26話 初めての会話
惜しみないスタンドからの拍手。
10点差から1点差まで追い上げた九回裏の猛反撃も一歩及ばず、ここに青春台高校の夏が終わった。
高らかに試合終了のサイレンが鳴る。
「ごめん、みんな…」
ベンチ前に戻った高藤がナインみんなに詫びていた。
「何言ってんだよ。お前の活躍がなけりゃ、5回でコールド負けしてたんだぞ」
木戸が笑顔で高藤の肩をポンと叩く。
「そうさ。それにこんなスリルのある試合、俺達は生れて初めて経験できたんだ」
そう言った高杉の言葉に、他のナインも相槌を打つ。
不思議なほどにみんながみんな笑顔。悔し泣きする者など一人もいなかった。
「みんなさんきゅ」
高藤は心から思った。この学校の野球部に入って本当に良かったと。
転校して間違いはなかったと。
球場からの帰り道、出口付近で専用バスに乗り込もうとしている美徳館ナイン。
高藤はその中にいる羽柴の姿を見つけ、感慨深げに首を振る。
「速かったなぁ、あいつの球…」
その視線に気づいたのか、羽柴が向きを変え、高藤の元へ歩いて来た。
だが、すぐそばまでというわけではなく、5,6歩歩いたところで立ち止まる。
「高藤君、プロの世界でまた対決しよう」
そう言うとすぐに身を反転してバスへ乗り込んだ羽柴。
彼の誘い言葉に返信できないまま、しばし立ち尽くしていた高藤。
「プロか…」
翌日、高藤は今まで一言の会話さえしてもらったことのないクルミの家を訪れた。
手紙のお礼と、自分のせいでチームが負けてしまったことへのお詫びも兼ねて。
『今日も口をきいてもらえないかもしれない…』
一抹の不安がよぎる高藤。
数分後、応接室のソファで待たされた彼の前に、ついにクルミが現れた。
意外に気の小さい一面もある高藤。クルミの顔が見れなくて、視線が下がっている。
クルミもまた照れ臭さがあるのか、高藤の正面からズレた位置に腰を下ろす。
高藤が視線を上げないまま切り出した。
「あの…前にもらった手紙…ありがとう。とても嬉しかったよ(´▽`;)」
「いえそんな……なんか恥ずかしい(*v.v)」
「それなのに僕はクルミちゃんに謝らなければならなくて……本当にごめんね」
その言葉に軽く首をかしげるクルミ。
「昨日、君は試合を見に来てくれたよね。手紙の約束をきちんと実行してくれたのに…それなのに僕は最後のバッターになって負けてしまった…」
「あぁ…そんなこと、私に謝ることじゃないです」
「でもね…僕はクルミちゃんのおかげで野球ができるようになったんだから、あそこで打たないと意味がなかったんじゃないかって…」
「いいえ、それは全然違います」
やんわりと高藤の思いを否定するクルミ。
「私はファンの一人として、高藤選手に大好きな野球をして欲しかっただけです。いいプレイをして欲しかっただけ。勝てなかったからどうとか言う問題じゃありません」
「クルミちゃん…」
高藤は、まだ中2の女の子とは思えないような『有難い言葉』に感激した。
更に彼女は続けた。
「あの最後の打球は、美徳館の守備の人が素晴らしかっただけです。完全にホームランの当たりだったですもん」
「それはそうなんだけどね(^_^;)」
「私、益々高藤選手のファンになりました。あのフォークボールを打てるなんてすごいって。これから先もずっと野球を続けて下さい」
そう言ってくれる言葉は嬉しい限りの高藤だが、心に引っ掛かる重要な事実が頭から離れないでいるのも否めない。
「クルミちゃん、僕はその…僕は君の視力を奪った人間なんだよ。こんな僕でも許してくれるのかい?」
「はい。むしろ高藤選手が野球をやめたら、余計に私も辛くて苦しくなります」
その言葉を胸に刻み込む高藤。
「……うん。わかった。ありがとうクルミちゃん」
彼女の言うこと全てが心にじんわり染みて来る。
「どうか、今度はプロで活躍して下さい。お願いします」
帰り際、玄関まで見送ってくれたクルミと握手して、高藤は家路についた。
今まで口もきいてくれなかった少女と、初めて会話が成立した安堵感。
そこから得た少女の思い。胸のうち。
今日は本当に来て良かったと、つくづく心から思える高藤であった。
その途中の汽車の中、彼はうっすら次の目標に思いを馳せていた。
「プロか……ようし!」
(続く)