表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
7/26

第六話「はじめての地上」

 翌朝、シンヤとユイはパイロットスーツに身を包み、アヤカと向かい合っていた。

「それでは今から君には地上に出てもらいます」

 アヤカは直立不動のままそう言った。シンヤは腕を組み、彼女をじっと見ていた。

「今日はオカモトさんと組んで五時間程度、規定ルートの哨戒をしなさい。何かあったらすぐ連絡を入れるように」

「はい」

 シンヤとユイはそろって返事をした。

「かならず、生きてかえってくること」



「最終チェック、完りょーう! ハンガー、外せー!」

 整備員たちのかけ声で、シンヤの搭乗する機体を挟んでいた固定具のボルトが外れ、スライドして後ろへ下がった。

「AACV、エンジン点火ー!」

 軽い振動と共に、コクピット内がぱぁと明るくなった。青白い光がシンヤの浮かない顔を照らし出した。

「全システム異常無し。最終安全装置解除。クロミネ機、地上ゲートへ移動せよ」

「……はい」

 シンヤは小さくそう返事して、AACVの足を動かし、床に描かれた矢印に従って歩かせた。歩む度に振動が体を上下に揺らした。緩やかな曲線に従って進んだ先には、地上へのリフトの入り口である、分厚く重い扉があった。それはシンヤ機が近づいていくに従って、少しずつ開いていっていた。シンヤはその薄暗い向こう側から、この世のものではない冷気が吹き込んできた気がして、少し寒気がした。

 扉をくぐって、警告灯の光でオレンジ色に照らされているリフト内に待機した。しばらく待つと、オカモトの乗るAACVも同じルートでこちらにやってきた。その背にはシンヤのAACVと同様に、大きな円形のレドームが乗っかったレーダーユニットを装備していた。二機が共にリフトに乗ると、扉は重い音と共に閉まった。

 数秒後、大きな振動があってリフトが動き出した。身体が上へ舞い上がっていくような感覚に、昇天する時というのはこんな感じだろうかと、シンヤはなんとなくそんなことを考えた。

 耳障りなサイレンが鳴って。上方で重いロックが外れる音が聞こえた。灰と塵の塊がAACVのわきににドサドサと落ちてきた。そして突然視界が開ける。

 ……地上だった。

 降り続く灰塵に覆われた大地と、晴れることの無い黒く分厚い雲の天井に挟まれた、暗黒の世界だった。しかしすぐにAACVのカメラの暗視機能が僅かな光をかき集め、色調補正が起動し、世界はむりやりに明るく修正された。それでも画面に映る地上の風景は、果てがぼやけていて、そこまで遠くは見通せなかった。その光景がなんだか地下都市と似ている気がして、シンヤは少し切なくなった。

「クロミネさん、聞こえますか?」

 通信機からオカモトの声がした。シンヤは返事をした。

「地上には目印になるものがほとんどなくて、自分のいる位置を見失いやすいですから、慣れるまでは私についてきてください」

「わかった。じゃあおねがいするよ」

「はい」

 そう言ってユイの機体の肩スラスターが火を噴き、リフトから灰塵の海へとその身をおどらせた。シンヤは彼女を見失わないようにペダルを踏み込んだ。

 地上は恐ろしいほどに静かだった。

 AACVの円盤関節が駆動して出る音と、エンジン音、それとときおり灰に足をとられて、それから脱出するためのスラスターの噴射音以外、本当に何も音がしなかった。もしAACVを降りて、ひとりで地上を歩いたら、物音に飢えて気が狂ってしまうかもしれないとシンヤは想像した。少しのあいだ機体を停めて、その気分を味わいたい好奇心にかられたが、関節の凍結とコクピット内の温度低下を防ぐために、AACVの足はなるべく止めるな、とタクヤに言われていたのを思い出した。地上から陽光が消えて何十年もの長い時間が経っていた。地上の平均気温は極低温にまで下がっていた。海すらもほとんどが凍りつく世界の中、AACVのエンジンと、肩スラスターが出す爆熱が、機体を凍結させないために使われているのだった。

 地上を歩み始めて数十分が経った。シンヤはあまりの何もなさに、なんだか拍子抜けしてしまっていた。てっきり、地上は戦火であふれていて、息つく暇もないような緊張の瞬間の連続が襲ってくるのだとシンヤは思っていたが、実際は、暗闇と、降り続ける灰塵と、無音以外に、動くものの気配すらなかった。その静寂は、かつてこの場所に無数の生き物があふれ、人類が繁栄を謳歌していたとはとても思えないほどだった。シンヤは退屈していた。

