第三十一話 おそらくこの男は
「機皇帝ってどんな人なのかな。どきどきするね」
ランドセルを背負って高層デッキを走りながら、リョウが私に話しかける。
走って先に行ってしまったかと思えば、また走って戻って来る。あいかわらずすばしっこい。
「お優しい方ですよ」
アヤはそれ以上はなにもいわなかった。リースも特にいうべきことは無いようだ。
ライブラリのあるビルからデッキを渡り、中央の一番高い塔にたどり着いた。
この建物はさっきまでいたところとは違いガラス張りではない。周囲を金属で覆われていて、小さい丸窓がいくつもついている。まるでジュール・ヴェルヌのSF小説に出てくるロケットのような形だと思う。
塔の中に入ると、内部は予想よりも明るかった。ホールには青みの強い天井灯が等間隔に埋め込まれている。
立体の美術品が等間隔で展示されていた。多くは彫刻や花器のようだが、使途が不明な機械もいくつか展示してあった。歴史的価値のあるものなのだろうか。
「執務室に行こう。もうみんな集まっているはずだよ」
「みんな?」
ホールの奥のドアを開けると、そこは会議室のような部屋だった。
長机に七人の男女が座っている。そのうち六人はリースと同じ緑色の制服を着て、制帽を被っていた。全員ライブラリアンなのだろうか。
長机の上座には男が座っていた。彼は帽子を被っておらず、白い制服を身に着けている。
黒髪の小柄な青年でさしたる印象はなかった。凡庸といった言葉がしっくりくる。
「お待たせしました機皇帝。彼女が山田ヨシエです」
「ボクは、山田リョウくん!」
「そう、そこに座って」
「はい」
威厳のない細い声に指示され、私とリョウは空いている椅子に座る。
リースは席についたが、アヤは部屋を出ていってしまった。ここではライブラリアンのみが席についているのだろう。
「スキルであらゆるものの情報を読めるんだって?」
口を開いたのは機皇帝ではなくライブラリアンの一人だった。
「あらゆるものかどうかは分からないですけれど」
「すごいな、どうやってそのスキルを手に入れたの?」
「海の女神から……」
機皇帝からはとくになにも尋ねられることはなく、ライブラリアンたちから質問攻めにされる。
リースは椅子にもたれ、腕組みをしたまま面白そうにそのさまを眺めていた。
リョウは、自分も時間停止のスキルが使えることをいいたくてうずうずしているようだったが、制止するためにリョウの背中をそっと撫でる。
「じゃあ、今日付けでライブラリアンの一員ということで」
機皇帝がリースの顔色を伺いながらぼそぼそと呟く。
どうやら、ここでは機皇帝よりもライブラリアンのほうが実権を持っているように見える。
「よかったね、ママ!」
「う、うん。そうね」
私にできる仕事がある、ということをささやかに嬉しくは感じたが、このスキルはたまたま掴み取ったものだし、私たち家族はいつか元の世界に帰るのかも知れない。
そんなことを考えているとリースが
「ヨシエは、そのスキルがなくてもライブラリアンに向いていると思うよ」
と考えを見透かしたようにいった。
「今日はこれで終わり?」
「せっかく全員集まったのにねえ」
ライブラリアンたちが席を立ちながら、なにやら拍子抜けしたような態度をとっている。
私が面会するためだけに、多忙だといわれるライブラリアンを全員集めることには違和感があった。なにか他に期待されていたことがあったのだろうか。
がしゃん、と大きな音を立てて丸窓が割れる。
「来たか!」
ライブラリアンたちが一斉に立ち上がり身構える。
小さな丸窓から投げ込まれたのは、発煙筒のようだった。全員が机に背を向けて他の窓に向かう。それぞれが銃や剣、弓などの武器を手にしていた。
私は慌ててリョウを引き寄せ、ケープの内側に入れる。振り返ると機皇帝は椅子に座ったまま震えていた。ライブラリアンはだれも機皇帝に声をかけない。
「大丈夫ですか?」
側に寄ると、彼は来ては駄目だというように首を振る。弱った小動物みたいな目つきだ。
先程からの違和感が確信に変わる。おそらくこの男は機皇帝ではなく影武者だ。ライブラリアンの態度でわかる。とはいえ、この状況で怯えている人を放置しておくわけにもいかない。
発煙筒の煙は低い位置に溜まっていっているようだった。私はリョウをテーブルの上に登らせて、自分も登り、機皇帝に手を伸ばす。
「私は大丈夫……」
「有毒かも知れませんから、早く!」
機皇帝は私の手を握り、テーブルの上に這い上がってくる。
私が丸腰なのはともかくとして、どうしてこの人は武器のひとつも持っていないのだろうか。影武者とはいえ不用心だと思う。
建物の周辺をヘリコプターのようなものが周回している音が聞こえる。それからなにかを削り取るような音。私は耳をすませる。
「下です!」
私の声に反応したライブラリアンが、床に向けて武器を構える。
ぼこり、と床が外れる音がして、ライブラリアンの一人が声もなく床に引きずり込まれた。




