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6 平和の崩落

 ジリリリリ……


 スマホのアラームは性に合わなくて、婆ちゃんから譲り受けたアナログ時計のベルが鳴る。


「ふぁぁぁ……」


 瞼をこすりながら枕の斜め上に置いてあるベルを止める。時刻は七時四十分過ぎ。あと二十分で家を出なければ遅刻。いつも暇だ暇だとほざく癖に、朝は忙しいことこの上なし。夜の時間を朝に運べればいいのに。


 布団を上げもせず、青と白のスプライト柄……? だっけ……? とにかくパジャマを脱ぎ捨て、クローゼットに掛かるワイシャツを掴む。


 高級レストランにあるテーブルクロスのようにシワ一つない真っ白なワイシャツは昨晩婆ちゃんがアイロンをかけた賜物だ。寝ぼけている俺は腕を通すのに三回も失敗した。お陰でワイシャツには既にしわがついてしまった。


 俺の部屋は実にシンプルだった。趣味も夢もない高校生には七畳ほどの和室は広すぎる。


 始めはここを部屋にすることを嫌がったが、婆ちゃんも爺ちゃんも腰が悪い。なので仕方なく二階で一番狭いここが俺の部屋となった。


 和室には不釣り合いな勉強机、イマドキどこで売っているのか分からない古風な茶色いタンスにどこにでも売っている洋風なクローゼット。後は布団と本棚が二つ。といっても本棚はすっからかんで、鞄に詰められていない教科書や前島に借りた(俺はいいと言ったのに、アイツが無理やり押し付けた)マンガやラノベしかない。前島の本棚、と言っても過言では無い内容だった。


 ……こう見ると、シンプルというよりフリマで寄せ集めたようなアンバランスな部屋だ。


「よしっと……」


 ブレザーに袖を通し、リュックは背負わず、左手で掴みながら部屋を飛び出す。相変わらずないドアノブを回そうとしてしまう。引き戸には未だに慣れない。


 キィキィ泣き喚く階段を早足で駆け下り、キッチ……台所に顔を出す。


「婆ちゃん、おはよう」


「ああ、おはよう」


 カタツムリもびっくりなゆったりとした発音。こちらは急いでいるというのに、のろのろと皿を洗う婆ちゃん。少しだけ苛立ちを覚えた。


「弁当、ある?」


「ああ。朝ごはんの隣に置いてあるよー」


 俺は言葉の途中で、婆ちゃんから目を逸らし、居間のちゃぶ台へ目を向ける。お、あったあった。まだ婆ちゃんはしゃべっているが、俺は躊躇なく席に着き、箸を握った。


「いただきまーす」


 湯気が立つ白米、小皿に置かれる深紅の梅干し、乾ききった黄金色の沢庵、相変わらず味の薄い味噌汁。たまにはオムライスとか食べたいなぁ。


 爺ちゃんと婆ちゃんは畑仕事をしながら、二人でほっそりと暮らしている。手伝ったことなどないが、見れば分かる。畑仕事というものは過酷を超える過酷なものだ。曲がり切った婆ちゃんと爺ちゃんの腰は嫌という程見てきた。


 ちゃぶ台に一人ということは、今頃爺ちゃんは畑に出ているのだろう。窓に目をやると、隣接する畑の中心には爺ちゃんが腰を抑え、何やら作業をしていた。こんな朝早くから仕事なんて……農家にだけはなりたくない。


「ご馳走様」


 味は薄いが、料理の完成度としては星五つの朝飯を掻き込み、弁当をリュックに詰める。自転車に乗っている途中でひっくり返らないよう、配置に工夫を施さなければ。


「いってきまーす」


「いってらしゃいねー」


 ひび割れたしわしわの手で洗い物をする婆ちゃんのいる台所に再び顔を出し、バタバタと玄関へ向かう。使い慣れた白いスニーカーは商店街の中にある常に『割引セール中』という広告が出っぱなしの靴屋で買ったもの。


 一つ、呼吸を置き、扉を引く。視界に広がるのはいつも通りの風景で、あやかしの肉たちはどこにもない。それどころかそんなものがあった形跡すら感じない。流石政府公認の組織。仕事が完璧、まさに快刀乱麻だ。


「さっむ……」


 まだ十一月、もう十一月。北風らしきものが俺の頬を擽る。この中を自転車で通過しなければならないのか。地球とは実に過酷な星だ。明日はマフラーかネックウォーマーが必要かもしれない。


 自転車に鈴のついたカギを差し込み、スタンドを蹴る。あー寒い、寒い。コンビニや自販機がその辺に落ちていれば、ホットココアかコーンスープを買っているに違いない。


「よっこらせーっと……」


 しかしないものは仕方がない。居間の時計で確認した時刻は八時三分前。全力で漕げば、余裕でセーフ。全力を出している時点で余裕とは言えないかもしれないが、まぁいい。遅刻さえしなければ、それでいいのだ。




「おーす。ホームルームはじめっぞー」


 担任が現れたのは俺が席に着いた五秒後だった。セーフだなんてほざいていた三十分前の自分が恥ずかしい。これも全てあの忌々しい北風のせいだ。


「今日は特に知らせることはー……あーそうだ。昨晩から海葦小学校の女子生徒が行方不明らしい。お前らも気をつけろよー」


 それだけを言った担任は首を掻きながら、職員会議でのことをまとめたらしいノートを眠そうな目で見通す。どうせロクなことは書いていない。


 しかしやる気のなさそうなのは皆同じで、俺だけが先生の言葉に引っかかっていた。


 女子生徒が行方不明。あやかしは人間の魂を喰う。昨日の説明が頭に浮かび上がってしまった。

まさか、まさか……な。


 心臓が震える。ただの迷子であることを願いたかった。五人+担任にバレないよう、ちらりと新宮の方を向く。こっちを見てくれと強い視線を注入する。


 三、四秒後。気付いたらしい新宮と目が合い、小さく首を縦に振った。


 つまり、そういうことで、ある。


 心臓だけでは留まらない。全身が震え、鳥肌が立ち、十月なのに汗が垂れかける。


「あーそうだそうだ。警察が捜索に来るらしい。お前ら騒いだりすんなよー」


 信用していなかったわけじゃない。実物も目にした。現実を、飲み込んだつもりだった。でもまさか、本当に喰われるなんて、死ぬなんて、思わないじゃないか。そんな事実は見ていないんだから。


 何が平和な田舎だ、事件一つ起きない小さな村だ。化け物の住む地獄ではないか。


 恐怖で声が漏れないよう、必死に口を押える。俺は不幸だ。どうしてこの村なのだろう?俺たちが何かしたというのか……?


 俺はただ、平和に暮らしたいだけなのに……。それ以上は、何も願わなかったのに……


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