第四十二話 どうやら命を救われたようですね
「こっちに進めということかな」
凝望壁で区切られた研究室の中を歩いていくと、私のエコバッグが落ちていた。拾い上げて更に先に進むと、研究室の椅子に突き当たる。
「あっ、俺のカバン。こんなところに置いてたんだ」
ヒロトがカバンを取り上げると今来た道は塞がれ、左手に新しい道が現れる。
「さすがね、ユウカ」
どうやら凝望壁は、私たちを敵の攻撃から防御するだけでなく、ここから逃がそうとしている。
手荷物の案内までしてくれて、至れり尽くせりだ。
「出口だ!」
「ヒロト、大きな声を出さないで」
迷路の中にはまだ数人の兵士とリースがいる。凝望壁に取り囲まれてはいるが、こちらの声はおそらく聞こえているだろう。
凝望壁の迷路は窓に向かって出口を作っている。窓の外にはリースたちが乗ってきたと思われる気球があり、中にはケンイチが乗っていた。
窓から伸びる凝望壁の橋を渡って、私とヒロトも気球に乗り込む。
「パパ、先にたどり着いてたんだ」
ケンイチは黙ったままヒロトのことをちらりと見て、それから気球を動かすことができそうか調べている。
私たちが気球に乗り込むと迷路はまた形を変え、今度はリョウとアルカードが中から出てくる。
「ママー」
「リョウ、アルカードさんと一緒だったのね」
「アルカードさん、フライデーは?」
「おそらく敵を見つけることができず、じっとしているのではないでしょうか」
「アルカードさん、気球を操縦できますか?」
「ええ」
アルカードは気球に乗り込み、ケンイチと立ち位置を変える。操縦機のなにかしらのボタンを押し、後尾についている羽を動かす。
「研究室を捨てて逃げちゃうの?」
「大丈夫、全てはここに入っています」
アルカードは笑顔で自分の頭を指で指し示す。
「ねえママ。ユウカはどうするの」
「ユウカさんが元の姿に戻ったら、すぐに気球で出発しましょう」
「でもユウカ、後ろから撃たれちゃうんじゃない」
「リースくんは、そんなことしないと思うけど」
さすがのリョウも、少し自信なさげにリースのことをかばう。
「フライデーを置いていきます。ユウカさんが逃げ延びるまでのあいだ、盾になってくれるでしょう」
「やだよ、フライデーも一緒に行くんだ!」
「ヒロトくん、フライデーはあとで必ず取り返します。リースの性格ならフライデーを完全に破壊することはない。せいぜい動力を停止してライブラリに収蔵される程度です」
「でも、機皇帝はなにするかわからないじゃないか」
「それまでに、体勢を整えます」
ヒロトが憎々しげにアルカードのことを睨んでいるので、ケンイチが二人のあいだに割って入る。
「凝望壁もいつ突破されるかわからない。ヒロト、アルカードのいう通りにするんだ」
「う……」
アルカードがケンイチに目配せをしたので、ケンイチは凝望壁に向かって声をかける。
「ユウカ、フライデーをできるだけ窓際に誘導するんだ」
凝望壁の形が組み変わり、フライデーが私たちの目の前に現れる。ミルクティー色の髪が窓から入ってくる風にたなびく。
「フライデー、ユウカさんを逃がすあいだ盾になってください」
「わかりました。フライデーは、盾になります」
「フライデーも逃げられそうだったら逃げろよ!」
「逃げられそうだったら、逃げます」
フライデーはヒロトの言葉を復唱し、私たちに背を向ける。
凝望壁の内側から、なにかを強く叩く音が聞こえる。兵士が床を破壊して脱出しようとしているのだ。
「ユウカ、急いで!」
緑色の壁は橋のように形を変え、気球の籠に入ってくる。
研究室に張り巡らされていた壁が集約し一本の柱になったとき、リースと目が合う。中心にリースが、その周りを取り囲むように数人の兵士が、全員こちらに銃口を向けている。破裂音が鳴る。
次の瞬間、兵士たちのあいだでどよめきが起こった。
私たちに向いていたはずの銃が一つもないのだ。リースは不思議そうに自分の右手を見つめる。その隙にフライデーはリースの背後に周り、その身を拘束する。
「出発します」
アルカードが気球を操縦する。
凝望壁は半透明の姿になり、籠の内側を取り囲む。まだ私たちを守ってくれているのだろうが攻撃はされなかった。
「うわっ、なんだこれ」
ヒロトの足元でがしゃりと音が鳴る。
気球の籠の中には銃と剣が積み上げられていた。
「リョウが時間操作で助けてくれたのね」
リョウは膝を抱えて、ケンイチの足元に座っていた。悲しそうな顔をして、握りしめていた拳を開く。
「これ、アルカードさんに当たるところだった」
「うわ、銃弾じゃねーか。リョウそれ受け止めたん。やべえ」
「どうやら命を救われたようですね。ありがとうございます」
アルカードが気球を上昇させながら、リョウに礼をいう。
「リースくん、アルカードさんを殺すつもりだったのかな」
リョウのその質問にだれも返事をしない。




