第一話 それぞれが得意なこと
厨房からスネ肉を煮込む香りが漂ってくる。
私は酒場の裏の水場で、桶いっぱいの芋を剥きながら空を見上げる。正午も近いけれど、大きな太陽とそれに寄り添うような少し小さな太陽は、まだ低い位置にある。
私たち家族がこの世界に転移してきたときには、まだ秋だったけれど、あれから一ヶ月以上は経っているのだ。
この世界に四季があるのならば、まもなく冬がやってくるのだろう。
「ママ、手伝おうか?」
厨房の勝手口を開けて、ユウカが声をかけてくる。
相変わらずイヤホンはつけっぱなしで、ポケットの中のスマートフォンにつながっている。音楽でも聞いているのだろう。
「ユウカもう帰ってきたの。あっ、もうお昼になっちゃう。大変」
私はシャツワンピースのポケットからスマートフォンを取り出して時間を確認する。ロック画面には2022年11月18日、11時41分と表示されている。
魔法でスマートフォンの時間を戻したことがあるので、数日ずれている可能性はあるが、なんとなくそのままにしてある。
この世界では正確な日時や曜日を知らなくても、たいして困ることはなかった。
「お芋、全部剥くの?」
「うん。でもいいよ。ヒロトたちとレベル上げしてたんでしょ」
「スライムなんか倒しても全然レベル上がらないし、あいつらすぐ私を盾にするからもういいよ」
ユウカはふくれっつらをして、椅子代わりに置かれている丸太の上に座り、小型の包丁を手に取る。
「盾にされるのが嫌なら、ちゃんとそう伝えればいいよ」
「ママと厨房の手伝いをしてるほうがラク」
「でも、いざという時に戦えないと困るでしょう」
剥きかけていた芋を桶に放り投げて、ユウカは不機嫌そうに話し始める。
「ママはさあ、女の子だから家事を手伝え、みたいなことを私にいわなかったけれど、自分はそういう役割ばかり背負ってるよね。この町での滞在中も結局レベル上げをせずに、酒場の手伝いや宿の掃除ばっかやってるし」
「そんなことないよ。教会の修復も手伝ったりしているし。そもそも、私のスキルは対象の情報を閲覧するだけで、戦うこともできないし、レベルが上がっても意味がなさそうだから」
「その包丁は戦うために買ったんじゃなかったの」
私は自分の手にしている包丁を見る。確かに、自分や家族の身を守るために買った包丁ではあるが、肉の切れ味はいいし芋の皮も剥きやすい。
「それぞれが得意なことをすればいいんだと思うよ」
「それなら、私はこっちを手伝うの」
「そっか……」
子育ても難しいものだと思う。三人とも同じように育ててきたつもりだし、ユウカばかりに世話役や盾役をさせたくない気持ちはある。
ただでさえ長女だし、弟たちが甘えてくるのも無理はない。
ジェンダーロールとやらに縛られた生き方をして欲しくはないが、昭和に生まれて昭和に育った私には、その手本となるのはなかなか難しい。
「あっ」
再び手にした芋を、ユウカが取り落とす。酒場の勝手口側の道は緩やかな坂になっていて、落とした芋が転がっていく。
「大変」
立ち上がって芋を追いかけようとすると、更に何かが転がっていく。
「なにこれ」
「……石?」
振り返ると、小石がいくつも転がってきている。屋根の上から転がり落ちてきているようだった。
「わーっ、ママー! ユウカー! 逃げてー!!」
「ヒロト!?」
上空から現れたのは、羽の生えた魔物だった。
全身は石でできており獣のような顔と羽を持っている。ほとんど崩壊した片翼でバランスが取れずに、魔物は屋根にぶつかり落下する。その曲がった背中の上に、なぜだかヒロトがしがみついている。
「わああ、もうだめだ!」
ヒロトのスキル、遊戯創生によって具現化された、珀刻というゲームキャラクターが屋根伝いに走ってくる。
「ヒロト、ガーゴイルの右翼も壊せ!」
坂の上からケンイチが駆け下りてくる。
コントローラーを持っていないところをみると、ヒロトから離れすぎたために、遊戯創生が使えなくなってしまったのだろう。
「や、やろうとしてるんだけど」
ヒロトを乗せた魔物はコントロールを損ない、屋根にぶつかりながら行ったり来たりを繰り返している。
崩壊した破片が小石になって降ってくる。
ヒロトは片手で魔物の首に掴まり、片手でコントローラを操作しようとしているが、うまくいかないらしい。
珀刻は虚空に向かって双剣を振るったり、屋根の上で無駄にジャンプしたりを繰り返している。
「ヒロト!」
「凝望壁!」
背後でユウカの声が聞こえ、壁が出現する。
ユウカは半透明な緑色の板状になり、その背を屋根よりも上に伸ばす。ユウカのスキル、凝望壁だ。
「的……? ここにぶつかれっていってんの!?」
凝望壁に表示された射的の的のようなマークが、返事をするように点滅する。
それでもヒロトが躊躇しているので、的の中心に「100ポイント」と表示される。ユウカの呆れた顔が目に浮かぶ。
壁状態になったユウカは喋ることができないので、しばしばこのようにして意図を伝えてくるのだ。
「ユウカなら大丈夫だ! ヒロト!」
「えーい、もうどうにでもなれっ!」
ヒロトはコントローラーを放り投げ、石の魔物の首を強く締め上げる。
魔物が雄叫びを上げ、口から大量の水を吐く。馬の手綱のようにその首を引き、片翼の魔物は猛スピードで凝望壁にぶつかる。
「わーん、ヒロトーっ!」
坂の上からリョウの泣き声が聞こえる。