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第四話「世界の真実」

 シンヤは床の上で目を覚ました。床に手をついて体を持ち上げると、体の節々が痛んだ。うめき声を上げながら周囲を見渡すと、見慣れない家具の数々が目についたので、シンヤは一瞬、自分がどうしてここにいるのかわからなかったが、すぐに昨日のできごとを思い出して、ひどく気分が落ち込んだ。どうやら精神的なショックと肉体の疲労のために、床にへたりこんだまま眠ってしまったらしかった。シンヤは立ち上がったが、なんだか体が自分のものではないような気がした。貧血のように頭がくらくらとし、気分が悪かった。それに空腹でもあった。こんな状況でも腹が減るのが、なんだかとても情けなく感じたが、このままではなにもできそうになかったので、とにかくそれらをなんとかすることにした。シンヤは衣装箪笥から新しい下着と服を見つけると、バスルームで熱いシャワーを浴びた。バスルームから出て、タオルで体を拭きながら、コップで水を飲むと、なんだか活力がわいてくるような気がした。昨日着ていたものとほとんど同じようなデザインの服に着替えて、壁の時計を見上げると、すでに午前十時を回っていた。それからあらためて食事をとろうと思い立ち、部屋をあさってみたものの、食べられそうなものは見つからなかった。

 どこかに購買か食堂のようなものがあるのだろうか、シンヤはそう思って靴を履き、部屋を出た。昨日アヤカと歩いた長い廊下に出たシンヤは、やっぱりあれは夢じゃなかったのだという絶望を一歩ごとにつよくした。シンヤは案内板でもないかと周囲を見渡しつつ歩いていたが、見つからなかった。しかも、気の向くままにいくつもの曲がり角を曲がっていたせいで、気づいたときには、シンヤは自分がいったいどこにいるのかわからなくなってしまっていた。

 どうやらこの施設はシンヤの想像以上に広く複雑な構造をしているらしかった。そのうえ、どこの廊下も単調な壁と、同じデザインの扉と、無機質な照明しかなかったので、目印になるようなものさえなかった。シンヤはすっかり困ってしまい、とにかく誰かに道を訊こうと人影をさがした。すると、長い廊下の向こうから誰かがこちらに向かって歩いてきているのに気が付いた。シンヤはちょうどいいと思ってその人影に近づいたが、その人物が手にしているものを見てぎょっとした。

 その人物は白杖を手にしていたのだ。その人影は少女だった。彼女はシンヤと同じような規格のシャツとズボンを着ていた。体格は細身というより、痩せすぎで、不健康な印象だった。彼女は手にした白杖が示すとおり、視力に難をかかえているらしかった。彼女は海賊が身に着けるような黒い眼帯を右目につけていたが、左目の瞳も白く濁っていて、ほとんど見えていないようだった。その瞳からは生気が感じられなかった。顔つきから予想するに、どうやら彼女はシンヤと同い年か、年下らしかったが、うつむき気味に静かに歩く動作は、むしろ老人を連想させた。髪はショートボブに似た長さの黒髪で、かなり傷んでいた。それがますます彼女に暗い影を与えていた。

 シンヤは彼女の纏う退廃的な雰囲気におどろいて、通路のわきにとびのいた。それから息をひそめ、彼女が自分の前をゆっくりと通り過ぎるのを待ち、その姿が曲がり角の向こうに消えると、ほっと胸を撫でおろした。なぜだか彼女に声をかけることは、してはならないことのように思えたのだった。シンヤは彼女が消えていった方角と反対方向に歩を進めた。

 しばらく歩くと、いきなり、すこしひらけた場所に出た。そこはしゃれたデザインの丸テーブルと椅子がいくつも並ぶラウンジだった。壁には観葉植物と自動販売機がずらりとあった。天井には地下都市の天井と同じ、空のスクリーンが貼られていて、真昼の青空を映しだしていた。天井の真ん中から垂れ下がったポールの先には大きなディスプレイがあって、どうやらテレビ番組を流しているらしかった。そのディスプレイの前に、番組を見ながら缶の炭酸飲料を飲んでいる青年が、ひとり、丸テーブルの上に両足を乗せて座っていた。彼のほかにはラウンジには誰もいなかった。

