37話 これからのこと
旭ワイン球場監督控え室にて────
東郷にひと通りの説明を終えた田安。
「これで奥さんに対するあいつの愛情の深さがわかったかな?」
感慨深げの東郷。それは抱いていた疑念を全て取り消し去るほど、じわじわ伝わって来る感動に他ならなかった。
「ええ…深いですね。。まさに奥さんを愛するがゆえだったとは。。頭が下がります」
「私もだよ。あれだけの愛情と思いやりのある言葉を自分のかみさんに面と向かって言えるなんて、私には絶対無理だ」
東郷は田安から聞いた話に只々、感心しきりだった。
「それにしてもすごいですね…高藤選手は田安監督には何でも話すんですねぇ」
「あいつは義理堅い男でね。遠い昔に私がしたおせっかいを、いまだに感謝してくれるのさ」
「高藤選手は監督に貸しがあったということですか?」
「いやいや、そんなんじゃない。貸しというなら私こそあいつに貸しがある。随分と世話になった」
「はぁ…?あのぉ、良かったらどんなことか教えていただけますか?」
「見ての通りさ。今こうして私がここにいることが高藤のおかげさ」
そう言われても東郷には事情がさっぱりわからない。黙って田安の次の発言を待つのみだった。
「私はね、野球では何の実績もないんだよ。高3のときも補欠だった。最後の試合の9回裏に代打で出たのが唯一の打席だったんだ」
「で、結果はどうだったんです?」
「ヒットだよ。バントヒットだったんだがね」
「すごいじゃないですか!セーフティバントは勇気がいりますよ。特に9回裏なんて」
「ハハ…だがたったその1打席で私の野球生活は終わったはずだったんだ」
「でも違った?」
「うむ。こんな実績も何もない私を今から5年前、いきなり独立リーグの監督に推薦してくれた男がいたんだ」
それを聞いてすぐにピンと来た東郷。
「あぁなるほど。それが高藤雄一選手だったんですね?」
「その通り!」
「しかしそれもすごい話ですね。監督に就任されてから5年で3度の優勝。高藤選手は監督の指導力を見抜いてたってことじゃないですか?」
「それはどうかわからんがね。俺もあいつには頭が上がらんよ。今回、あいつの引退試合を企画したのも、そんなお礼の意味も含めてのことなんだ。あくまで非公式であり、シークレットってことでね」
───美談だ。美談すぎる。。記事にすれば間違いなく世間の心ワシづかみにできる!そして高藤や田安を賞賛するに違いない。だが……
「東郷くん。このことを記事にするかしないかは君の自由だ。君の判断に任せる」
「あの…ひとつ聞きたいんですが、なぜ僕にそこまで話してくれたんでしょうか?」
わずかに微笑む田安。一呼吸おいてからその質問に応じた。
「ん〜、実は正直どうしようか迷ったんだ。だが君が根っからの高藤ファンなことにウソはないとわかったし、根性が曲がってるとも思えなかったからしゃべる気になったんだ」
「僕の根性ですか…(⌒-⌒;」
「あいつはマスコミには一切しゃべらない。さっきも言ったが、奥さんのことがあるからだ。でも私としては、誰かに知っておいてもらいたかった。高藤雄一という素晴らしい男の人間性をもっと知って欲しかったんだよ」
「……そうですか。。ありがとうございます。とても良い話を聞かせていただきました。じっくり検討させてもらいます」
一礼して監督室を出た東郷。部屋を出た瞬間から悩み始める東郷。
「書きたい…絶対書きたい……しかし。。」
こうして高藤引退の真相を一般に公開するか否かの決断は、全て東郷の手に委ねられたのである。
(続く)