びっち男子を拾ってしまったんだが。
薄暗く物静かで、夜の匂いがする不気味な外とはまた違った不気味さが漂う店の中。グラスと氷が触れ合うカランという音と、数少ない客の小言や恋愛話なんかがぶつかり合う、何とも騒がしく普通な夜。
「ね、いつものお願い。オーナーさん。」
この馴れ馴れしい態度の客は、この店に初めて来てからたった六日である。『オーナーさん』とは、俺のことなのだろうか。仮に俺のことを言っているとして、俺はオーナーなどではない。しかしまあ、店員として客に品を出すのは極当たり前のことだ。薄黄金色の麦焼酎をグラスにタプタプと潅ぐ。そして、目の前のカウンターにコトンと置き、その頬杖をつく金髪の馴れ馴れしい客が麦焼酎を飲む姿を、じっと眺める。よく見ると綺麗な顔付きをしていて、結構愛らしい。茶色がかった黄金色の、サラサラとした髪が少し、目とその綺麗な肌にかかっている。赤いパーカーのネック部分からは、白い肌と鎖骨が見えて、少々色っぽさを感じる。潤いのあるそのベビーピンクの唇も、軟らかく生温そうで、今にも溶けてしまいそうだ。
「オーナーさん、何さっきから僕のこと見てるのさ。惚れた?」
まさか。名前も知らない人に惚れるなんて、礼儀知らずなことはしない。
「君、最近うちの店によく来るよな。ちょっと気になって。名前は?」
「僕は坂戸五百莉。二十二歳、童貞。あ、でも処女はとっくに卒業済みだよ。」
言い切った後、フヘッと笑みを浮かべてこちらをまじまじと見つめてくる。名前を聞いただけで、こんなに沢山の情報が耳に入るとは。それにしても、この見た目で俺より一つ歳上だなんて、かなり信じ難い。そして、童貞で非処女というと、男に掘られたということになるのか。愛のカタチに偏見は無いつもりだが、やはり気になってしまう。
「どうして坂戸は」
「いおりでいいよ。ねぇ、僕の話はいいから、オーナーさんのお話聞かせてよ。」
俺の話はつまらない。そう昔から周りに言われる。だから、俺の話を聞きたいなんて人生まれて初めて見た。そういえば、まだ自己紹介もしていなかったな。
「俺は伽揶雅琥人。いおりより一つ歳下だ。あと、俺はこの店のオーナーじゃない。」
大事な話は一番最後に持ってくる。それが相手の興味を引く会話術だと、何かの記事で読んだ事がある。
「オーナーさんじゃなかったの。じゃあこれからは、かやちゃんだ。」
かやちゃん、なんて呼ばれたことは一切ないが、悪くない。それにしても、何故今まで俺をオーナーだと勘違いしていたんだ。でも確かに、この時間の担当はほとんど俺と後輩三人だから、無理はないか。
「なあ、いおり。お前、職業は?」
「無職。」
・・・は?何を言ってるんだコイツは。無職?二十二で、職なしか??さては親の金で麦焼酎を呑んでいるのか?コイツは。
「無職か・・・家はどうしてるんだ?まさか、親の脛齧って生きてるんじゃないだろうな?」
「宿無し。今まではガソリンスタンドでバイトしたりしてなんとかしてたんだけど、六日前クビにされちゃった!でね、それと同時に住んでたアパートも、近隣住民になんとかなんとか〜って言われて、追い出されちゃったワケ。だから今は、無職ホームレス!」
いおりは満面の笑みをうかべながら、相当恐ろしいことを言っている。何故こんな災難に遭って、こうも明るくいられるのだろうか。
「お金が欲しかったら、カジノにでも行けばいいしさ。」
「賭事には金が要るだろ。」
「そうでもないよ。あいつら、勝てたらお金くれるし、泊めてもらえるし、負けたら負けたで自分のケツ売って終わり。減るもん無し!」
なるほど。いおりは正真正銘の『クソビッチ』って訳か。こんな可愛らしい顔してたら、いおりの身体を求める人なんていくらでも居るだろう。ああ、いおりを見ていて段々と可哀想になってきた。
「いおり、困ったら家来い。一泊二泊くらいならに泊めてやれるから。」
そう言いながら俺は、カウンターの下にあったメモ用紙を無造作にちぎった。用紙の上で赤いボールペンを走らせ、家の住所と電話番号を書き、いおりに渡した。互いの名前を知り合ったその日に住所を教えるなんて普通に考えて有り得ない事だが、俺に出来ることはこれくらいしかない。