 シンヤはその青年に見覚えがあった。彼はどうやら、昨日アヤカと一緒に歩いているときにすれ違った青年らしかった。シンヤが彼に近づくと、気づいた彼は、片手を挙げて快活な笑顔を見せた。

「よう!」

「どうも、こんにちは」

 シンヤもつとめて明るく振舞いながら、彼に会釈した。彼はテーブルから足をのけると、シンヤのほうに体を向けた。

「新しい人?」

 青年はそう訊いてきた。シンヤは「はい」とうなずいた。

「そっか、俺はタクヤ・タカハシ。よろしく」

 タクヤは椅子から立ち上がり、シンヤに手を差し伸べた。

「シンヤ・クロミネです」

 シンヤはその手をとって、タクヤとかたい握手を交わした。タクヤの力は強く、シンヤは少し痛かった。

「災難だったな」

 タクヤはそう言ってシンヤから離れると、いちど自販機のところまで行って、缶を手にして戻ってきた。彼はその缶をシンヤに放った。シンヤは慌てて受け取った。

「炭酸は苦手じゃないよな?」

 彼がシンヤに渡したのは、彼が飲んでいるものと同じ炭酸飲料の缶だった。シンヤは椅子に座りながら「大丈夫です」と答えた。

「ありがとうございます」

「べつに礼とかいいよ、ここじゃなに頼んでもタダだ」

 席に戻ったタクヤの言葉に、シンヤは目を見開いた。

「そうなんですか?」

「そうさ。あっこに並んでる自販機は小銭なんかいらねぇし、食堂だってカネはいらねぇ。欲しいものはなんだって――新しい服も、勉強道具も、ゲーム機に避妊具だって――くれるし、ものに不自由することはないぜ」

 そう言いながらタクヤは自分の缶に口をつけた。

 シンヤはあらためて彼の姿を眺めた。彼はおそらく整備員たちの制服であろうツナギを着ていたが、今は上半身を脱いで、両袖を前で縛っていた。ツナギの下は黒いタンクトップで、彼の筋肉質な体によく似合っていた。歳はシンヤよりも上に見えて、大学生くらいだろうとシンヤは予想をたてた。血色は鮮やかで、見るからに健康そうだった。彼は休憩中なのか、つよい汗と機械油が混じったにおいがしていた。背は高く、百八十センチはありそうだった。おまけに顔つきも精悍で、美青年と言ってもいいくらいだったが、それだけに彼の両耳にじゃらじゃらとついた、たくさんの頭蓋骨や十字架モチーフのピアスや、金髪に染めたぼさぼさの髪が、シンヤにはとても残念に思われた。彼の発する声は力強く、よく通り、耳から離れにくい声だった。表情は快活でとてもさわやかだった。シンヤはなんとなく、この人とは仲良くなれそうだと思った。

「タカハシさんは整備員かなにかですか」

 シンヤが訊くと、彼はうなずいた。

「タクヤでいいぜ。AACVから陸上戦艦まで、なんでもやる。整備以外にプログラミングとかもやるけどな。シンヤはパイロットか?」

「はい」

「そっか、そりゃあ……なんつーか、ツイてないな」

 そう言ったタクヤは、憐れむような、期待するような、なんだか複雑な視線をシンヤに向けた。シンヤは彼の表情の意味がわからなかったので、あいまいに頷くしかなかった。

「タクヤさんはどうやってこの……ええと……」

 シンヤはタクヤに質問しようとして、この組織の名前を失念してしまったことに気づいた。するとシンヤの質問を先読みしたらしいタクヤが「幽霊屋敷」と助け舟を出した。シンヤはそんな彼の察しの良さに、すこしおどろいた。

