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第二話「地下都市ジオ・ジャパン」



 蛇口をひねって水を止めた。濡れた金属の擦れる音が、誰もいない男子トイレに反響した。手をハンカチで拭きつつ眺めやった鏡には、見慣れた顔が映っていた。黒い短髪の少年が、やや茶色がかった瞳で鏡の中からこちらを見つめていた。カントウ第一高校の制服を着た体は少し細身だが、痩せすぎというほどではない。身長は高くもなく低くもなく、しかしどういうわけか、他人からは幼く見られることが多かった。それは顔つきのせいだろうと、シンヤ・クロミネは勝手に思っていた。

 ポケットにハンカチをしまって、トイレから出ると、学校の長い廊下に出た。真ん中に赤茶色の線が入った廊下の床を、窓から差し込んだ外の光が明るく照らし出していた。昼休みであるために人通りは多く、楽しげな話し声と笑い声がどこからか聞こえていた。窓の反対側の壁には教室の引き戸がズラリと並んでいた。シンヤは廊下を少し歩いて、そのうちのひとつを開けた。二年A組の教室内は廊下よりもさらにいっそう賑やかで、あたりに漂う学生たちの弁当や購買のパンの匂いが鼻をくすぐり、胃を刺激した。シンヤは窓際にある自分の机の周りに、数人の男子生徒たちがたむろしているのを見つけた。戻ってきたシンヤに男子生徒のひとりが気づいて手をあげた。返すと、ほかの男子生徒もシンヤに顔を向けて軽く挨拶した。

「おっすシンヤ」

シンヤの机の前にある座席に、体を逆に向けて座り、背中を丸めて背もたれに顎をあずけているリョウゴが言った。男子生徒が囲むシンヤの机の上には、シンヤ自身のものも含めた全員分の弁当が広げられていた。

「なぁ、昨日の試合見た?」

 シンヤの隣の机の上に、こちらを向いて腰かけていた、筋肉質な男子生徒が言った。

「『ジオ・ジャパン』対『北米生存同盟』の試合か?」

 その前にある椅子にだらしなく座って、いちごミルクの紙パックに刺さったストローをくわえた生徒が答えた。

「そうそう、惜しかったよなー。ロスタイムでまさかの逆転だぜ?」

「そうだなー、たしかに競り合いはすごかったし、終盤でのカキタニとエディの一騎打ちは熱かったんだけどなー。予想してないところからパスが来たもんなー」

 サッカーの話題で勝手に盛り上がり始めたふたりをよそに、リョウゴが、席に戻ったシンヤに話しかけた。

「なあ、再来週の定期テストどんな感じ?」

「うっ」

 不意の質問に、シンヤは口に運びかけていた弁当のおかずをあやうく落としそうになった。

「やめろよー、テストとかマジないわ」

「あーゴメンゴメン悪かった」

 朗らかに笑うリョウゴを見て、シンヤは苦笑いしつつミートボールを飲み込んだ。

「まぁ、なるようになるっしょ」

 するとリョウゴはなんだか悪いことを思いついたような顔をして、指を一本立てた。

「世界最後の戦争が終結したのは西暦何年?」

「……え?」

 シンヤは、彼がいきなりなにを言い出したのかさっぱりわからなかった。

「何年でしょーか?」

 リョウゴはニヤニヤしながらふたたびそう言った。シンヤは弁当の上に箸を置いて、少し考えた。

「たしか……二千三十年?」

「ブー、ハズレ。正解は二千三十二年でしたー。つーわけで罰としてミートボール一個もらい」

「あっ!」

 リョウゴは素早く手を伸ばし、シンヤが止める間もなく弁当箱からミートボールをひとつ、箸で奪い取った。シンヤの抗議の声も虚しくそれはリョウゴの口の中へと消えた。

「ちくしょー」

 シンヤは大げさに後頭部を掻いて悔しがった。

「ま、今のテスト範囲じゃないんだけどな」

「ちょっと待てお前ふざけんなミートボール返せ」

 リョウゴは愉快そうにカカカ、と笑った。無邪気な表情に、シンヤも笑うしかなかった。

シンヤは両手を頭の後ろにやって、背もたれに体をあずけた。なんとなく視線を横にはずして窓の外へととばした。校舎の四階の高さからは周囲の建物が見下ろせた。眼下では、都市計画に沿って作られた建物たちが、起伏のない地面を埋め尽くし、無個性な表情でアスファルトの道路を見下ろしていた。その建物群は前後左右に広がり、はるか遠くに見えるおそろしく長い壁まで届いていた。壁は視界の端から端へと横に一直線に走って天と地とを二分していた。遠方に見えるあの長大な壁はこのカントウ第一ブロックの内壁だった。ジオ・ジャパンは「ブロック」とよばれる、地中にくりぬかれたいくつものドーム型の空間内に都市を建造し、それぞれをトンネルや道路でつなげるという構造の、ブロック制の地下都市だった。あの壁には、このブロックを他のブロックから分かつとともに、空を支える役目もあった。

