ。いびきうるさいのやだなあ」
端から、ユウカ、私、リョウ、ケンイチ、ヒロトの順に並んで横になる。
こんなふうに並んで眠るのはいつぶりだろう。キャンプみたいで悪くないものだなと思う。