失恋ループから抜け出したいっ!
「……すまない、ローズマリー」
クリストファー・ネヴィルは、切なげに目を伏せた。
「君の気持ちはとても嬉しく思う。だが私には、すでに想いを通わせた女性がいるのだ」
(ですよね……)
ローズマリー・スタンレーはため息をひとつついた。
「わかりましたわ、クリストファー様。そんな気はしていました。もしかして、お相手はエリザベート様ではありませんか?」
「えっ……! なぜそれを…?」
エリザベートの名を聞いた途端、伏せていた目を見開いたクリストファーは、うっすらと頬を染め明らかに動揺しているようだ。
「私はずっとあなたのことを見ていましたもの。だから、同じようにあなたがエリザベート様を見つめていらっしゃるの、わかっていましたわ」
「そ、そうか……」
軽く俯いた横顔に、絹糸のようなプラチナブロンドがさらりとこぼれてキラキラ輝いていた。
(ああやはり、絵の中の王子様のようね……)
ローズマリーは思わずうっとりと見惚れてしまう。
だが、気を取り直して最後のセリフを口にする。
「私のことは気になさらないで。ただ、想いをお伝えしたかっただけなのです。どうか、エリザベート様とお幸せに……」
そう言うやいなや、ローズマリーは背を向けて、その場から走り去った。
放課後、広い中庭の真ん中にある噴水に呼び出されていきなり告白されてから、ものの五分ほど。嵐のように去っていったローズマリーを、クリストファーはポカンと口を開けて見送るしかなかった。
(ああっもう、これで五回目の失恋ね!振られるのに慣れ過ぎて涙も出なくなっちゃった……)
中庭を足早に通り抜け、回廊になった校舎から裏庭に向かう。広大な敷地の端に林があり、その中に建つ小さな温室のドアをノックした。
「ネイサン、私よ。また振られちゃったわ」
ドアが内側から開き、ナサニエル・グランフォード(通称ネイサン)が顔を出した。
「お疲れ様、ローズ。まあとりあえず、お茶にしよう」
ネイサンは温室の奥にしつらえてあるテーブルセットへ彼女を誘った。
「ありがとう! もう喉がカラカラよ。今日のお菓子も聞いていい?」
「ミンスミートパイでございます、お嬢様」
ネイサンは気取った執事のように恭しく答えながらローズマリーにお茶とパイを振る舞った。
「わぉ、嬉しい! 前回のアップルカスタードパイも絶品だったし、ネイサンってホント天才ね!」
ローズマリーは満面の笑顔で紅茶を飲み干し(すぐに二杯目が注がれた)、パイを頬張った。
「でね、今回はもう両想いになっちゃってたの。やっぱり、先週の委員会かしら?」
「だろうね。ローズが風邪をひいて休んだから、エリザベートが代わりに出席しただろう?次の日から明らかにクリスは浮かれた様子だった。あの日、二人は想いが通じ合ったんだと思う」
「はぁぁ〜。今回は、『同じ委員会活動を通じて仲を深めていく』作戦だったのに。たった一日のお休みで逆転されちゃうなんてね〜」
ローズマリーは盛大にため息をつきながらも、ミンスパイを食べる手は休めなかった。
この食欲旺盛な様子を見れば、失恋したての女子には全く思えないだろう。だが、彼女は本当に失恋しているのだ。ただし『五回目』ではあるが。
あれは三ヶ月前のこと。
貴族の子女のみが通うここ聖ロベリア学園に、希望に胸を膨らませてローズマリーは入学してきた。
十八歳になると、社交界デビューが待っている。デビューしてしまえば、親の思惑で結婚させられることがほとんどだ。自由恋愛ももちろん出来るのだが、駆け引き・裏切り・愛憎渦巻く社交界で、ひよっ子が無事でいられるはずもなく。結局は、親の勧める縁談が間違いないということになるのだ。
だが、この学園に在学する三年間だけは自由に恋愛が可能だ。ここで人となりをよく知り、相性バッチリの生涯の伴侶を見つけられたなら、憧れの恋愛結婚も夢ではない。
ローズマリーの五歳上の姉もこの学園でお相手を見つけ、社交界デビュー後に正式に婚約、結婚して今もラブラブで過ごしている。
恋に恋するお年頃のローズマリーは、私も素敵な未来の旦那様を見つけようと意気込んで、あの日、学園の門をくぐった。
そして、クリストファーに出会ったのだ。
たくさんの生徒たちがそぞろ歩く中、ローズマリーも緊張して校舎へ向かっていた。
その時、はしゃいでふざけていた男子生徒の肩が後ろから当たり、
「あっ……!」
ローズマリーはつんのめって転んでしまった。
(やだ、恥ずかしい……!)