「そうです、この幽霊屋敷に来たんですか?」

 タクヤはシンヤから視線を外し、頭上のディスプレイのテレビ番組を見ていた。番組は自然保護区内の生き物を解説したドキュメンタリーらしく、二ホンミツバチが巣を守るために、大勢の仲間たちの体温で、天敵を自分たちもろとも焼き殺す、という生態を解説していた。タクヤはそれをシンヤに示して言った。

「なぁシンヤ、あいつらはどうしてあんなにも躊躇なく自分の命を捨てるようなことができるんだろうな?」

 タクヤがそう言ったので、シンヤもディスプレイを見上げた。シンヤは少し考えて、「本能だからじゃないですか」と返した。

「かもしれないな。でもきっとそれだけじゃない。あいつらは自分たちが死んでも、いや積極的に死ぬからこそ、巣が存続することを知っているんだ。だから躊躇しないに違いない」

 彼はどこか遠くを見るような目でそう言って、ふたたびシンヤに視線を戻した。

「なんの話だったっけ。ああ思い出した、俺がどうして幽霊屋敷にいるのか、だったな」

 彼の言葉にシンヤ小さくうなずいた。口に運んだ炭酸がのどをいじめた。

「おれはここに来てもう二年だ。歳は二十四で、ここに来る前は工学系の大学生だった。あるとき大学主催の、技術コンテストみたいなやつがあって、それに優勝したら、翌週には蒸発したことにされた」

 タクヤの口調は、どこか他人のことを話すような、無感動なものだった。シンヤはその声色に彼の心情があらわれている気がして、切なくなった。

「やっぱり、ほかの人たちも、皆そんな感じなんですか」

 シンヤの質問にタクヤは大きくうなずいた。

「ああそうさ。この施設にいるやつらはみーんな自殺したり、殺されたり、失踪したりしてるやつらばっかりだ。もしくは国立の児童養護施設出身だったり、とんでもない犯罪者だったり、とにかくいろいろいる。俺たちは社会に存在しない幽霊たちなのさ」

 彼の口調は自嘲するようだった。シンヤは憤った。

「いくら政府だからといって、いくらなんでもこんなこと。それじゃあやっぱり、この国は戦争をしているんですか」

 シンヤは昨日のアヤカの言葉を思い出していた。彼女の言った通りならば、今でも地上では戦争が起こっていて、AACVや、陸上戦艦がたくさん動員されて、多くの人々が死んでいるに違いなかった。そしてそれは他人事ではなく、シンヤ自身の身にせまる危機だった。シンヤはそんなことに巻き込まれるのはまっぴらごめんだと感じていた。

「ああそうだぜ、信じられないのも無理はねーがな」

 無情にもタクヤはそう言った。シンヤはがっくりとうなだれた。

「タクヤさんは」

 シンヤはうつむいたまま言った。

「タクヤさんは、家に帰りたくないんですか」

 そう言いながら、シンヤは家族のことを思い出していた。あの暗い雰囲気の集合住宅に戻りたかった。毎日夜遅くに帰ってくる雑談の苦手な父と、一見粗暴に見えて、その実しっかりと自分を見守ってくれていた母のもとに帰りたかった。三人でしょうが焼きを囲んだ食卓が遠い昔のことのように、現実感を欠いたかたちで思い出された。シンヤはその翌日の朝に交わした母との会話を思い出そうとしたが、できなかった。あれが最後の会話だったのに、なぜしっかりと覚えていないのかと自分を怒鳴りつけたくなった。目じりに涙が浮かんできたので、シンヤはそれを手の甲でぬぐった。

