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随想箱

生きて苦しいものから逃げるために生きている

作者: 文車


 こんばんは文車です。エッセイは二つ目です。

 何故人って生きるのでしょうか。一つ浮かんだことがあるので書いてます。


 まず第一として、人間は苦しいことを避け逃げることを知っている生き物です。

 その苦しみは極端なことをいうなら「死」と「恐怖」でしょう。ただし大体の人間はこれを「生きて」回避したいと思っています。

 だって死ぬのは怖いから。それに繋がるあらゆるものに恐怖したからこそここまで発展したと私は思います。

 その恐怖から解放されたい→死のうとなるのは本末転倒、そこに至る人もいますが万人がそうではありません。そうだとしたら技術や文化の発展を待たずして人類は絶えているでしょうから。

 まず生きる。その上で辛いこと、苦しいことを避け死や恐怖に抗う。「生きる」ことがまず大前提となっていると思います。


 ではなぜ、人間は「幸せ」で生きることができないのでしょう。

 嫌な思い出や悪い出来事は忘れたくても忘れられないのに嬉しかった出来事や幸せな記憶というのは薄れやすい所感があります。もちろん人によりますが、どちらをより詳細に思い出せるかと問われれば私は圧倒的に前者です。悲しいですね。

 幸福な記憶や思い出は心の支えであることに違いはありません。ですが、それは私達を生かしてはくれないのです。

 それは何故か?様々な意見があるかと思いますが、私はそれが支えとなるのと同時に足を止めるものだからではないかと考えます。

 今が、思い出が幸せだから、これから先に起こるかもしれない苦痛なんて知りたくない。進みたくない。「幸せ」をずっと鮮明に記憶に留めておけたらいつまでも未知の苦痛に恐怖し進めなくなるでしょう。

 だからその「幸せ」の記憶は薄れやすいのではないでしょうか。「生きる」ことは「前へ進む」こと、何であれ「変化」を起こすこと。それを鈍らせるものは、「生きる」という大前提がある以上避けたいのだろうと。


 苦しみを避けて、打ち勝って、幸せになりたい。「幸せ」で恐怖を遅らせ、安らかでありたい。

 幸福というのは必要不可欠でありながら恐ろしい麻薬であるのと同時に、優しいマスキング剤なのではないでしょうか。

 それを求め続けるから人は生き、恐ろしいものに追いつかれないために生きて走り続ける。

 意味を持たせるのは自分自身で、その本質はすこぶる単純でままみっともないのかな、と。

 ひとまずこういうことなのではないかと眠い頭で考えました。


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