 シンヤは視線を上方に向けた。その先には半球状の天井の内側に貼られた、途方もなく巨大なスクリーンに、青空の映像が映しだされていた。入道雲が浮かぶ「夏」用の空だった。その映像はとても鮮やかで美しかったが、太陽はなかった。地下都市を照らすのは太陽ではなく、太陽光を模した巨大照明群だった。太陽照明は地下都市の天井に等間隔で配置され、点灯と消灯のタイミングや光量を調整することで、日没や日の出を演出していた。それに合わせて、地下都市の天井を覆っている巨大スクリーンも、今のような真昼の青空から、夕方には燃えるような茜空、そして夜中には星々が輝く美しい夜空へと表情を変えるのだった。そして、その空を支えているのは壁だけではなかった。空から視線を落とし、もういちど町の建物群を見渡すと、町の中央に巨大な塔が立っているのが目についた。このブロックのどこからでも見えるその塔は、ほかの建物と比較しても異様な太さと高さを持ち、周囲を威圧するようにそびえて、空を支えていた。あれはこのブロックが土に潰されないように支える大黒柱であるとともに、ジオ・ジャパン政府の施設であるということをシンヤは知っていた。そして偉そうなスーツ姿の、厳めしい顔をした政府の人間が、その柱の上方にかすかに見える窓からこちらを見下ろしているかと思うと、そのたびにシンヤはなんだか気力が奪われるような気分になるのだった。

「なに見てんの?」

 そんなことを思っていると、リョウゴが頭を突き出して、シンヤの視線の先を追おうとした。

「あの柱さ」

 シンヤは視線をはずして、ふたたび弁当にとりかかろうとした。

「あれって政府の施設なんだろ?」

「だな」

 リョウゴは視線を柱に貼りつかせたまま肯った。

「なんか見下ろされてるみたいで、気分良くないなって」

「そうかな」

 リョウゴはまだ視線をはずさない。シンヤは彼の横顔を眺めながら、ゆでたブロッコリーをかみしめた。

「見下ろすがわはきっと気持ちいいぜ」

 そう言った彼の言葉に、シンヤは妙な熱っぽさを感じとった。

「んで、今日もゲーセン行くの?」

 リョウゴはいきなり、顔をこちらに向けて訊いてきた。シンヤは少し考え、頷いた。

「お前らは?」

 残りのふたりにもリョウゴは訊ねるが、彼らは「部活があるから」と断った。

「そっかー。じゃあまたシンヤと二人かー」

 リョウゴは残念そうな口調で言う。

「悪うござんしたね」シンヤはおどけた。

「いや別にいいんだけどさー、毎日遊ぶ相手が男だけってどうなのよ? なんか寂しくない?」

「彼女でもつくれよ」

 シンヤは半ば投げやりな調子でそう言った。実際、それはリョウゴにはそう難しいことではないはずなのだ。しかしリョウゴはその言葉を冗談ととらえたらしく、ふざけた口調で言った。

「シンヤが女になればいいんだよ」

「いやなんでだよ」

 シンヤが笑いながらツッコミをいれた。リョウゴはそれからいかにもわざとらしく、なにか思いついたような仕草をした。

「じゃあ逆に俺が女の子になるわ、シンヤくんっ!」

「裏声気持ちわるっ!」

 彼らは腹を抱えて笑った。



 一日の授業が終わり、帰り支度をしたシンヤは、リョウゴに声をかけた。それから雑談をしながら学校を出て、駅への道を歩き出した。途中のコンビニエンスストアで買ったガムを噛みながら、ふたりは行きつけのゲームセンターへと足を踏み入れた。

 耳を蹂躙するやかましい音の嵐の中、ふたりはお気に入りの「グラウンド・ゼロ」のカプセルへと向かった。しかし残念なことに、店内に六つ設置されているカプセルのうち、五つには先客が居た。ふたりは顔を見合わせた。

「どうする?」シンヤが訊いた。

「お前先にやってていいよ、俺は空くまで待ってるから」

「そうか」

「その代わり」

「だろうと思った」

 悪どい笑みと共にリョウゴが取り出したのは、彼のゲームデータが記録されているICカードだった。

「これ使ってプレイしてくれよ。一回で良いから」

「えー、いや無理だよ。お前Aクラスで俺Cクラスだぜ?」シンヤは大げさに困ってみせた。

「俺はお前がAクラスであたふたすんのが見たいの」

「このドSクラスプレイヤー」

「なーいいだろ? 奢るからさぁ」

「わかったわかった」

 シンヤはリョウゴのいたずら心に呆れつつも、カードと硬貨を受け取り、パスワードを聞いて、空いているカプセルの中へともぐりこんだ。リョウゴはプレイヤーたちの対戦をリアルタイムで観戦できる中央端末の画面を眺めながら、シンヤがプレイを始めるのを待つことにした。

