第二十九話 これを着ていればいつでも
「リースくんおはよう、ボクが来たよ!」
リョウは大きな声で挨拶しながら重いライブラリの扉を開ける。声は静かなライブラリに飲み込まれていった。奥のテーブルではリースが楽しそうに待っていた。
「おはようリョウ。君のお母さんはアヤとお仕事があるから、今日は僕と遊ぼうか」
「うん! なにして遊ぶ?」
「僕のコレクションを見せてあげるよ。おいで」
「リョウ、ライブラリでは大きい声を出さないのよ」
「はーい!」
リースはリョウとほとんど変わらない身長だけれど、おそらくリョウよりもかなり年上なのだろうと思う。
知識量からすると、私より年上の可能性すらある。それならば、ああやって小さな子供と遊んでくれるのも納得がいく。子供がかわいいのだろう。
「では、今日はこちらの本を音読していただきます」
「アヤちゃんあのね、実は私、本を読んでいると集中し過ぎちゃうところがあって……。だから、アヤちゃんが疲れたら、その、いつでもいってね」
「そんな気はしていました。ヨシエ様は本がお好きなのですね」
「ま、まあまあかな」
好き好んでこの役目を果たしていると気づかれては、交渉の材料にもならないのではないかと考えたが、さすがにリースにも既にバレているのだろうと思う。
そのせいか、私が翻訳すべき本には興味深そうなものがいくつも取り揃えられていた。
たいていは百年二百年も昔の書物で、フォーレンとも王都とも違う遠い国のものだ。この近辺の本ならば古典でも、ライブラリアンは読むことができるのだろう。私が翻訳させられているのは、フォーレンに読める人間がいない言語だ。
少し離れたテーブルでリョウとリースが遊んでいる声が聞こえる。珍しいおもちゃを見せてもらったり、ゲームの話をしているようだ。リョウが話し過ぎなければいいがと少し不安になる。
「ママー、リースくんがお昼ご飯食べようって」
「えっ、もうそんな時間なの」
まだ数冊も翻訳を片付けていないのに、いつのまにか昼を過ぎていた。
「君たちの部屋で食べようか。あそこは広いし明るいからね」
「ママ、リースくんから本を貰ったんだよ。フォーレンの絵本!」
「いいんですか? ありがとうございます」
「僕が子供の頃読んでいた本だから、かなり古いよ」
リースはとても親切な笑顔を作るが、その様が逆に疑わしく思える。
フォーレンの人々はあまり感情を表さないから、リースの笑顔がかえって目立つのかも知れない。
私たちの部屋でパンと燻製肉と果物の昼食をとる。リースにそう指示されたのか、今日はアヤも一緒のテーブルについて食事をとっていた。
「パパ、まだ帰ってこないのかな」
「ケンイチとユウカには軽食を持たせたから大丈夫だよ。そろそろ車の引き上げも終わった頃じゃないかな。楽しみだね、車」
「ボクんちの車はねえ、白いんだよ。とっても大きいの。七人乗れるよ」
「へえ、そんなに。ところでヨシエ、提案があるんだけれど」
「はい」
「僕たちとともに働かないか」
「えっ」
唐突な提案に驚いたのは、私だけではなくアヤも同じようだった。
「君たちは冒険者だから、いつかはこの町から旅立ってしまうのだろうけれど、任期付きという形でもいい。他のライブラリアンの承認も得ている。あとは機皇帝にお目通りするだけだ」
「ヨシエ様がライブラリアンに……?」
「いや、さすがに正式には無理だろうから、見習いといった立ち位置になるけどね。もちろん給金は支払われる」
「ママ、おしごとするの?」
私がこの都市で働く。想像もしていなかった事態に私は少し考える。
ライブラリで働くのはもちろん私だけだろう。家族と一緒にいられる時間が少なくなってしまう。とはいえ、冒険者ギルドで発注されている多くの仕事は、私はあまり役に立たない。それならば、一人でここで働くのは先行き不安な生活資金の足しになる。
悪い話ではない。ケンイチはあまりいい顔をしないだろうけれど。
「考えさせてください」
「断るんですか!?」
アヤが大きな声で私を咎める。
彼女はライブラリアンに憧れていて、いつかは自分もそうなりたいと願っているのだろう。この話を断るなど信じられないといった顔つきだ。
「断るとはいっていないけど、ケンイチにも相談しないといけないし」
「そうか、彼がパーティーリーダーだからな。もちろんいいよ」
機皇帝とやらの面談があるのならば、フォーレンの中枢に入り込むこともできるだろう。ここでの仕事に就けばヒロトのことをなんとかすることもできるかも知れない。この都市で少しばかりの資金を稼いでから王都に行けばいい。
私の中では、ある程度意思が固まっていた。
午後からの仕事の前に、リースにいわれて備品室のような場所に連れて行かれる。
ここはライブラリのように整然としておらず、木箱やブリキの箱が積み上げられ、掃除用具や衣類も雑多に置かれていた。
「あったあった、これだ。ヨシエはこれを着ておくといいよ」
リースが棚の奥にあったケープを取り出して、埃を払う。
リースが着ている制服と同じ深い緑色の厚手の布で作られていて、襟には金縁の装飾がしてある。
「これは?」
「仮のライブラリアンとしての証みたいなものかな。これを着ていればいつでもライブラリに入れるし、どの本を読んでもいいよ」
「ほんとですか」
あまり喜び過ぎないように、無表情を装う。
「ママいいなー」
「じゃあ、リョウはこれを被る? 僕が昔被っていた帽子だけど」
「わーい! ありがとうリースくん!」
リースは同じ棚から少し古びた帽子を取り出して、リョウの頭に被せる。
私たちは仲間として認められた。そんな喜びに操られてしまいそうで、できるだけその感情を振り払う。




