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第二話

穢れ、というのは魔の物が通った後に表れるらしい。その穢れが最近城に近付いている気がする。恐らく聖女様の力が弱まっているせいだろう。


いつものように聖女様を通して浄化した帰り道、魔の物に襲われた。ここから決して動かないようにとわたしに念を押し、馬車から飛び出したクランツ様が魔の物の対峙しているのを窓越しに見ながら、わたしは現時点と城までの距離を計算していた。


少しずつだが確実に縮まっている。穢れは強さを増し、聖女様の力は弱まる。


袖口が広がった、聖女のみが 着ることが許された衣に視線をやった。


「…………」


胸の前で手を組み、目を閉じる。


クランツ様の後ろ姿、馬車の木製の窓枠、頬を掠める自分の細い黒髪。耳をつんざくような断末魔も、吹き荒れる風の音も馬車が軋む音も。目に映るものも耳に届くもの、一切を意識から除外し祈る。


どうか、この世界をお救いください。


たっぷり数秒間そうした後、ゆっくりと目を開ける。聖女様のように身体が光ることもなければ、穢れがなくなることもない。


組んでいた両手を解き、ふたつ並んだ小さな手のひらを眺めていると、馬車の扉が開く。


「ミレナ」


顔を覗かせたクランツ様は、彼が出ていったときと寸分狂わぬ位置にいるわたしを見て安堵の表情を浮かべた後、いつものようにわたしの頭を撫でようとして、やめた。返り血もなく手袋だって綺麗なままなのに。


伸ばしかけた手を引く代わりに、笑みが深まる。馬車に乗ってこようとはしない。


「…………どこか痛いところは?」


「ありません」


そうですか、と言うクランツ様の後ろにはあるの原型もとどめていないほど無残に倒れる魔獣のそれだった。


わたしの視線の先のものに気付いたクランツ様が、さっきまで動いていなかったのが嘘のように軽やかに車内に乗り込んでくる。視界を遮られるように扉がしまった。


馬車が動きだし、景色が流れる。城に近付くほどに穢れが消えていく。ここからは見えない、頭の真上にある太陽のを思い浮かべた。このまま行けば夕刻には城に到着するだろう。穢れが近付いているといってもそれは以前と比べた話である。今頃城でお休みになられている聖女様は代々の聖女の中でも力の器が大きいらしい。


やはり、聖女様は偉大なお方なのだ。比べることこそおこがましいがわたしとあの方は違うのだと思い知った。


「ミレナ。本日もお疲れ様でした」


顔を覗き込まれて小さく首を振る。わたしはその場に膝をつき目を閉じているだけで、穢れを払うのは聖女様だ。クランツ様だってそんなこと知っているだろうに。


「…………なにか怖いことがありましたか?」


首を振った。会話を続けるのが得意ではないから、いつもはお疲れ様と言われて頷いて、それで終わりなのに。クランツ様の言葉にたいして不貞腐れた子どものような反応を返してしまうのは、きっと先程自分の力で祈ろうと試みてしまったせいだ。


不意に大きく揺れた馬車に身体が窓側に傾く。そういえば縦者は無事だったのだろうか。窓に額をつけ、視線を動かす。わずかに縦者の腕が見えた。どうやら無事のようだ。


舗装されていない道に入ってしまったのか、ガタガタと馬車が揺れ始める。衝撃で窓に額をぶつけたわたしは、痛みに耐えつつ窓から距離をとる。背中がクランツ様の身体にぶつかった。戸惑ったような声が後ろから聞こえる。驚かせてしまったか。


「少しお休みになりましょう」


クランツ様がきっぱりと言い切り、わたしの身体を抱き寄せる。わたしの頭がクランツ様の胸に。これは一体どういう体勢になっているのか。想像するとクランツ様の負担が大きいだけの不自然なものだ。せめて先日のような肩枕がいい。


だけど文句は受け付けないと言わんばかりにクランツ様の手がわたしの髪を梳いてくるので、わたしはくすぐったさに身をよじるしかなかった。


「クランツ様」


「なんでしょうか」


「くすぐったい」


思わず声を上げれば、クランツ様が笑う気配を感じた。胸に押し付けられた頭をぐりぐりと上に向けて顔を見上げようとするが、それはクランツ様の手によって遮られる。


ほんの先程まで馬車に乗り込むことすら躊躇う様子がみられたのに。よほどわたしが心細い顔をしていなのだろうか。


けれど今はそんなことどうでもよかった。


目元を覆う手が温かい。先程までされていた手袋は外されていた。ほう、と深めに息を吐いた。身体の力が抜けていく。眠い。


「ミレナ」


「…………」


「ミレナ」


「…………」


「おやすみなさい、……────」


眠りに飲み込まれる間際、クランツ様がわたしを呼ぶ声が遠くで聞こえた。


クランツ様に起こされ城に到着したのは、わたしが予想した通りの太陽が沈み出す頃だった。あの距離をずっとクランツ様に寄りかかっていたのかと愕然としていると察しのいい彼は「とても可愛らしい寝顔でございました」と斜め方向からの発言をしてきたため、おめでたいわたしの意識は完全にそちらに持っていかれて自己嫌悪に陥ることはなかった。


しかし何故だろう、わたしはクランツ様の胸に顔を埋めていたはずなのに。寝ている間に顔を動かしたのだろうか。もしかしたら優しい嘘を吐いてくれたのかもしれない。


気が付いたときには前方からパタパタと見慣れた顔が走り寄ってきていた。侍女のパロナーラさんに出迎えられたわたしは部屋へ行くように促される。できれば聖女様に会いたかったがそれは叶わないだろうか。