「最初は帰りたかったさ、もちろん」

 タクヤの声にシンヤは顔を上げた。彼は同情するような目でシンヤを見ていた。

「でも、半年もここにいれば、そんなことは思わなくなる」

 シンヤは耳を疑った。タクヤがそんなことを言うのはなぜだかとても意外に思えたのだった。

「それはどうしてですか」

「さぁな。でもきっとお前もそうだぜ」

 タクヤは炭酸飲料を飲みほして席を立った。そのとき、テーブルに缶と一緒に置いてあったなにか小さなものも、彼はポケットにつっこんだ。

「ところでシンヤ、お前どっか行こうとしてたんじゃないのか?」

 見透かすような目でタクヤがそう言ったのを聞いて、シンヤは自分がひどく空腹であることを思い出した。そしてそれと同時に大きな腹の音が鳴ったので、タクヤは笑った。

「食堂ならすぐそこさ、案内してやるよ」

 シンヤの返答も待たずにタクヤは歩き出した。シンヤはあわてて炭酸飲料を飲みほし、缶をゴミ箱に捨て、彼の背中を追いかけた。

 その途中、ふたりは廊下を通り過ぎるアヤカ・コンドウを見かけた。シンヤは顔を合わせたい気分ではなかったので、逃げ出そうかとも考えたが、それよりも先にタクヤが彼女に声をかけた。アヤカがその呼びかけにこちらを振り向いたとき、わずかに眉根を寄せたのを見て、シンヤは、もしかして彼女はタクヤが苦手なのかもしれないと思った。アヤカはシンヤの姿を見ると、早足でこちらに近づいてきて、シンヤに今後の予定を伝えた。それによると、このあとシンヤは、幽霊屋敷と地上と戦争についての基礎的な説明を受けねばならないらしかった。シンヤは拒否しようとしたが、彼女の刃のようなするどい瞳がそれを許さなかった。さいわい、食事をとる時間は認めてくれたので、シンヤは彼女とわかれたあと、タクヤとともに食堂に向かう足をはやめた。屈辱と怒りで食事の味もろくにわからなかった。タクヤは休憩時間が終わったらしく、シンヤが食事を終える前にどこかへ消えていった。シンヤは食器を片付けると、ぴしゃりと自分の両ほほを叩いた。活力とともに闘志がメラメラとわいてきていた。シンヤは力強い足取りでアヤカに指定された部屋へと向かった。



「それではこの幽霊屋敷について詳しく説明します。質問があればその都度手をあげなさい」

 学校の教室程度の広さのミーティングルームで、シンヤとアヤカは向かい合っていた。シンヤはいくつも並べられた机のひとつに腰かけていたが、アヤカは演壇の上にプロジェクター用のスクリーンを背にして立っていた。彼女は手元の端末でスライドをスクリーンに投影すると、シンヤに向けて、よく通る声で言った。

「まず、この幽霊屋敷の正式名称だけれど、『小惑星片回収ならびに小惑星核落下地点特定のためのあらゆる法的束縛を受けない、特殊機動兵器の軍事的運用のための極秘機関』といいます。通称は『幽霊屋敷』で、会話するときや、書面でも、基本はそっちを使うから、わざわざ覚える必要はありません。この組織は防衛大臣直轄の秘密組織であり、単独での軍事行動や、必要に応じた自衛隊の協力を強制する権限を持ちます」

 シンヤは、アヤカが口にした内容の後半は、難しくてよくわからなかったので、正式名称の意味を考えようとしたが、そうするまでもなくアヤカが解説にはいった。

「私たちの主な目的は、その名の通り、『小惑星片回収』と、『小惑星核落下地点特定』のふたつ。まず最初に、この二点を詳しく説明します」

 アヤカは端末を操作して、スクリーンにスライドを映しだした。投影されたのは、シンヤの教科書にも載っている、地下都市以前の地上の都市を写した写真だった。

「われわれ人類が地下に都市を築く以前、人々は地上にてその繁栄を謳歌していました。しかしあるとき、地球に激突することが確実な巨大小惑星が見つかった。われわれの前身である日本国をはじめとする、世界中の国々は、それからなんとかしてこの確実な破滅を避けようと、様々な方策を試したわ。そのうちのひとつが、いまわれわれが生活している地下都市計画だった」

