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35話 あの日のプロポーズ

 とある料亭の個室にて。


 和食の好きなクルミのために選んだ落ち着いた店。テーブルに向き合っている二人。

「あの…ごめんなさい。とっても嬉しいんですけど、お断りします」

 申し訳なさそうな、それでいてきっぱりと返事をしたクルミ。

「( ̄□ ̄;)えっ!?」

 予想はしてなくもなかったが、さすがに一つ返事で却下されると心にズキンと響く。

 ここに高藤のプロポーズはあえなく撃沈した。高藤24歳。クルミ20歳の秋。


 この年、高藤はプロ入り6年目で初のホームラン王に輝き、チームも優勝した。

 クルミも成人に達し、彼自身も名誉なタイトルを獲った。プロポーズをするには絶好のタイミングのはずだった。

「他に好きな人でもいるの?」

 黙って『はい、そうですか』とも言えない高藤。やはり理由は聞きたい。

「いえ…そんな人はいません」

「僕が君のタイプの男じゃないってことかな?」

「いいえ。そんなんじゃないです」

「遠距離であまりデートできなかったから?僕は遠征も多いし…」

 

 確かにプロ野球の世界に入ると、1年を通して家にいる時間は少ない。

 高藤は高校を卒業後、18歳でプロ入りしてからもクルミとの縁は続いていた。

 初月給のときにはネックレスやカバンを。初ホームランを打ったときにはそのバットにサインをしてプレゼント。

 また、クルミの家族を球場の特等席に招待したりと様々な方法で尽くしていた。

 ただ、ひとつ難点なのが、高藤はクルミとまともにデートをしたことがなかった。

 マスコミに追いまわされるのを嫌う彼は、容易にクルミを誘うことはそれほどできなかったのである。


「ううん。それも違う。雄一さんには感謝してる。何から何まで親切で優しくて…」

「…でも僕が嫌い?」

「嫌いなんかじゃないです…」

 腑に落ちない高藤。

「じゃあなんで…?」

 ややうつむき加減のクルミ。だが意を決したのか、顔を上げ、高藤に目を合わせる。

「雄一さんは私の目を失明させた罪悪感からそう言っているじゃないかって思えて…」

「えっ?」

 それはまさにクルミが長年ずっと思っていたことだった。

「雄一さんはもう充分私に尽くしてくれました。不慮の事故の責任感から今日まで私に充分償ってくれました。もう…もう私は大丈夫です…」

 その目にはすでに涙がじわじわとにじんで来ていた。

「私はまだ20歳。未熟で何もできない私にプロ野球選手の奥さんなんて勤まるとも思えないし、雄一さんの重荷になるだけです。迷惑しかかけられない…」

 ひとしずくこぼれた涙にハンカチを差し出す高藤。だがそれを遮るクルミ。

「大丈夫です。持ってます」

 かつて高藤に買ってもらったカバンからハンカチを取り出して涙をぬぐうクルミ。

「…雄一さんには雄一さんにふさわしい人がいるはです。その人と幸せになって下さい。私はずっとあなたのファンでいます。これからもずっと…ですからこのお話はお断りしたいと思います」

 クルミの言葉を聞き終えた高藤。キュッと締まった口元がほころぶように緩くなり、ゆっくりと彼の口が開かれた。

「もう言いたいことは言えたかな?じゃあ今度は僕の言うことを聞いてくれるね?」

 ハンカチで鼻を押さえながら縦に首をふるクルミ。

「悪いけど僕はね、君の意見に反論するから」

「……!?」

 高藤は姿勢を正して正座になった。

「僕には君しかいない。君は僕の運命の人だと思ってる」

「…そんな運命だなんて大げさな…」

「いや、そうなんだ。あの日…忘れもしないあの日、僕は心に誓ったんだ。将来僕が結婚する人はこの子だってね」

「あの日って…?」

「あの日さ。高3最後の地区予選。美徳館学園に負けた翌日、君の家を訪ねたときのことさ」

 そう言われてクルミがすぐに思い出したのは、高藤が自分の家を訪ねて来たことよりも試合内容の方だった。

 あの試合は彼女にとっても印象深い壮絶な一戦であり、最後の打席で大飛球を打った高藤の打球は心に刻まれていた。

「あのときの試合はよく覚えてます。でも私、翌日の事は…あまり…」

「いいんだ。僕はしっかり覚えてる。君はあのときこう言った。『プロになって活躍して下さい』ってね」

「ええ…確かに。それは憶えてます。だって、本当にそう思ったから…」

「僕はその一言で何十倍ものパワーが湧き出たんだ」

「私のあんなたった一言で…?」

「うん。もちろんその前にも君と田安のおかげで、やめていた野球を復活できたのもひとつのきっかけでもある。あのとき君に許してもらえなかったら、もう一生野球なんかしてない」

「・・・・」

「わかるかい?僕をプロの世界に導いてくれたのは君なんだよ。今の僕があるのは君がいてくれたからなんだ」

「でも・・・」

 何か言おうとしてもそれ以上言葉が出て来ないクルミ。

「僕の一方的な言い分かもしれない。でも決して君をケガさせた責任から言ってるんじゃない。僕をここまで支えてくれたのは君の言葉であり、君の笑顔なんだ。僕は君の笑顔をいつまでも見ていたい。いや、いつまでも笑顔でいさせてあげたい」

「なぜそんなに私に…?」

「なぜって…そりゃ君が大好きだからに決まってるじゃないか。ずっと好きだったんだ。確かに最初はお詫びの気持ちでいっぱいだった。でも君に会うたび、その気持ちは愛情へ変わって行った…そして今は君がいとおしくてたまらないんだよ!」

 高藤自身、冷や汗ものだった。よく恥ずかしげもなく言えたと自分に感心した。

 それと同時に、自分の本当の気持ちをクルミに告白できたことでホッとした面もある。

「返事は今すぐでなくてもいいよ。もう一度考えてくれないかな?」

 クルミは静かに頷いた。

 そしてその1か月後、クルミは高藤雄一と結婚する決意を固めたのである。



 過去の回想から冷めた高藤。ベッドに横になっているクルミの髪をそっと撫でる。

「これからは俺がお前を支えてゆくよ…」



 クルミもまた、夢うつつの中で過去を回想していた。

 それは夫である雄一が、突然の引退表明を言い出したときのことだった。。

                   (続く)

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