頬がカーッと熱くなっていく。
(早く立ち上がらなきゃ……)
その時だ。
「大丈夫? ひどいことするね。怪我はしていないかな?」
そう言って、手を差し出してくれたのが彼だった。細身の身体に軍服風のタイトな制服を着こなし、サラサラの金髪に春の海のような明るいブルーの瞳。金色の長い長い睫毛。本の挿絵から抜け出してきた王子様そのものだった。
「あ、ありがとう……ございます……」
真っ赤になったまま、それだけしか言えなかった。
「ほら、君たちもちゃんと謝らないと」
クリスはぶつかってきた男子達にそう促した。彼らはバツが悪そうに頭を下げてまた走っていった。
「君も新入生?」
「あ……はい、そう……です」
「そう、僕もなんだ。よろしくね」
そう言って彼は、友人と男子校舎へ向かって行った。
(見つけた……私の王子様……!)
その後、彼がネヴィル侯爵家の長男であること、文武両道、リーダーシップのある素晴らしい人物であることはわかったのだが、あまりに雲の上の人に感じられて近づくことも話しかけることも出来なかった。
何も出来ないまま時は過ぎ、三ヶ月後、クリスが伯爵令嬢エリザベートと恋仲になったと噂に聞いた。
この噂を知ってローズマリーは激しく後悔した。
(何も努力しないでただ想っているだけで、恋なんて叶うわけない……こんなに悔やむくらいなら、たとえ振られてもちゃんと告白して想いを伝えれば良かった……!)
いつの間にか彼女の足は中庭の噴水に佇む聖ロベリア像へと向かっていた。
この学園には昔からの言い伝えがある。
聖ロベリア像に心から願えば、恋が叶うのだと。
実際に恋が叶った人がいるのかどうか怪しいものである。でも今は、ただの言い伝えでも嘘でもいい、すがってみたかった。
ローズマリーは像の前にひざまずき、ひたすら祈った。
(ロベリア様、どうかお願いします。臆病な私はもう嫌です。クリストファー様と出会ったあの日からやり直したい……!)
そして……
次の日の朝、目が覚めると三ヶ月前の入学式に戻っていたのだ。
(嘘……! 本当に戻ってる。ロベリア様すごいわ……!)
ローズマリーは頬をつねって現実であることを確かめ、決意を固めた。
(今度こそ、間違えない。ちゃんとクリストファー様に私を見染めてもらうように頑張る)
そうしてローズマリーは二回目の恋を出会いからやり直し、積極的にアプローチし続けて頑張った結果、鬱陶しく思われ振られてしまった。
(やり過ぎもダメなのね……次は、友達として仲良くなる方向で行こう)
そしてこの三回目のループで、クリスの友人であるネイサンが登場してきたのだ。
「でもホントに、ネイサンに声をかけられた時はびっくりしたなぁ」
三杯目のお茶を飲みながらローズマリーは呟いた。
「僕だって驚いたさ。ある日突然、十二月から九月に戻ってしまったんだから」
そう、このループの中でローズマリーだけでなく何故かネイサンも、記憶を持ったまま時が戻っているのだ。
「時が戻ってみんな前と同じ行動をしているのに、君だけが違った行動を取っていたから注目していたんだよ。一回目はまったく僕たちに絡んでこなかったけど、二回目ではしょっちゅう目の前に現れていたでしょう。しかもクリスを好きなことはダダ漏れで」
「う……うるさいっ。必死だったのよ、あの時は」
「三回目でさすがにこのループの意味に気付いて、協力しようと話しかけてみたんだよ。このままじゃ、君が想いを成就するまで何度でも時間が繰り返されてしまうから」
ネイサンは笑いを堪えた声で言った。
「はいはい、ごめんなさいね。ありがとうございます!」
ローズマリーはふくれっ面をしてみせたが、本気ではないようだった。
「でも、本当に協力してくれて助かったのよね。ネイサンのおかげで、三回目は男女のグループになってワイワイと友情を育むことが出来たんですもの。あの時はとっても楽しかった」
「そうだね。でも、それが災いして……」
「君のことは友達としか思えないって、言われちゃった」
ローズマリーは肩をすくめて舌をペロッと出してみせた。
先程から、とてもスタンレー伯爵家のご令嬢とは思えない仕草ばかりしている彼女であるが、それはつまり、リラックスしている証拠であろう。
本当はきちんとレディらしく振る舞うことが出来るのだから。