 シンヤはゲームをスタートした。きちんとシートベルトも締めた。

 シンヤが愛用している高機動型に機体を設定して、武器を中距離用のアサルトライフルに設定した。プレイする任務の選択画面でAクラスの任務を選んでいると、突然アナウンスが響いた。

「プレイヤー名『テスター』から通信対戦の申し込みが来ています。受諾しますか?」

 画面の表示を見ると、国内ネットを介して通信対戦の申し込みが来ていた。相手もAクラスだった。

(ちょうどいい、この人を相手に粘れるだけ粘ってみよう)

 そう思ってシンヤは対戦を受け入れた。ステージの選択権はこちらにあるので、シンヤは自分が最も得意とする、「廃墟の都市」ステージを選んだ。

 輸送機内の動画が流れ、シンヤの機体が射出された。振動と共に着地した直後「対戦開始」の文字が画面の中央に出た。

「よろしくお願いします」

 シンヤはマイクに向かって言ったが、返事は無かった。

(なんだ、失礼な人だな)

 シンヤはムッとしたが、すぐに気を取り直して、まずは周囲の状況を確認した。

 今回のステージは廃墟の都市だ。このステージは南北に走る幅の広い道路と、その周囲を囲む密集した建物群で構成されている。通常、プレイヤー同士が戦うときは、お互いの装備を確認して、それぞれが作戦を立てるために、まずはその中央の道路に出るというのが暗黙のルールになっているのだが、シンヤは今回、そのルールを無視することにした。

 スタート地点は建物群の端だった。相手に捕捉されないように気をつけて行動することにした。シンヤは闘志がメラメラとわいてきたのを感じた。

 ペダルを踏んで肩のスラスターを吹かした。ひび割れた道路の表面を滑る様にして、建物の間をすり抜けていく。とにかくまずは先手をとることだった。

 アサルトライフルのロックオン機能をオフにした。こうしておけば敵を狙いづらくなるが、逆にセンサーを逆探知されることもなくなるのだった。シンヤは視点を少しだけ上に向けて、上空からの奇襲も警戒することにした。

 シンヤは広い道路が建物の隙間から見える位置にまで移動して、そこを覗きこんだ。中央の道路には視界を遮るものが無く、相手がここを通れば確実に捕捉できるはずだった。考えは正しかった。

 テスターは道路の上空の、シンヤからかなり離れたところを飛行していた。機体はそのシルエットから判断するに、汎用性の高い「中量型」と呼ばれる機体だろうとシンヤは判断した。グレーの機体色がこのステージの建物群の色に溶け込んでいるので、よく狙わないと弾を外してしまうな、とシンヤは気を引き締めた。

 テスターはシンヤの予想通り、道路には降りず、反対側の、シンヤと同じ西側の建物群の中に着地したようだった。都合がいい。シンヤはアサルトライフルをかまえなおした。死角から高速接近してありったけの弾丸を撃ち込んでやろう。狭い場所なら逃げ場も無いはずだ。そう思って、機体を相手が着地したであろう方向へ滑らせていった。

 建物と建物の間の通路は狭く、もし建物にぶつかりでもしたら相手に自分の居る位置を教えてしまう危険性があったが、シンヤは建物にぶつからないように機体を操ることには自信があった。

 だがそれでもやはりこの場所を進んだのはまずかった。

シンヤは建物にぶつからないことに気をとられすぎて、いつの間にか上空への警戒を怠っていたのだった。敵にロックオンされたことを示す警告が表示され、シンヤは驚きつつも、反射的に機体を急速後退させた。目の前のアスファルトが砕かれて破片が飛び散り、大きな砂煙がまい上がった。

 視界の上端に相手が小さく見えて、シンヤは自分のうかつさに舌打ちした。肩スラスターを吹かしてさらに後方へジャンプした。

 テスターの射撃の腕はかなり高いようだった。シンヤは彼の死角へ向けて飛んでいるはずなのに、彼の握るハンドガンの銃口はしっかりとこちらを向いていた。シンヤはたまらず肩のスラスターをさらに吹かして横に飛び、背の高い建物を飛び越えて中央の道路へと着地した。シートの下から突き上げるような振動がきて、尻が少し痛かった。