「ヒマだな」

 なんとなく声を出すと、ユイがフフと小さく笑った。

「そうですね」

「いつもオカモトさんはひとりで?」

「いえ、この任務は最低でもふたりひと組って決まってるんですよ」

「そうなのか」

 シンヤはユイのことを話しやすい人だ、と感じた。それからはじめて廊下で彼女を見たときの気持ちを思い出して、自分の短絡さに恥ずかしくなった。そのあとしばらく、シンヤとユイは談笑を続けた。話題は好きな音楽についてだとか、好きな映画や本について、という当たり障りのないものだった。どうやらユイは文学作品が好きなようで、視力が弱まる前はソウセキ・ナツメやケンジ・ミヤザワ、ハルキ・ムラカミなどの古典を好んで読んでいたらしかった。彼女は、小学生のときの読書感想文コンクールに、「吾輩は猫である」を題材にして金賞をもらったということを嬉しそうに語った。シンヤはユイが挙げた著者の本をひとつも読んだことがなかったが、彼女が面白いというならば、きっとそうなのだろうと思った。シンヤはその流れで、ずっと気になっていたことを彼女に質問してみることにした。

「オカモトさんってさ、どうやって操縦してるの?」

「はい?」

 通信機越しの彼女の声はわずかにくぐもっていた。

「AACVとかさ、視力が弱いと難しくないか?」

 シンヤはそう言いながら、操縦席内に視線をめぐらせた。狭苦しい操縦席の内側には、メインモニターの片隅に表示される、いくつかの重要な数値やレーダーのほかに、さまざまな情報を示す計器やランプ、スイッチなどがところ狭しと並んでいて、AACVを操縦するときはそれらをときどきチェックしなければならないのだった。それは普通の人間になら簡単なことだったが、彼女のような人間には難しいのではないかと思われた。ユイは少し間をおいてから答えた。

「そういえば、クロミネさんには教えていませんでしたっけ」

 彼女はどことなくばつが悪そうな声だった。

「なにを?」

「わたし、義眼なんです、右目だけ」

 シンヤは驚いた。あの眼帯は白内障かなにかのためではなく、義眼を隠すためだったのか。

「この義眼、視神経につながっていまして、わたしのAACVの操縦席には、さらに義眼と機体のカメラをつなげる端子があるんです」

 えっ、とシンヤは声をあげた。

「それって、つまりAACVのカメラの映像を、自分が見ているもののように見ているってことか?」

「『もののように』ではなく、実際に見ているんです」

 想像がつかなかった。彼女はAACVに乗っているときだけは視力を取り戻せるのか。それならば訓練室でのあのすさまじい動きも納得できる。

「でもそれなら、普通のときでも視力を回復させることもできるんじゃあないか?」

「それは……」

 なぜか彼女は口ごもった。訊いてはいけないことを訊いてしまった気がして、シンヤは自分のうかつさに申し訳ない気持ちになった。

「……わたしがお願いしたんです」

 ユイがいちだんと悲しげな声で言った。

「……どうして?」

 迷ったが、シンヤは結局訊いた。

「見とどければならないと、そう思ったからです」

 会話はそこで終わってしまった。ユイの重苦しく悲しげな声色に、シンヤは口をつぐむことにしたのだった。そのかわり、彼は彼女の言葉の意味を考えることにした。

(『見とどければならない』とは、どういうことだろう? なにを見とどければならないと、彼女は感じたのだろうか)

 シンヤはモニター越しに、広漠とした無音の世界を眺めやった。

 灰塵は変わらず降り続き、闇は揺らぐことなく自分たちを取り囲んでいる。ときどき風に吹かれて舞い上がる灰の煙が、闇の中からこちらをうかがう怪物のように見えて、シンヤはそのたびに心臓をなぜられるような思いがした。シンヤはその感覚に覚えがあるような気がして、自分がまだ小さかったころのことを思い出した。