 スライドが変わった。青い地球に巨大な小惑星が激突する直前のCG画像だった。

「そしてとうとうそのときはやってきた。地下都市を建設できた国家はその中に逃げ込んでじっとそのときに備えていたけれど、そうでない国々もあった。主に地下都市建設の費用が確保できなかったりした小国たちね。彼らは地下に逃げる代わりに、小惑星をミサイル攻撃で砕いて、なんとか被害を分散させようと計画し、そして実行した……その結果が、これよ」

 彼女はまたスライドを変えた。映しだされた画像を見てシンヤは息をのんだ。

「これは真昼の地上よ」

 アヤカがそう言って示したのは、果てのない闇と降り積もる灰塵の世界だった。黒い塵と灰は大地を埋め尽くし、その下の文明の痕跡を完全に覆い尽くすほどに、厚く積もっていた。灰の平原はどこまでも広がっていて、その果ては周囲を覆う無明の闇の中に溶けてひとつになっていた。画像を撮影するための投光器の強力な光さえも、無辺の闇は飲み込んでいて、その光景が、シンヤには、なにかおそろしい怪物が大口を開けて待ち構えているように見えた。シンヤはこれまでにも学校の教科書などで、地上の画像を見たことはあったが、今ここで見る画像以上に真にせまった迫力を持つものはなかった。この光景は、自身のすぐ頭上にたしかにあって、そこでは多くの人が死んでいるのだ。無明の闇の中、空から絶え間なく降り注ぐ灰に、少しずつその体を覆い隠され、やがて自分が存在したあかしすら何もなくなってしまうまでの過程を想像して、シンヤは身震いした。

「当時の計算では――」

 アヤカの声でシンヤははっと我にかえった。

「――小惑星の欠片はここまでの被害をもたらすものではなかった。もちろんその計算というのは、小惑星片落下によって誘発される、世界規模の大地震、津波、火山の噴火等を充分考慮に入れた計算よ。ではなぜ予測できていながら、地上はここまでの壊滅的な打撃をうけ、生き物は死に絶え、人類ですらその人口の七割を犠牲にしなければならなかったのか?」

 さらにスライドが変わった。スクリーンに投影されたのは鉱物の写真だった。その鉱物は青く輝く結晶で、かたちは水晶に似ていた。鉱石のすぐ横には一センチを示すメモリがあって、それから判断するにどうやらその結晶は一立方センチメートルほどの小さいもののようだった。

 アヤカはシンヤがそれをじっくり観察し終わるまで待ってから、解説を再開した。

「地球にやってきた小惑星は、ただの岩石と金属の塊ではなかったのよ。この鉱石はその小惑星の中に含まれていた、地球上に存在していなかった物質で、膨大なエネルギーの結晶体のようなものよ。われわれは皮肉をこめて『ピースフル・マテリアル』……通称『P物質』と呼んでいるわ。ミサイル攻撃は小惑星内部にあったこのP物質を刺激してしまい、大爆発させたの。文字通り空を覆うほどの大爆発は、想定の何倍もの被害を地上にもたらし、そのせいでいくつもの国家が地下都市を自らの墓穴とした。そして地上に在った国家は、比喩でなく、消え去った」

 シンヤはそう言う彼女が一瞬苦々しげな表情を浮かべたのを見た。

「われわれの目的はこの『P物質』を回収することにある」

 アヤカはシンヤの前に立った。

「ねぇクロミネくん、きみは地下都市のエネルギーが、どのように確保されているか知ってる?」

 彼女の口調はどこかからかうようだった。シンヤはわからなかった。

「そうね、しょせんその程度の認識よね。もし一日でも電気が使えなかったら、地下都市がどうなってしまうか、なんて考えたこともないんでしょうね」

 挑発的な口調にシンヤはむっとした。

「使えなくなったらどうなるっていうんですか」

 シンヤの力のこもった声も、彼女にはまるできかないようだった。アヤカは見下すような笑みで言った。

「まず空と太陽照明がいっせいに消えて、完全な暗闇が訪れる。しばらくは非常電源が点いているでしょうけれど、それも長くはもたないわ。同時に、通信機器が使えなくなってパニックが起こり始める。パニックは火事を引き起こすわ。出た煙は地下都市の換気装置が止まっているせいで空間内に充満し、また気温も上がり始める。地下都市は巨大な燻製箱になるわね。人々は水を飲もうとするけれど、浄水装置が止まってしまったせいで飲料水は汚染されているから、飲めば飲むだけ死に近づくことになる」

