第四十三話 どうせもう戻ってはこんだろう
「あー、大変だった!」
気球が雲の中に入ったので、ユウカは凝望壁から元の姿に戻る。
「ユウカ、大丈夫? たくさん叩かれていたけど痛くない?」
「だから、壁になってるときには痛みを感じないっていったやん。痛いとかより、だれをどう逃がすかのほうが大変だった」
ユウカはなんてことがなさそうな表情で、カーディガンについた土埃を手で払う。
「フライデー、大丈夫かな」
ヒロトは気球の籠から身を乗り出して下を見ている。
「大丈夫でしょ、フライデーは強いもん。もし壊れてもアルカードさんが修理してくれるでしょ」
「そうですね。コアが損なわれていなければの話ですが」
「コア?」
「フライデーの中核部、まあ心のようなものです」
「それが壊れちゃうと、もうフライデーは直せないの?」
「直したとしても、今のフライデーとは違う機械人形になります。私たちのことも忘れてしまうし、再学習が必要になりますね」
「くそっ、やっぱフライデーを置いていくんじゃなかった」
ヒロトは悔しそうに籠の縁を握りしめる。
気球は雲の中で方角を変え、ライブラリのある中枢塔の北西側に回り込む。まだ行ったことのなかった、王都に行く道のある方角だ。雲を抜けて下町に向けて下降する。
「フォーレンのこっち側、初めて来た」
「この付近に僕の古い研究室があるのですが、あなたたちは来ないほうがいいでしょう。機皇帝はその場所を知っていますから」
「じゃあ、アタシたちどうすんの?」
「城壁の近くに行商人の集まるキャンプ地があります。そこに隠れていましょう」
アルカードは気球を下降させ、露天のある下町から少し離れた場所に降りていく。
赤土のむき出しなった荒れ地には、大小いくつものテントやバラック小屋が点在している。まるで違う町に来たように感じるが、靄に包まれた機械都市フォーレンの中枢がここからも見える。
中枢の反対側にはレンガと鉄で組まれた長い壁があった。
「城壁高そうー。凝望壁を伸ばしてもギリ届かないかも」
「そういう目測も図れるようになってきたん、ユウカ」
「ヒロトたちが、特訓とかいってアタシに盾役ばっかさせるからでしょ」
「頼りにしてるからだって」
ヒロトは幾分気を取り直したようで、ユウカに軽口を叩いている。しかし、リョウはずっとおとなしいままだった。
「リョウ、大丈夫?」
「ボク、リースくんと友達だったのに」
ヒロトはリョウに対しなにか文句をいいかけて、思いとどまる。ヒロトがリースと敵対するのも無理はないし、リースがリョウのことをかわいがっていたのも事実だ。
「リースくんはリョウを裏切ったわけじゃないと思うよ」
人間関係は単純に敵味方に分かれるものではない。だが、それを理解するにはリョウはまだ幼すぎる。
「着陸します」
気球がテントとバラック小屋の間に着陸する。端材を組み合わせた納屋のような小屋から、一人の老人が出てくる。
「なんじゃい、ぞろぞろと」
「ラグさん、お久しぶりです」
「おや、アルじゃないか。ちょうどよかった。湯沸かし器を修理してくれんか」
ラグと呼ばれた腰の曲がった老人はアルカードの顔を見上げ、また小屋に戻っていく。
「わかりました。湯沸かし器は預かります。かわりに、僕の友人たちをしばらく匿ってくれませんか」
老人は小型の電磁調理器のようなものを持ってきながら、私たちを一瞥する。
「この人数がうちに入るわけなかろう。斜め向こうに開いたテントがあるから勝手に使えばいい」
老人が小道の向こう側を指差す。黄ばんだ布で作られた、ツギハギのテントがそこにあった。
「ありがとう、助かります」
アルカードは湯沸かし器を受け取り、足早に気球に乗り込む。
「アルカードさん、俺もついていく!」
「ヒロトくんは家族といてください。おそらく追手が来るでしょう。日が暮れるまではテントに隠れていてください」
「でも」
不服を申し立てるヒロトに微笑みかけてから、アルカードは気球を上昇させる。
「行こ、ヒロト」
ヒロトが空を見上げたままそこから動かないので、リョウはヒロトの手を引き、テントに連れて行った。
「うわー、なにここ。めっちゃ散らかってるやん」
ユウカがテントを覗き込む。ケンイチが先導して中に入ると、テントの中は予想より広かった。ただ、古びた衣類やガラクタ、食べかけの果物などが乱雑に散らばっている。
「これは、ただ片付けていないだけじゃなさそうね」
「皿からパンがこぼれ落ちている。この乾燥具合だと、一週間以上は経っていそうだな」
「このテントの主は、ライブラリアンに連れて行かれたからのう」
テントのタープを開けて、ラグが入ってくる。腰を曲げたままテントの中を勝手知ったる風情でうろつく。
「ライブラリアンに……」
「おじいちゃん。ここ、勝手に使っちゃって大丈夫なん?」
「どうせもう戻ってはこんだろう」
ラグはガラクタの中からランプを探し出し、火をつけてくれる。仄暗かったテントの中が暖色系の明かりに照らされる。
「ボク、おなかすいた」
「そのへんに転がっている瓶詰めでも食べておけばいい。あとは、日が暮れたら配給がある」
ぶっきらぼうにそう告げて、ラグはテントを出ていってしまった。




