第三十六話 コンパス・オブ・デスティニー
「命導羅針板!」
ハモンドが両手を広げると、彼とガーゴイルの間にエネルギーの球体ができた。
天球儀のホログラフィーのようにも見えるそれは、内側から四散し部屋全体を輝く星で覆う。
ガーゴイルの周辺の星が糸状に繋がりあい、細い紐のようになって石の肉体に巻き付き捕縛する。
「グエエッ」
ガーゴイルは水を吐きながら、弱々しく墜落していく。口の周りも蛍色に輝く紐に縛られ、吐き出していた水は止まる。
「ハモンドさんすごい!」
「あーあ、もう。つい助けちゃったじゃないの。手の内は隠しておくつもりだったのに。まあ、あんたたちには助けられたから、これで借りは返したわね」
「ねえねえ、さっきの星座みたいなやつ、ハモンドさんのスキルなの?」
「そうね。まあだいたいそんなもの……、あっ、こらトッピ。その水は飲んじゃだめよ」
水浸しの床を舐めようと舌を伸ばしたトッピは、ハモンドに手綱を引かれて不服そうな顔をする。
「ありがとうハモンドさん」
「それはいいけど、まだ終わりじゃないわね。外になにかがいる。ガーディアンも出動してないし、なにしてんのかしら」
表通りに逃げていった料理人たちが慌てて酒場に戻ってくる。外が騒がしい。
「外にもまだ魔物がいるのかな」
「こいつは魔物じゃないわよ。フォーレンには魔法封じの結界が張られているもの」
「そういえば、そんなことをいっていたような。この宿場町もですか?」
「中枢ほど強力ではないけれど、簡単に破れるほどの結界でもないはず」
「なら、このガーゴイルは……」
「さあね」
ハモンドはなにかを知っているのだろうが、多くは語らなかった。
これが魔物でないのならば、真っ先に思いつくのは機械だ。とはいえ、イラミザでユウカたちが破壊したガーゴイルは粉々に砕けた。肉体はすべて石でできていて、内部に機械のようなものは入っていなかったはずだ。
「あたいはここから逃げるけど、あんたたちは隠れてなさい。二人だけじゃたいして戦えないんでしょ」
そういって、ハモンドは表口から出ていってしまった。
二人だけじゃ戦えない。確かにその通りだと思う。リョウは少なくとも時間を止めるスキルを持っているが、まだうまくコントロールすることができない。しかも最近は、敵に対して感じる恐怖が薄れているのか、止めていられる時間が短くなりつつあるようだ。
怖ければ怖いほど、長い時間止まっているのだとリョウはいった。彼が心底恐怖を感じたときに、どのくらい時間が止まってしまうのか、どのくらい長い時間を一人で耐えなければならないのかを考えると、不安に胸が締め付けられる。
「ママ、ハモンドさんのスキルかっこよかったねえ。プラネタリウムみたいだった」
「コンパス・オブ・なんとかっていってたね」
「コンパスって円を描くときにつかうやつ?」
「たぶん、方角を測るときのコンパスなんじゃないかな」
騒がしかった表通りが静かになる。
厨房を抜けて酒場に出ていく。よく見ると、そこは私たちの宿泊していた宿屋だった。狭い酒場のカウンター席に見覚えがある。
ハモンドは、この酒場の厨房でなにをしていたのだろう。
たまたま立ち寄ったのか、このあたりの安い宿を探してここに泊まっていたのか、あるいは私たちを尾行していたのかも知れない。
「ママ、これ落とし物だよ。ハモンドさんのかな」
「ほんとだ。これは手紙かな」
宛先の書かれていない封筒に、便箋が一枚入っていた。
「これ、ボク読めない」
「これは英語……?」
目の粗い紙に羽ペンで書かれていたのは、筆記体の英語だった。念のため翻訳してみようと思い、生き字引を開こうとする。
「その手紙をこちらに渡してもらおうか」
いつの間にか周囲を囲まれていた。緑色の制服を着たライブラリアンが四人、中にはリースもいる。私たちに銃口を向けている。
「リースくん?」
「ごめんね、リョウ。君たちは監視されていたんだよ」
「これは渡します。その銃を下ろして」
「相変わらず素直だな。そのほうが助かる」
リースは銃口を下に向けて、私から手紙を受け取る。
トープは私に短剣を向けたままだ。他のライブラリアンも臨戦態勢に入っている。
この期に及んで、ようやく私はケンイチからの手紙のことを思い出す。
あの手紙には心配ないと描かれていたが、添えられていたユウカのイラスト。見たことのないにんじんのキャラクターだった。
にんじん、下駄、おおきな手。おそらくあれの意味するところは「ニゲテ」だ。
どうしてもっと早く気が付かなかったのだろう。いや、私は薄々気づいていたのに、気づかないふりをしていたのだ。
「リースくん、どうして」
「君たちがアルカードと繋がっていることは気づいていたが、まさかハモンドとも連絡を取り合っていたとはね。全く侮れないな」
「誤解しているのかも知れないけど、ここでハモンドさんと会ったのは偶然なの」
「彼の脱獄を手伝っただろう? あのときはただの行商人だと思っていたが」
「ハモンドさん、ただの行商人じゃないの?」
「それだよリョウ。知らないふりをしているといい」
「ボク、ほんとうに知らないんだけどなあ」
リョウは不機嫌そうに頬を膨らませる。
「じゃあ、ライブラリに戻ろうか。大丈夫、大人しくしていれば監獄に閉じ込めたりはしないよ。僕は君たちのことをけっこう気に入っているんだから」
そういってリースはいつものように優しい笑顔を作った。