 淡々としたアヤカの語り口は、かえってシンヤの想像力を刺激し、その惨状を思い描かせた。シンヤはその想像を断ち切りたくなってアヤカに言った。

「その話と、そのP物質とかいうのに、どういう関係があるんですか」

「大ありよ」

 アヤカは不敵に笑った。

「現在ジオ・ジャパン政府は、地下都市のエネルギーを核融合発電や原子力発電でまかなっていると公表しているけど、それは全部うそ。本当は、地下都市のエネルギーはそのほぼすべてがこの『P物質』によってまかなわれているわ。それはジオ・ジャパンだけでなく、すべての地下都市国家に言えることよ」

 シンヤにはアヤカがなにかの冗談を言っているようにしか思えなかったが、昨日のAACVの姿を思い出して、きっと本当のことなのだろうとむりやり納得しようとした。

「P物質は、原子力発電や核融合なんて比較にならないほどの、強力で、安定したエネルギー源なの。このスライドには約一立方センチメートルの小さなかけらが映っているけれど、あれだけでも、この地下都市国家で消費する一年分のエネルギーをまかなえるわ」

 シンヤはますます驚いた。

「P物質は小惑星片の内部に存在し、そして小惑星の核には、世界最大のP物質の塊があると予想されている」

アヤカはふたたびシンヤにむきなおり、大きな声で言い放った。

「われわれ幽霊屋敷の使命は、地上を探索し、この『P物質』と、小惑星核の落下地点である『グラウンド・ゼロ』を発見することである! 現在、このいつ終わるかもわからない暗黒の時代を生き抜くために、世界の国家はP物質の争奪戦を繰り広げている! P物質こそが、われわれ人類の最後の希望であるのだ!」

 彼女は熱のこもった声でそう語った。シンヤは手を挙げた。

「なに?」アヤカは言った。

「小惑星片のなかにP物質っていう大切なものが含まれていて、それを巡った戦争がされているっていうのはわかりました」

 シンヤは机の上に身を乗り出した。

「でもそれじゃ、俺みたいな一般人を、わざわざ拉致までしてひっぱってくる理由がわからない。幽霊屋敷は自衛隊の力も使えるんだろう? だったらこんなことする必要ないじゃないか!」

「いい質問ね。だけど答えたくないわ」

 アヤカは冷たくそう言った。シンヤは激昂して立ち上がった。

「どうして!」

「理由はシンプル」

 彼女は冷ややかな目でシンヤを射抜いた。

「きみがどんな理由を並べられても納得しないからよ。きみはかわいそうなことに、個人のいのちは全体の生存より大事なものだと思っている。きっとご両親にたっぷり愛されて育ったんでしょうね」

「違うっていうのか! じゃあアンタはどうなんだ! 全体のためなら死ねるっていうのか!」

「ええ」

 シンヤの怒声にも動じず、アヤカは即答した。シンヤは彼女の目を見て戦慄した。彼女のその瞳にあらわれた冷たい光は、彼女の言葉が演技ではないと直観させるに充分なものだった。シンヤはすっかり震えあがって、椅子にふたたび腰をおろした。