振り向けば小さな微笑を携えたクランツ様にも「行きましょう」と言われる。お願いクランツ様、察して。


「…………ミレナ?」


「……聖女様には、お会いできませんか?」


クランツ様とパロナーラさんが顔を見合わせるのを見て、これは無理かと思う。聖女様とお話したいが聖女様に無理をさせるつもりは毛頭ない。わたしは口角を少しだけ上げてみせる。


「部屋に戻ります」


「聖女様が目をお覚ましになられましたら、ミレナにも連絡がいくようにいたします」


クランツ様が言い、お願いします、と頭を下げる。そしてわたしはパロナーラさんの後に続いて今度こそ自室へと戻るのだった。


「ミレナ、温かいお飲み物を」


「ありがとう」


差し出されたカップを受け取り、口をつける。お茶ではなくホットココアのようなもの。この国では子どもが多く好む飲み物らしい。

こくんと飲み込んだそれに心が解けていくのを感じる。


目の前のテーブルにカップを置いて、座っていたソファの背もたれに重心を預けた。身体がずぶずぶと沈んでいくこの柔らかいソファは聖女様のお部屋にあるものとお揃いだ。欲しいとねだるほどではなかったが座り心地は密かに気に入っていた。聖女様のお部屋に伺ったときはいつもそこに座っていたのを侍女か護衛の誰かが見ていたのだろう。彼らはわたしに甘いから。


わたしにはこの好意を受け取るのと突っぱねるのとのどちらが正しいのかがわからなかったし、どういう断り方をすれば波風が立たないのかもわからない。ただ、ソファを運んできてくれた衛士にありがとうと言ったとき、彼らはとても嬉しそうに笑っていた。


「ミレナ、湯浴みの準備が整いました」


「ありがとう。今行くね」


「着替えはそちらに用意してございます」


「うん」


基本的に、わたしの身の回りの世話はパロナーラさんが一人でやってくれている。この世界に来て数週間後に陛下がわたし付きにしてくださった侍女はパロナーラさんを合わせて三人だったが、それはさすがにお断りした。


着替えもベッドを整えることも掃除の仕方もこちら来た最初の日に教えてもらっていたからだ。侍女たちがわたしの存在を扱いかねていた最初の日だけは、わたしの尋ねるがままにそのやり方を教えてくれたのだ。


次の日からは「ミレナの仕事ではありませんよ」と有無を言わさぬにこやかな笑みを浮かべて断言されてしまったが。


けれど、今思うと侍女がパロナーラさん一人だけというのは彼女の負担が大きくなるだけのわたしのわがままだった。出来ることはやらせて、とお願いしているのにパロナーラさんはにこりと笑って首を横に振るだけ。


たとえその後ろに“代理”がついても“仮”がついても、わたしは聖女だからだ。


「パロナーラさん」


「はい、なんでございますか」


「一緒に入らない?」


「ミレナ、今日は一段と甘えたがりなのですね」


パロナーラさんはふふふ、と上品に笑っていたが、了承はしてくれなかった。当然だ。そのくらいわかっていた。



この城のほとんどの人はわたしをミレナと呼び、まるで子どもの相手をするようにわたしと接する。言葉遣いだって聖女様や陛下に対するものとは違いいくらか砕けたものだったがわたしはそれでよかった。


しかしわたしの話し方はどうなのだろう。パロナーラさんに対しては関係上、わたしが上にいなくてはいけないのだそうだ。だからパロナーラさんや衛兵、騎士団たちにはわたしが話しやすい口調で会話をしている。皆わたしより年齢が上だから最初は緊張した───というのは嘘で、敬語慣れしていない当時女子高生わたしには大変ありがたい申し出だった。


聖女様と陛下のお二方については言うまでもない。わたしの持つあらゆる丁寧な言葉を用いて会話している。といっても会話と呼べるほど言葉を交わせているのは聖女様のみで、陛下はいつもわたしを無視されるか「これ以上付きまとうなら殺す」と殺人予告なされるかのどちらかだ。このあたりについてはわたし自身承知しているから特に問題ない。


むしろ一番の問題となっているのはクランツ様だった。クランツ様はわたしの専属護衛ということになっている。きっと今も扉の向こうに控えていることだろう。わたしが知る限り、わたしのことを一番に甘やかすのは彼だ。


しかしそれに乗じて口調を砕けさせるのはいかがなものか。クランツ様はわたしの護衛である前に陛下の側近で、名ばかり聖女のわたしがそのように接するのはどうなのだろう。この辺の判断も何が正しいのかよくわからない。


だからクランツ様の前での話し方はいつも定まらない。気が緩んだり心細くなったりしたときは特にダメだ。


「ミレナ」


カタリと目の前のカップが持ち上げられた。


「そんなにぼんやりして、さては眠いのですね。早く身体を清めてお休みになりましょう」


「わたし、今日は充分寝たよ」


「あら。本日はテルトラの穢れを清めに行ったのでは?」


「うん、でも帰りに。クランツ様が、」


クランツ様の名前を出した途端、パロナーラさんは輝かしい笑みを浮かべる。クランツ様はお顔が端整でいらっしゃるからさぞ噂にもなりやすいのだろうと思う。


婚期真っ只中であることだしそろそろ結婚や婚約の話が出てもおかしくないのだ。 そうしたら相手は貴族のご令嬢だろうか。彼はとても優しくてかつ甘やかすのが得意な人だから、少しわがままなくらいの人がお似合いかもしれない。


「まあまあ。私にもそのお話聞かせてくださいな」


にこにことわたしの手を取り首を小さく傾けるパロナーラさんを見て、わたしは少しだけ笑った。


会話を続けることが不得意でありながら、わたしはクランツ様の話を誰かにするのが好きだ。パロナーラさんはそのことを知っていて、パロナーラさんがそれを知っていることを、わたしも知っている。

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