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第二十二話 親切な老人が湿地の底なし沼に落ちる話

 部屋に備え付けられた風呂の仕組みを探ろうと思ったが、外側から見た感じではよく分からなかった。

 イラミザの宿のように、魔法を封じ込めたエネジェムを使って沸かす仕組みではないらしい。

 ダイヤル式のボイラーのようにも見えるが、エネルギーはなにを使っているのだろう。

 湯量も豊富で、高いビルの上層階まで水を汲み上げる技術もある。ここまで高度な技術があるにも関わらず、近隣の町にはその技術が伝わっていない。


 アルカードは「フォーレンは技力を広く提供するべきだ」といっていた。それは正しいのかも知れない。

 とはいえ、イラミザは魔法に頼った牧歌的な町だった。あの景色が失われ近代化されるのは、少し寂しくもある。


 一人一部屋以上の寝室があったのだが、リョウは一人で眠るのは怖いというので、私のベッドで添い寝をした。ふかふかのベッドに沈み込むように、私たちはすぐに眠りについた。


 お茶とパンの香りで目を覚ます。寝室から出ると、アヤがリビングのテーブルに朝食を配膳しているところだった。ぴっちりと一つに結ばれた髪は、窓から差し込む陽光を飲み込むように黒い。


「ありがとう。手伝いましょうか」

「いえ、仕事ですから」


 アヤは事務的に返事をして、テーブルに食器を並べる。

 配膳用の金属ワゴンに、補充の紙とペンが載せられていることに気づく。


「フォーレンの人は、みんな優しいのね」

「そうでしょうか」


 アヤは少し驚いた顔をしたが、すぐに無表情になり配膳を再開する。


「最初はちょっと取っつきにくいと思ったけれど、意外とみんな親切で、特に子供に優しいの。フォーレンの人たちは子供に親切にするように教育されているの?」

「そんなことはありませんが、フォーレンにはスワンプマンの物語が語り継がれています」

「スワンプマン」

「親切な老人が湿地の底なし沼に落ちる話です」

「ああ、ここに来る途中にあった沼……」

「老人は沼の中でスワンプマンとなり、たくさんの生き物や機械を生み出して、フォーレンを豊かな都市にしたという昔話です」

「へえ、面白そう」

「朝ごはんだ! あっ、アヤちゃんおはよう!」


 スワンプマンの昔話についてもう少し詳しく聞きたかったのだが、リョウが起きてきたせいで話が中断してしまった。


 朝食を終えた頃、アヤがまた部屋に戻ってきた。


「今からライブラリアンとの謁見があります。あとでまたこの部屋に戻ってきますので、荷物は置いたままでもかまいません」

「ボク、ランドセルは持って行くよ」


 リョウはランドセルを背負い黄色い帽子を被って、部屋の中をぐるぐる回る。

 荷物を置いていっていいといわれたものの、不安もあるので一応私もエコバッグは持って行くことにする。

 ユウカとリョウが落書きをした紙や羽根ペンは、そのままテーブルの端にまとめておいた。


 機械都市フォーレンはまだ朝靄に包まれていて、下層の景色はよく見えなかった。ところどころに気球が飛んでいくのがかすかに見える。

 ヒロトは無事だろうか。朝食は食べただろうか。またそんな心配をしていることに気づき、できるだけ考えないようにする。

 この世界では私よりもヒロトのほうが強いのだ。フライデーもヒロトの味方のようだし、いざとなれば珀刻(こはく)もいる。なにも心配することはない。


「ねえねえ、ライブラリアンってえらいの?」


 ユウカはデッキを歩きながらアヤに尋ねる。


「この都市を統括しているのは機皇帝です。ライブラリアンは、機皇帝の元に組織されています。ライブラリアンは憧れの存在ですね」

「アヤちゃんもライブラリアンになりたい?」

「そんな、私なんかはとても」


 アヤは恐れ多いといった表情でそれを否定する。


「アヤちゃんでもなれないのかあ。じゃあきっとすごくえらいんだろうねえ」


 話をしているうちに、中央の建物にたどり着く。


「ここが機械都市フォーレンの中枢……」

「ここからじゃもう、湿地も見えないね。地面がどのくらいの高さにあるかもわからない」

「ライブラリはこの建物の下層近くにあります」


 円柱状のビルのデッキには大きな扉があり、スライドして開く。

 ガラスの扉なので自動ドアの構造がよく見える。歯車でワイヤーを巻き上げる仕組みの自動ドアだ。

 近づいてみるとビルのあちこちがガラス張りになっていて、内部の骨組みや配管が黄金に輝いている。技術力を見せつけるために作られたような建築物だ。


 ガラス製のエレベーターで下に降りていくと、各フロアで働く人々の姿が見える。

 階層が下がるごとに陽の光が差し込まなくなってきて、あたりは暖色系のランプに照らされている。

 地上近くの階でエレベーターが停まる。

 このフロアはガラス張りではなく、真鍮色の装飾とこげ茶色の壁紙で囲まれていた。昭和の映画館みたいな革張りの扉を開けると、中は図書館のようになっていた。


「わあ、すごい……」

「学校の図書室より何倍も広いね」


 よく見ると本だけではない。

 なんらかの機械や魔法の道具と思われるものや、エネジェムで動いている道具も並べられている。

 木や土で作られた人形、楽器、様々なものが高い天井まである書架に陳列されていた。


「ここの本って、一般的の人は読めないんですか?」

「ええ、ここはライブラリアンとごく上層部の人間にしか公開されていません」

「それはそうですよね」


 久しぶりにたくさんの書物を見てテンションが上がってしまったが、やはり私たちには読むことができなさそうで、少し気落ちする。


 いくつかの書架のあいだを抜けて、テーブルのある閲覧席にたどり着く。

 そこにだれもいなかったので、アヤは少し眉を潜めて周囲を見渡す。


「少しここでお待ちください」


 だれかを探すように、アヤはさらに奥の方へと歩いていった。

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