「ま、私の死が全体の利益になるなんてことはまずないでしょうけれど」

 そう言いはなつ彼女の所作は自身に満ち溢れていて、そうかもしれないとシンヤに思わせた。

「もうひとつ」

 シンヤは言った。

「どうぞ」

「どうして世界中の国々は協力しないんですか。人類生存の危機なら、みんなで団結すればいいじゃないですか」

 言いながらシンヤはアヤカを睨んだ。アヤカはなにがそうさせるのか、おかしくてたまらないというような表情をした。

「協力、きょうりょく、ね」

 かみしめるように言葉を繰り返したアヤカは、シンヤに向かってほほえんだ。

「『協力関係』、たしかにそれは人間の美徳のひとつだし、そうできればきっと理想なのでしょう。でもクロミネくん、協力関係というのはいつだって危険なの」

 アヤカは微笑んだまま、やさしい目でシンヤを見た。シンヤは彼女のその視線が無垢な子供を見るときのものに似ている気がして、ひどく不快だった。

「対等な協力関係というものは、ふたつ以上の存在がほぼ同じ能力を持っているときしか成立しえないわ。もしそのバランスがくずれたら、片方はあっという間に片方をもう一方を飲み込むか、排除するでしょう。

いい? クロミネくん。小惑星の核――『コア』はそういうものなの。ふたつは存在しないから絶対に偏りが出て、それはすなわち世界の覇権を握ることになる。それがわかっているから、世界中のどの国家も、『P物質の所有権はその所在の如何を問わず、所有の表示を現におこなっている国家に帰属する』という国際条約に異議を申し立てなかったのよ。人と人とのあいだに真に対等な関係というものは存在しない。社会というのは共依存の言い替えなの」

「そんな……」

 シンヤは言葉を失った。人類すべてが瀕死といってもいいこの状況下でも、人は他者より優位に立ちたくてしかたないのだ。シンヤの胸に地下都市全体への失望がひろがっていった。

 アヤカはシンヤから目をそらし、スライドを切り替えた。鉄の巨人がスクリーンに映し出された。

「次世代装甲戦闘機――AACVは、そんなP物質の搾りかすのようなものを動力源として駆動する、有人ヒト型ロボット兵器よ。きみにはこの説明が終わったらさっそく、操縦の講習を受けてもらうわね」

 うつむくシンヤの耳に、それ以上の言葉は入ってこなかった。



 友人は棺に収まっていた。一昨日駅で別れたのが最後だった。

 突然すぎた。現実味が無かった。

 携帯電話を開いて電話をかければ、いつものように出てくれるとさえ思えた。

 そうだろう、シンヤ。そうであってくれ。

 リョウゴは棺に近寄った。

 熱い涙が頬をつたった。一滴、また一滴と零れ落ちて、喪服代わりの制服に染み込んだ。やがてリョウゴは泣き崩れた。彼はのどが痛くなるほどの大声をあげながら、鼻水も涎も拭かず、人目もはばからずに泣いた。泣いて、泣いて、涙も枯れてきたころに、自分に声をかける人があった。

 顔を上げると、シンヤの父だった。彼は来てくれた友人に感謝の言葉を述べ、深く頭を下げた。

しばらくして落ち着いたリョウゴは、彼にシンヤとの思い出を語った。

 文化祭で一緒に漫画のヒーローの衣装を着たこと、ほぼ毎日一緒に遊んだこと、課外授業でのシンヤのおかしな失敗のこと、些細なことから喧嘩したこと、そして一昨日、シンヤと駅で別れたことを語った。

 シンヤの父は目を伏せて「本気で泣いてくれる友達がいて、あいつも幸せだったろう」と言った。また涙が溢れそうになるのをリョウゴは堪えた。堪えながら震える声で言った。

「何か……形見になるものをいただけませんか」

 シンヤの父は快く了承し、あるものを差し出した。それは腕時計だった。その腕時計はシンヤが高校に入学した祝いに、父親自身が買い与えたものらしかった。文字盤のガラスには大きなヒビが入っているが、まだそれはしっかりと動いていた。その針の動きが生きていた頃の友人の姿に重なって、リョウゴはまた込み上げるものを感じた。

 腕時計を抱きしめ、堪えきれずにリョウゴはまた泣いた。


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