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「侯爵令嬢スナー・クリーチ、お前との婚約を解消する!」


 皇立学校の卒業記念宴の場で、皇太子ニェトが宣言した。


 名指しされたスナーは、頬をうっすら紅潮させた。

 桃の果肉色の髪は、鏡のようにつやめいてまっすぐ、くるぶし辺りまで伸びている。皇立学校の黒いドレスではなく、裾の長い、足を完全に覆い隠す、地味な白のドレスを着ていた。

 ここ、ジャシ皇国では、白は本来喪に服す色である。彼女にはその色のドレスを着る理由があった。つい昨日、故郷に居る父の死を報されたばかりなのだ。


 クリーチ侯爵家は、ジャシ皇国建国時からの譜代である。建国七英雄の子孫の一族だ。

 その領地は皇都から遥か西にあり、宝石や金属がとれる鉱山と、良質な水で莫大な財を築いている。


 スナーとニェトの婚約は、スナーがうまれて三日後に決まった。

 建国七英雄の子孫で、財力も政治的な力も申し分がなく、その上、皇家に対して従順で逆らうそぶりをまったく見せないクリーチ家は、皇家にとってみれば安心できる婚姻相手なのだ。

 現に、今までも皇家とクリーチ家の婚姻は、数限りなく結ばれてきた。

 だからスナーも、自分の意思とは関わりなく、皇立学校を卒業したらニェトと結婚して春宮殿へ参り、ニェトにつかえるのだと思っていた。




 しかし、皇太子ニェトは、スナーとの婚約を破棄すると云う。




 スナーはなにも云い返さなかった。長年の経験で、ニェトが自分の話を聴こうとしないのはわかりきっていたからだ。

 基本的に、ニェトは優秀である。スナーは自分が、彼より賢いと思うほどうぬぼれてはいない。

 しかし、ニェトは頭が()()()()のだ。だからか、彼は有力貴族の子ども達との会話もまともには続けられず、皇太子でありながら皇立学校ではほぼ孤立状態で、爵位持ちの貴族達からも「不正の追及に()()がない」「正しすぎて身を滅ぼす」と煙たがられていた。


 スナーは思う。ニェトさまがおっしゃるのなら、なにかしら理はあるのだろう。彼は正しいひとだから。

 だけれど、このような場で高らかに宣言する必要があったのかしら?




 ニェトが軽く手を振ると、彼と同年代の貴族令息のなかでほぼ唯一まともに会話が成り立つ、伯爵の跡取りであるパナ・ケイア卿がすすみでてきた。小柄なパナ卿と同じくらいの身長の、バグ・ラー嬢をつれて、だ。

 スナーは脈動がゆっくりになっていくのを感じた。バグ嬢ならば、ニェトさまをなんとかできる。




 バグ・ラーは、なにが起こっているのかわからないようで、きょとんとしていた。

 そうでなくとも、普段からぼんやりした顔付きをしていて、特別美人という訳ではない。野良猫のような、白と銀と灰色が斑になった髪をしていて、それも野放図に伸ばし、きちんと手入れしているふうではない。

 女にしては背が高いし、どことなくちぐはぐで、不格好な印象をうける体型だ。それが姿勢や歩きかたの所為だとスナーは何度も指摘しているのだが、バグ嬢は不器用で、それを直すことができない。

 ただ、はっとするような美しい、若葉の緑の瞳をしている。

 ニェトはセリバヒエンソウの葉に似ていると云っていたが、うら若い乙女の瞳を毒草の色に例えるのはどうかと思う。ぴったりなので、誰も指摘できないのだが。

 スナーの瞳は、枯れる前のペラペラヨメナのようだとニェトに云われたことがある。それはまったくいいえて妙なので、スナーは云い返さなかったし、やはり誰もなにも云わなかった。


 バグ・ラーは、北方に領地を持つ、ラー伯爵家の娘である。

 といっても、前・伯爵が下女に手をつけてうませた子だ。

 彼女の父親は無責任な人物だったことで有名で、文字が読めず口もきけない若い娘を「下女」にし、身籠もらせては追い払っていた。

 我が家で汚らわしいことに及んだはしたない娘だ、こんな下女は要らぬ、と。

 そんなふうに追い払われた娘達は、どうしようもなくなって、伯爵邸の傍にある谷に身を投げて死んでいた。

 だが、バグ嬢の生母だけは、のんびりと歩いて実家へ戻った。彼女は前・伯爵からの罵倒の意味さえ、わからなかったのだ。

 善良な彼女の生家は、やはり善良で、娘の妊娠を責めることはなく、元気のいい若者に告発状を持たせて皇都へ送り出した。

 バグ嬢の母親は、お産の時に無理をして、亡くなっている。バグ嬢自身も、うまれてしばらく息をせず、そもそも小さく産まれて、生きるか死ぬかだった。


 皇都でラー伯爵の告発状が役所に受理され、ラー家には司直の手がはいった。

 その結果、精神薄弱の娘達を捕まえては「召し抱え」、身籠もらせた後自死させていたことが発覚し、ラー前・伯爵は刑死。家自体も領地を大幅に減らされ、しばらくは皇家から送りこまれた管財人がすべてを見張ることになった。

