第四十五話 世界でだれよりも
まだ温かいパンを抱え急ぎ足でテントに戻ろうとすると、ラグが向こうから歩いてくるところだった。
「おじいちゃん、みんな見回りがくるとかいいながら帰っちゃったよ」
ユウカが声をかけると、ラグは
「そうか」
と興味もなさそうにいって踵を返す。
「おじいちゃん、ハイキューもらえなかったの? ボクのパンわけてあげようか」
「いらん」
「あの、これもらってください。私、そろそろダイエットしないといけないと思っていたので」
私は自分の配給の包みをラグに強引に手渡し、リョウの手を引いてテントに戻る。
「ママ、ダイエットするの?」
「うーん、しばらく体重を測っていないから、太ったか痩せたか分からない」
「どうせおじいちゃんにパンをあげたかっただけでしょ。ママ、アタシのパン分けてあげる」
「ボクもボクも!」
みんなが少しずつ私にパンを分けてくれる。正直なところ一食抜いたところでたいしたことはないのだが、その優しさを嬉しく思いありがたくいただいておく。
ヒロトは不機嫌そうにしていたものの、皆と同じように千切ったパンを私に手渡してから自分もパンにかじりつく。
「うっま。パンうま!」
よほど空腹だったのか、ヒロトは不機嫌に振る舞っていたのも忘れてパンにかじりつく。
「なんだか騒がしくない?」
ユウカがテントのタープを開ける。通りに人の姿はなさそうだが、遠くから大きな音と人の声が聞こえてくる。
「なんだよ。人がパン食ってるときにさあ」
ヒロトは残ったパンを全て口に入れ、咀嚼しながら立ち上がる。音は近づいてきているようだった。
ずうん、と音を立てて地面が揺れる。どうやら城壁の方でなにかが起こっているらしい。
「ねえ、おじいちゃんのおうち危なくないかな。城壁に近かったよね」
ユウカが心配そうにいうので、テントの隙間から外の様子を伺ってみる。
暗くてよく見えないが城壁周辺がやけに明るい。火の手が上がっているようだった。だが、バラック集落の人々は逃げ出す様子もなく息を潜めている。
「助けに行こう、パパ」
「今は勝手に動かないほうがいい。俺たちはなにも知らなさすぎる」
「パパはそうやって、いつも慎重過ぎるんだよ」
「ヒロト、パパのいうことはきかなきゃだめなんだよ」
ヒロトはリョウに諭されて、あからさまに不機嫌な顔をする。
「それは元いた世界での話だろ。この世界のことについては、俺もパパも同じくらいしか知識がないし、アルカードさんのほうが全然詳しい」
一息にそこまでいって、怒られると思ったのかヒロトは身をすくめる。
「そうだな、確かに俺はこの世界のことをよく知らない。だがヒロト、おまえのことはこの世界でだれよりもよく知っている」
ケンイチはヒロトのことをまっすぐ見てそう告げる。ケンイチらしくない口ぶりに、ヒロトは返す言葉を失ってしまう。
確かに、ヒロトのことを生まれたときから見ていて、だれよりも関わっているのは親である私たちだ。
「そんなん、わかってるけど……」
ヒロトは脱いでいた皮のジャケットをはおり、ガスマスクをつける。
「ヒロト、ボクも行く!」
ヒロトはリョウの頭に手をおいて軽く撫で、私たちのことは見ないようにしてテントを出ていってしまった。
「パパいいの? あいつのことほっといて」
「俺はもう知らん」
ケンイチは諦めたようにため息をつく。
「ユウカ、ボクと一緒に行こうよ。ヒロトだけだと危ないよ」
「まーた、私に盾役をやらせようとする。いいやん。ヒロトが勝手に出ていったんだからほっとけば」
「そうね、ユウカとリョウはここにいなさい。私はちょっと様子を見てくるから」
「ママが一番危ないのに!」
ユウカに手を引いて止められる。このパーティーの中で私が一番弱いのは事実なのだから仕方がない。
火の手が上がっている気配と、巨石が落下するような音が聞こえる。
ヒロトの姿は見えないがかすかに声が聞こえる。珀刻の名を呼んでいるということは、遊戯創生を発動させているようだ。
私はエコバッグからアルミの三十センチ定規を取り出し、かまえてその場をうろうろする。
「あーもう、アタシが行けばいいんでしょ。ほら、パパも意地はってないで行こうよ」
「俺は知らんといっただろうが」
「はいはい、知らん知らん。凝望壁!」
ユウカがテントの外に出て壁になる。
多角形を半分にした形状の壁が作られ、背の高さに小窓が開いている。
「見て! あっちのほうからなにか降ってくる!」
リョウが斜め上を指し示す。
城壁に火の手があがり、空から降ってくる石つぶてを照らしている。同じくらいの大きさの石がいくつか落下し、城壁を壊していく。
「ケンイチ、ヒロトが危ない」
私がいい終えるより先に、ケンイチは凝望壁の前に出て走り出した。




