38話 25年後の付け足し
悩める東郷が最終的に下した結論…
それは単に、記事として掲載するのではなく、書籍として1冊の本にまとめるという考えに至った。
そののち東郷は、通常の記者としての職務のかたわら、ひそかに執筆活動も開始していた。
そして半年後、地道に書き進めていた彼の原稿がついに完成したのである。
このときのタイトルは下記の通り。
『高藤雄一・引退の真実』
だが、この原稿がすぐに書籍化されたわけではなかった。
東郷自身、この作品は自費出版するつもりであったが、自らの意志でその時期を先延ばしにしたのである。
むろん、これは決して何らかのトラブルのせいではなく、全て彼の計算上のこと。
実際にこの本が世に出たときは、高藤が引退した年から数えて25年後のことになる。
とてつもない歳月を過ぎてからの出版は、東郷から高藤夫妻への細やかな配慮に他ならない。
東郷はこの25年もの間、もし万が一自分の身に何か起きたときのために、この原稿を西暦20××年に出版するよう、家族宛てに出版費用と共に遺言までしたためていたほどの念の入れようだった。
しかし、その遺言はやがて破棄された。そう、彼は30年後も健在だったからである。
すでに還暦は過ぎてはいるが、健康状態にはさほど問題もなかった。
いよいよ自らの手で出版にこぎつけるにあたり、彼はこの本の“あとがき”を更に数ページ付け加え、タイトルも変更した。
こうして正式に刊行された本のタイトルが以下である。
『伝説の野球人・高藤雄一とその妻』
この作品には、高藤が青春台高校時代のチームメイトへの取材や、彼と特に親交が深かった田安の証言を元に書かれている。
もちろん、彼の輝かしいプロ生活での実績、未だに破られていない記録についても触れられているが、話の中心はやはり高藤雄一とその妻クルミの歩んて来た道のりについてである。
この本の最大の特徴として見逃してならないのは、高藤が引退してから25年が経過してから書き加えたられた“あとがき”である。
高藤引退の謎が明かされた本文のエピローグの後、まさに続・エピローグとも言うべき“あとがき”
この物語の最後として、その内容をここに記すことにする。
あとがき
────(中略)
読者の皆様へ
ここからは、前文から25年の月日が経っていることを理解していただきたい。
この長い歳月の中、今年になって私が夢にも思わなかった出来事が実現したのである。
これを書かねば、この本の刊行が中途半端なものになってしまうのは間違いない。
それは清々しい秋空の元に行われた高校野球OB大会でのこと。
この時すでに59歳のベテラン記者になっていた私は、余興と言えどこのカードは是が非でも見逃せない試合だったのだ。
『青春台高校OB 対 美徳館学園OB』
当日、私は彼の姿を一目見ようと興奮のあまり、我先にと球場入りしたのである。
私はバックネット裏の席に腰を下ろすと、グランド内ではかなり老いた元高校球児たちがウォームアップをしている。
その中には紛れもなく、高藤雄一が存在し、彼のライバルだった羽柴までいるのだ。
計算すると彼らはもう68歳のはず。見た目が老けているのは当然の話。だが昔の面影は充分に残っている。
間もなく試合が始まろうとしていたとき、見覚えのある人物が青春台ベンチからネット裏の私を呼び寄せた。
「よく来た東郷くん。久しぶりじゃないか。まだ記者やってるのかい?」
「田安監督!」
「アハハ。もう監督はとっくにやめてるよ」
「あ、そうでした。どうもすみません^^;」
「どうだい?そこで見るよりウチのベンチで見ては?」
「え?いいんですか?」
むろん私にとっては願ってもないところ。より間近に憧れの選手が見れるというもの。
快諾した私は、いい年をしながらもこぼれる笑みを抑えきれず、ベンチに向かったのである。
そして私はそこに着くなり驚いた。
田安元監督に案内されて座ったその隣には、年配の女性がひとり先に腰を下ろしていた。
私はすぐにピンと来た。わざわざ聞くまでもなかったが、田安元監督が彼女を丁寧に紹介してくれた。
「こちらは高藤の奥さんのクルミさんだよ。今日は奥さんの強い希望でここに来たんだ」
軽く私の方へ会釈をしてくれた彼女は、清楚で身だしなみも良く、とても美しい年の取り方をしていた。
「クルミさん、こちらの人は東郷君。記者の人でね。子供の頃から高藤の大ファンだったんだ」
私はそれに少しだけ言葉を添えた。
「いえ、今でもずっとファンです。高藤選手は少年時代からの憧れですからね」
「まぁ…なんて嬉しいことを。主人に聞かせたいですわ。ありがとうございます」
「いえいえそんな…」
すでに高藤選手他、メンバーたちは守備についているためベンチにはいなかった。
「私、ご覧のように目が不自由なもので、今日はこうして田安さんにご迷惑をおかけしてますの。田安さん、本当にすみませんね」
「そんなの気にしないで下さい。お相手がこんなジジイですみませんけど」
次にクルミさんは私の方へ顔を向けて言う。
「おかしいでしょ?目が見えないのに野球を観戦しに来るなんて。でも私、耳には自信あるんです。打球の快音で長打か短打か、ゴロかフライか、わかるんです」
「へぇ〜それはすごいですねぇ」
憧れの高藤選手を影で支えた彼女と、こうして間近で接することができたことは、私にとって素直に嬉しいことであった。
このOB大会の最大のヤマ場は最終回に訪れることになる。
5−3で美徳館が2点リードで迎えた青春台OB最後の反撃。
一死1,2塁でバッターは高藤雄一。
こういう場面に必ず巡って来る彼の打順。
一度きりの人生において、こうなることが高藤の生まれ持った運命なのだろうか。。
(続く)