ローズマリー・スタンレーは、大人になればストロベリーブロンドになるであろう艶のある赤毛をふわふわとカールして背中に下ろし、サイドはハーフアップにして顔をスッキリと見せている。
大きなエメラルドグリーンの瞳はクルクルとよく動いて、とても愛らしい。
だが、まだまだ子供っぽさが残るところが多く、女性としての魅力は未知数だ。
「四回目の作戦、僕は、止めたよ?」
少し意地悪な口調でネイサンが言った。
「大人の女風に迫ってみるなんて、君には無理だと思ったからね。そしたら案の定」
「もう、それは言わないで……」
ローズマリーは真っ赤になってテーブルに突っ伏した。
「ちょっとお色気を出してみようとしただけよ? まぁでも、無いものを出そうとしてもダメだったわ。違和感しかなかったでしょうね、クリストファーは……結局、『君にはそういうのは似合わないと思う』ってハッキリ言われたし、『私はエリザベートのような凛とした女性が好きなんだ』とまで言われて、完全に玉砕したのよね……」
思わず遠い目になったのも無理はない。
クリスにこっぴどく振られた上に、はしたないご令嬢という嫁入り前には致命的なレッテルを学園内で貼られてしまったのだから。
「あの時、それがショックで取り乱してしまったけれど、あなたがここでお茶を振る舞ってくれて、もう一度ループすればこんな噂も消えてしまうよって言ってくれたおかげで落ち着くことが出来たわ」
そしてネイサンのアドバイスのもと、五回目は一緒に委員会活動をやって仲を深めていく作戦にしようと決めたのだ。
途中までは上手くいっているように思われた。しかしローズマリーが風邪を引いて休んだその日に、クリスとエリザベートは心を通わせてしまった。
「ねぇネイサン、私思うんだけど、クリスの運命の相手ってやっぱりエリザベートよね」
ローズマリーはしみじみと呟いた。
「だって、何回ループを繰り返しても二人は恋仲になってしまうのよ。これはもう、覆らない気がするわ」
エリザベートは美しい真っ直ぐな黒髪にブルーグレイの瞳、落ち着いた聡明な雰囲気を漂わせた少女だ。二人が並ぶとそれはそれは美しい。お互い穏やかな性格同士、お似合いなのは間違いない。
「じゃあもう、諦めるのかい?」
「ええ。それにね…今回、振られてみてわかったの。一回目は確かに失恋がショックで家に帰ってからワンワン泣いたけど、五回目となるとさすがにもう、悲しい気持ちが欠片も残ってなかったわ」
ネイサンは、僅かに微笑んだように思えた。が、目を隠すほど伸ばした前髪のせいであまり感情は読み取れない。
「きっと、失恋を繰り返すうちに、私の恋心はちゃんと終わらせる事が出来たのね。今は本当にエリザベートとの幸せを願っているし、今まで邪魔してごめんなさいって気分。
そんな風に思えるのもあなたがたくさん話を聞いてくれたおかげだわ。ありがとう、ネイサン」
ローズマリーはにっこりと微笑んだ。
「もう一度だけ、ロベリア様にループをお願いしてくるわ。今度はクリスを追いかけたりしないで、新しい気持ちで学園生活をやり直そうと思うの。もしかしたら別の出会いがあるかもしれないしね」
「そうだね。案外、君を好きになる男がたくさん出てくるかもしれないよ」
「あら、嬉しいこと言ってくれるわね? そうなるといいなぁ」
ローズマリーはネイサンをしっかりと見つめながら言葉を続けた。
「ねえネイサン、あなたとはこの三ヶ月間を五回も繰り返したから、十五ヶ月を共に過ごしたことになるわね。お互い愛称で呼び合うくらい打ち解けることも出来たし、あなたとは本当にリラックスして私らしくいられる。ずっと、私の我儘に付き合ってくれてありがとう。これからも友達でいてね」
ネイサンの頬に一瞬赤みが差した。しかしやはり、その表情は読み取れない。
「じゃあ私、ロベリア様に最後のお願いしてくるわね。お茶とお菓子、本当に美味しかったわ。どうもご馳走さまでした」
そう言ってローズマリーは立ち上がった。ネイサンも立ち上がり、二人は連れ立ってドアへと向かった。
(ネイサンって、こうして並ぶととっても背が高いのね。それにクリスと同じくらい勉強も運動も出来るし、もっとモテてもいいのに。シャイであまり女性と話さないからかしら。それとも、この鬱陶しい前髪のせい?)