 あれはシンヤがまだ小学校低学年のころだった。布団の中でシンヤははっと目を覚ました。部屋の電気は消えていて、真っ暗闇の中にシンヤはほうりだされた。体を起こしたシンヤは、尿意をおぼえて、布団から這い出した。部屋の電灯を点けようかとも思ったが、すぐ隣に毛布にくるまった両親の丸い輪郭が見え、起こしてはいけないとそっと部屋を抜け出した。寒い夜だったことを覚えている。部屋を出たさきの、けっして長くないはずの廊下は、暗闇のせいで奥の輪郭がぼやけて、果てしなく長い回廊に見えた。それでも尿意に負けて、その先のトイレにたどりつこうと一歩を踏み出した直後、シンヤは目を見開き、つばをのみこんだ。

 暗闇の奥で何かが動いたような気がしたのだ。それは今思うとただの錯覚にちがいなかったし、もしなにかおそろしいものを見たとしても、夢にちがいなかった。それでもそのときのシンヤの幼い心には、今まで経験したなによりもおそろしい怪物が自分を待ち構えているように見えて、すっかり足がすくんでしまったのだった。結局その夜、シンヤは明るくなるまで尿意を我慢した。

 暗闇には怪物が潜んでいることをシンヤは思い出した。都市の光の氾濫はあのおそろしい怪物をどこかへ追いやるためなのかもしれない、とシンヤは考えた。だが暗闇の奥の怪物は駆逐されたわけではなく、いつだって自分たちを待ち構えているに違いなかった。そいつはきっと最初の人間が生まれたときから人類とともにあったのだ。怪物に名前はあるのだろうか。あるとしたらそれはいったいどんな名前なのだろう。シンヤはなんとなくそれを知っているような気がした。

 そんなことを考えつつAACVを歩かせていると、灰の深みに片足をとられて転倒しそうになったので、シンヤは頭を振り、任務に意識を向けることにした。しかしそれでも怪物の幻影はなかなか消えてはくれなかった。



 午前中の任務をなにごともなく終えて帰還し、各種の報告も終えたシンヤは、ユイと分かれ、自分の部屋に戻ってベッドに身を投げ出した。ただ長い時間乗っていただけなのに、とんでもなく疲れていた。体も怠いし気分も悪かった。また乗り物酔いだろうか。もうこのままずっと寝転んでいたいと思った。

 ベッドから離れ、ふらふらとした足取りで部屋を出て食堂へむかった。時刻はちょうど昼食どきだった。とにかく腹が減っていた。

 食堂は食券制だが、何を頼んでも無料だった。調理師の女性に直接言えばある程度のリクエストも受け付けてくれるらしかった。全体的にメニューは味がとてもよく、種類も豊富で、量もあるが、あんまりにも頻繁に食事を残す人間にはちょっと危険な任務が回されるようになるというまことしやかな噂があるとタクヤから聞いた。本当かは知らなかった。

 食券を手に入れて配膳カウンターに向かう途中で、どこからか名前を呼ばれた。見ると、タクヤ・タカハシが手を振っていた。彼は友人の整備員たちだろうか、三人の男たちと長テーブルを囲んで食事をとっていた。シンヤはカウンターで焼き魚定食(炊きたての白い飯と味付き海苔、ナスの味噌汁と、赤かぶの浅漬けに、培養ほっけの一夜干しと大根おろし)のトレーを受け取って、タクヤの隣の席についた。初めて会う人たちに軽く挨拶を交わした。予想どおり彼らは皆、タクヤの友人たちだった。彼らは筋肉質で若い人ばかりだった。彼らのたくましく健康的な腕を見て、シンヤは少しだけ自分の細い腕が恥ずかしくなった。

「おめでとさん」

 タクヤがいきなりそう言ってきた。何のことだかわからず目を丸くしていると、彼はシンヤの肩を叩いて言った。

「よく生きて帰ってきたなー」

 そういうことかと得心して礼を言った。向かいの席の青年が身を乗り出して訊いてきた。

「今日がはじめての地上だったのか?」

「はい」

「おーマジか。どうよ、地上は? 退屈だったろ」

彼は笑って言った。シンヤも笑った。

 シンヤは浅漬けに箸を伸ばした。コリコリして甘酸っぱかった。

「哨戒でしたし、そんな危険なこともありませんでした」

 照れくさい気持ちになりながら、今度は醤油をたらした大根おろしをほっけに乗せ、口に運んだ。絶妙な美味しさだった。ほんのりとした塩味が白い飯によく合った。大根おろしのささやかな辛みがさらに箸をすすませた。

 シンヤはそれからしばらく彼らと楽しく過ごした。そのさなか、シンヤは気づいてしまった。


評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