 バグ嬢は、母親を失ったものの、母の家族や皇家が手配した乳母の手で、すくすくと成長していた。

 しかし、母親に似たのか、お産で無理をしたことが悪かったのか、バグ嬢は長じてからも子どものような言動を繰り返し、自分の名前や限られた文字しか書けず、数字も三十まで数えるのがやっとだ。

 ジャシ皇国は長子相続が、国法で定められている。前・ラー伯爵には、生きている子どもはバグしか居ない。ということで、バグは伯爵になる教育をうける為に、皇立学校へ無理にいれられたのだ。




 バグ嬢は相変わらずのぼんやり顔だったが、ニェトが微笑みかけると微笑みを返した。しかし、茫洋とした表情である。

 ニェトは彼女を片腕で抱き寄せる。表情は険しい。

「スナー、お前になにか悪いところがあるというのではない。だが、お前とでは話をしていても嚙みあわぬ。それでは夫婦としてやっていけない。わたしの歩み寄りが足りないと云えばそうだが、こちらも努力はしたのだ。だからわたしは、バグと婚約する」

 大広間のなかが一気に騒がしくなった。


 あの、()()()()のバグ嬢と、皇太子が?

 どうしてよりによってバグ嬢なんだ。

 バグ嬢にはお似合いの相手が居るだろう……。


 そんな声が響き、ニェトは鼻に皺を寄せてからまた、叫ぶように云った。

「今度のことは、父上もご存じだし、ゆるしを得ている! クリーチ家はなにか、文句があるのか?」

「ございません」

 スナーは即座に切り返した。でなくば、妹の晴れ姿を見る為にたまたま皇都へ出向いており、父が事故死した為に急に爵位がまわってきた兄が、ニェトに殴りかかるかもしれなかったからだ。どうしてだか、兄は短気で考えがない。


 スナーはニェトを見詰める。

「わたくしでは、ニェトさまの話し相手には不充分だというのは、かねてより考えていたことでございます。ニェトさまから婚約の破棄を云いだしてくださって、安心しておりますわ。わたくしから申す訳にいかぬことです。わたくしでは皇太子の妻の任は重かったですから、助かりました。ご配慮戴き、ありがとうございます」

「そうか。納得してくれたのなら、よかった」

 ニェトはにこっと笑った。ニェトに皮肉やいやみは通じないし、スナーもそういったことは云わない。

 ニェトに対してはまっすぐに、真実を云うしかないのだ。それを云っても、賢さ故に話が嚙みあわないのだが、

 父兄達のなかから、兄が転びでた。

 スナーはそれを、ぎろりと睨む。口を開いていた兄は、さっと閉じた。


 スナーはニェトへ向き直り、バグ嬢をちらっと見た。

「ですが、ニェトさま。バグ嬢には婚約者が居らした筈。そのかたはどうなさるのですか」

 たしか、ヤオカム子爵の次男、ラ……ラオ? だか、ラウ、だか云う青年と、バグ嬢は、婚約していた筈だ。ヤオカム子爵家は数百年前に皇国に加わった、北方の湖沼地帯を、代々統治していた一族である。もともとは湖沼地帯の国を統べる王家だった。


 ヤオカム子爵家は、皇国に編入されてからは皇家へ尽くし、信望厚い。

 ラー伯爵家とは領地が近いし、皇家にとって()()となりかねない不祥事に終止符を打つには、信望厚いヤオカム家が出てくるのがまっとうな道筋だろうというのは、スナーにもよくわかる。ヤオカム家の人間がバグと結婚し、ラー家の実権を握れば安全だ、ということだ。


 だから、そのラオだかラウだか云う青年が、バグと婚約していたのは、多分に政治的な側面があったのだ。

 といっても、(しゅ)に誓った神聖な婚約である。ニェトとスナーは、双方同意で穏便に解消したが、ヤオカム家は信仰に厚いことでも知られているので、皇太子の「横取り」を、一体どう思うか……。


 というか、そのヤオカム家の次男は、なにをしているのかしら?

 自分の婚約者が皇太子の婚約者になったのに、異を唱えるでもなく、こちらの婚約を解消しますと宣言するでもない。

 学科が違うから顔を合わせたことはないけれど、()は同学年で、卒業宴に顔を出さないなんてことはないでしょうに。


 スナーの疑問に対し、常日頃なにも困ったことなどないだろう賢いニェトが、困った顔をした。

 婚約から十七年、はじめて顔を合わせてから十四年経って、初めての困り顔である。スナーは度肝をぬかれた。

「ああ……あれはなあ……」

 ニェトはうんざりした様子で、もごもごと云う。「あれは、バグとお前を交換したらいいと云うのだ」




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