ローズマリーはふと悪戯な気分になり、背伸びをしてネイサンの前髪を掻き上げてみた。
「わっ……! 何?」
ネイサンは不意をつかれて焦ったようで、真っ赤になって後ずさった。
ローズマリーの方も、目をまん丸にして驚いていた。
(まあぁ……前髪の下に、こんな綺麗な瞳が隠されていたのね? 切れ長で、深い深い碧の瞳……)
「ネイサン、あなた前髪を上げた方が絶対いいわ! 間違いなく、モテモテになるわよ」
そうキッパリ言い残して、ローズマリーは中庭のロベリア像へ向かって行った。
翌朝、願い通り六回目の入学式の日を迎えたローズマリーは、緊張して歩いていた。
(もうすぐ、後ろからぶつかってくる…そうしたらクリスが手を差し伸べてくるからその前に、一人でサッと立ち上がって歩いて行こう。クリスとの出会いを無かったことにするのよ)
そして、肩に衝撃がきて、足がふらついた。
(きた……!)
その時、誰かが腕を掴み、転ばないように支えてくれた。
(えっ……?)
ローズマリーは、そのままいつの間にかネイサンの腕の中に抱えられていた。間近に見るネイサンの前髪はきちんと整えられ、涼やかな碧い瞳が彼女を見つめていた。
「大丈夫ですか、ローズマリー?」
優しい声で尋ねられたその瞬間、ローズマリーの頬は真っ赤になり、恋に落ちた乙女の顔になった。
「え、ええ、大丈夫です、ありがとう、ナサニエル……」
ネイサンは彼女の手を取り、ふわりと立ち上がらせた。そのまま、エスコートして校舎まで歩いて行く。
ローズマリーは、新しい恋が始まったこと、そしてその恋はもう実っていることを感じながら学園生活をスタートさせた。
☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆
前日、ネイサンはローズマリーを見送った後、温室のドアに内側から鍵をかけた。
さっきまでお茶を飲んでいたテーブルの横には室内用の噴水があり、その奥に大人の膝丈ほどの古い小さな像が花に埋もれて佇んでいた。
彼はその像の前にひざまずき、何かを真剣に祈った。
ネイサンはグランフォード公爵家の一人息子だ。
この聖ロベリア学園は、グランフォード公爵家が設立し、運営している。
この温室はグランフォード家の者しか鍵を持っておらず、中に入ることはできない。
そして、この中にある小さなロベリア像こそが、恋を叶えると言い伝えられているものなのだ。
中庭に置いてあるのは、この像を模したレプリカに過ぎない。つまりローズマリーが祈りを捧げているロベリア像には何の力もなかったということになる。
あの、一回目の入学式の日。クリスに一目惚れをしたローズマリーを側で見ていたネイサンも、彼女に一目惚れをしていたのだ。
だが、ローズマリー同様、初めての恋に何もすることが出来ないまま時が過ぎていった。
十二月に入り、失恋したローズマリーが中庭のロベリア像の前で泣きながら祈っている姿を見て
(彼女の願いを叶えてあげたい)
と、温室にある本物の像に祈りを捧げたのだ。
まさか時間をループする願いとは思わなかったけれど。
そしてループを繰り返すうちに黙っていられなくなり、声をかけて協力を申し出てみたのだ。
ローズマリーが失恋する度、ネイサンも祈る。
彼女の恋が叶うということはすなわち、ネイサンの失恋が決定するのだが、それでもいいと思っていた。彼女が幸せになるのなら。
ただ、徐々に打ち解け、すっかり仲良くなったローズマリーを失うのを辛く感じ始めた時、彼女の口から『クリスを諦める』発言を聞いたのだ。
ネイサンは心を決めた。
(聖ロベリアよ、どうか私の願いを叶えて下さい。
もう一度ローズマリーが入学式にループしますように。そして、私と彼女が幸せになれますように)
彼は願い、そして叶えられた。
こうして聖ロベリア像の言い伝えは、真実だと証明された。
もちろん、それはグランフォード公爵家だけの秘密である。