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 兄がまた、なにか余計なことを云いそうなので、スナーは機先を制した。「そういたしましょう」

 ざわめきが更に酷くなる。同じ学科に通い、三年間ほとんど毎日隣の席だったトロ・カール女史が、顔を赤くして喚いた。

「まあ、そんな不敬な話がございますか、殿下! おふた組とも、婚約は(しゅ)に誓った神聖なもの! 殿下のなさりようはあんまりです!」

「そうですわ! よりによって、あの「沼の貴公子」などと……!」

 やはり、隣の席や同じ班になることが多かった、オック・スラミヤ嬢も、咽をしぼって叫んだ。周囲の卒業生、特に女性達が、鳴いたり喚いたりしている。

 沼の貴公子……とは、なんでしょう。

 スナーは、貴族の名前や領地の産物、縁戚関係などは頭に叩きこんでいる。しかし、噂話や醜聞に関しては、覚えても無駄だと、耳にはいっても捨てていた。それにしても、沼の貴公子とは?


 ニェトは目を白黒させた。それから、なんでもないように云う。

「しかし……スナーは承知した」

「殿下!」

「なにを!」

「このような場で婚約を破棄されて、まともに考えごとなんてできませんわ!」

 女性達が喚き散らす。

 ニェトがスナーを見る。そうなのか、という問いかけだとスナーにはわかった。それくらいなら、話は嚙みあうのだ。しかし、ニェトにとっては、バグだけしか本当の意味では話を聴いていないのだと云う。

 スナーは軽く、頭を振った。

「いえ、わたくしはまったく正常ですし、判断力もございます」

「そうか、それはよかっ」

「なにがよいのですか、殿下!」

 オック嬢が尚更喚いた。「ならばせめて、ライ卿ではなくお兄さまのソーマ卿と……! あのおかたはまだ婚約なさっていません!」

「ならぬ。スナーが承知した。婚約者の交換は、(しゅ)の御言葉でまもられている権利であり、正しき(しゅ)に捧げられる神聖な誓いだ。破ることはできぬ」

 女性陣がぴたりと口を噤む。


 ニェトの云っていることは、正論だ。婚約しているふた組が、婚約者を交換するというのは、ジャシ皇国では正式に認められた権利なのである。そして、四人のうち三人までがそれを承知した場合、覆すことはできない。

 ニェトにとっては、スナーと穏便に婚約を解消し、バグと正式かつ神聖な婚約を結ぶ、最適な手段だったのだ。でも、ニェトさまはライ卿の言葉を伝えるのをためらい、困っていらした……。

 この「婚約者の交換」には、もうひとつ、重大な()()がある。

 婚約者をとりかえたふた組は、どうあっても婚約を解消できないし、婚姻を結ばなければならない。その相手と結婚できない場合、生涯独身を通す。

 つまりスナーは、「沼の貴公子」とやらと結婚するしかないのだ。




「スナー、どうして承知したのだ!?」

 スナーは、父の裳の期間でもありますので、と宴の場を辞し、従僕に案内されるまま控え室に居た。

 椅子に行儀よく腰掛け、膝の上で手を揃えるスナーに、兄が喚いている。スナーはつめたく兄を見ていた。

「宜しいではないですか。バグ嬢は、ニェトさまに相応ですわ」

「ああ、あのばか皇太子にはぴったりだとも、あのうすのろ」

 スナーは立ち上がると、平手で兄をひっ叩いた。

 兄がもんどり打って倒れる。手応えがあったので、かなり()()()だろう。

 スナーはすとんと椅子に腰を下ろし、膝の上に手を置く。

「お兄さま、いずれ国母となるかたです。口を慎んでくださいませ」

「なにを……お前、自分の座を奪われたのだぞ! 悔しくないのか!」

「なにを悔しがりますの?」スナーはふんと鼻を鳴らす。「もし、約束どおりに殿下と結婚していたらと思うと、ぞっとしますわ。殿下のお傍で、自分がいかに無能で愚かで救いがたいまぬけか、毎日毎時間毎秒思い知らされますのよ。そんなのごめんだわ」

「スナー、そういう可愛げのないところが殿下にきらわれたのだ!」

 兄は立ち上がってそう喚く。スナーはそれを、じっと、ひややかに見詰めていた。


 ニェトさまなら、今の言葉が真実ではないとわかっただろう。

 実際、ニェトさまのお傍で自分の無能さを見詰めるのはいやだったけれど、それ以上に、これは国の為だ。

 バグ嬢はニェトさまのあちらこちらへ飛ぶ話を、辛抱強く、口をはさまず、真剣に聴く力がある。

 バグ嬢と知り合って、話すようになってから、殿下の化粧領は皇都に勝るとも劣らない発展を果たした。バグ嬢の真摯で飾らない、真実のみを語る態度が、ニェトさまにいい影響を与えたのに、どうしてこのひと達にはそれがわからないのだろう?


 スナーは呆れていた。亡くなった父から、兄はなにを教わったのか。クリーチ家の本懐とは、皇家を支え、ジャシ皇国を栄えさせることにこそある。自分が国母になれないくらいなんだというのだ。皇家の為に最適な人材なら、交代することはやぶさかではない。

 それに、ヤオカム家の次男坊がどんな人物かは知らないが、ヤオカム家がどれだけ皇家に尽くしてきたかは知っている。だから、そこと縁付くことは、クリーチ家にとっては喜ばしいことではないか。


 兄はまだまだ喚いていた。しかしスナーは、もう云い返すのも面倒で、兄には喋るだけ喋らせておいた。

 スナーの態度が気にくわなかったのか、兄はふんと鼻を鳴らす。

「スナー、お前とは話があわない」

「ええ、本当に」スナーは頷く。「同意しますわ」

「賢いのか愚かなのか知らないが、お前のように俺にたてつく妹が戻ってきては、家中に混乱を招く! 二度とクリーチ家の領地へ足を踏みいれるのじゃない!」

 突然の暴言に、スナーは寸の間言葉を失った。クリーチ家はどうあってもスナーの生家なのだ。その領地に這入るな、つまりクリーチ邸へ戻るなとは、あんまりだ。

「お兄さま、なにを……わたくし、卒業いたしましたのよ! 行くところなんてございませんわ」

「ヤオカム家があるだろう!」

 兄が勝ち誇ったように云い、にやにやした。

「持参金なら後でおくってやる。心配するな。気色の悪い沼の貴公子と結婚するのを承知したのは、お前なのだし、文句はないだろう?」

 気色が悪い?

 兄はヤオカム家の次男について、なにか知っているらしい。スナーが問いただそうとした時、控え室の扉を従僕が開けた。「ヤオカム家次男、ライ・ヤオカムさまのお越しです」

 兄妹は揃ってそちらを見た。

 黒いローブをひきずった青年が居た。




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