 相手はさらにスラスターを吹かして飛び続け、頭上からシンヤを狙ってきた。頭上は死角なので、なんとか後退しながら間合いをとろうとすると、テスターはさっきシンヤが飛び越えた、背の高い建物の上へと着地した。攻撃のチャンスと感じたシンヤは、素早くロックオン機能をオンにし、一瞬だけ引き金を引いてアサルトライフルを撃った。しかし弾丸は全て建物の壁のふちに阻まれてしまった。この角度じゃ当たらないのか、とシンヤはくやしい思いをした。

 テスターは再び大きく跳び、弧を描く軌道でシンヤに高速で接近した。敵は手にしたハンドガンを乱射しつつ、また同時に、AACVの装甲を溶断する必殺武器である超高熱剣も、腰から抜いていた。

 シンヤはなんとか避けようとするが、引き金を引いたときのカプセルの細かい振動のせいで、指先の感覚が僅かにぼやけていたために、正確な操作が出来なかった。テスターは目の前にせまっていた。ハンドガンの弾丸を撃ち込まれ、超高熱剣を胸部に突き立てられる予感がシンヤの全身を駆け抜けた。

 そのときだった、シンヤの指が勝手に動いたのは。

 操作レバーの指示を受けて、シンヤの機体は素早くアサルトライフルを持つほうの腕を前に突き出し、横に薙いだ。するとアサルトライフルの横腹が、剣を突き出していた敵機の腕に直撃し、その軌道をシンヤ機から反らした。そればかりか、シンヤ機の腕はそのまま相手の頭部をも殴りつけ、破壊した。

 直後、自分でも何が起こったのかわからないまま、敵とすれ違うように距離をとったシンヤは、ついさっきまで圧勝しそうだった相手が、どういうわけかAACV の弱点である頭部を破壊されて硬直しているのを見て仰天した。今の相手は、一時的にあらゆる機能が停止している、プレイヤーたちの間で「脳震盪」と呼ばれている状態だった。シンヤはわけがわからなったが、とにかく今が本当のチャンスだと確信した。シンヤは銃をかまえ、乱射した。テスターは何もできないまま、連続する炸裂音と共に、無数の弾丸によって装甲に穴をうがたれ、やがて爆発、炎上した。



「では、またの出撃をお待ちしております」

 茫然としていたシンヤは、アナウンスの音声で我にかえった。画面は既に成績等の結果発表を終え、ゲームオーバーの表示を出していた。

 自分の手を見ると、振動でまだすこししびれていた。さっき敵に追い詰められたとき、まるで指が勝手に動いたような気がしたが、あれはなんだったのだろうか? もしかしたら夢だったのかもしれない。いや、あれは確かに自分がやったプレイだった。手のしびれがその動かぬ証拠だったし、勝利のアナウンスを聞いたことも覚えていた。ひとつずつ思い出すたびに、シンヤの胸の中で、むくむくと落ち着かない気持ちが膨らんできた。

「……いよっしゃあ!」

 シンヤは喜びのあまり、強く拳を握って、勢い良くガッツポーズをした。すぐそばの機械に肘をぶつけて痛みにもだえた。ぶつけたところをさすりながらシートベルトを外して、カプセルから出ると、リョウゴの姿を探した。はやく彼の感想を聞きたかった。あれは間違いなくスーパープレイだった。はやく自慢したくてしかたがなかった。

リョウゴはすぐに見つかった。

「リョウゴ!」

「おお、終わった?」

 彼は中央端末を見ていたらしく、こちらから声をかけてやっと気づいたようだった。

「なぁ、見た? 俺のプレイ!」

 シンヤはリョウゴに駆け寄った。彼は何故か困ったような表情をした。

「いやー、それがさ……」

 リョウゴのばつの悪そうな表情に、シンヤはいぶかしげな視線をおくった。

「なんだよ、見てなかったのか?」

「それがさ、変なんだよ。」

「変?」

「あれさ」

 リョウゴが親指で指したのは、さっきまで彼が眺めていたグラウンド・ゼロの中央端末だった。

「普通ならさ、あれにプレイ画面とか、誰が誰と対戦してるか、とか表示されるだろ?」

「違ったのか?」

 リョウゴは頷いた。

「お前がゲームスタートしたら急に画面が消えてさ、お前が出てきたら復活したんだよ」

「え?」

 シンヤにはなにを言っているのかわからなかった。詳しく話を聞くと、通常、プレイヤー同士の通信対戦の様子などが表示される中央端末が、シンヤがゲームを始めた直後、電源が切れたかのように画面が暗転し、そしてシンヤがゲームを終えたのとほぼ同時に、また画面が明るくなったのだという。

「多分ただの故障だろうけど、タイミングがドンピシャでさ」

「へぇ、そんなことがあるんだ」

 シンヤは端末を眺めた。その画面にはいつもと変わらず、現在のプレイ画面が俯瞰視点で表示されていた。シンヤは肩を落とした。

「そうか、残念だな、神プレイだったのに」

 そう言ってリョウゴとともに端末に背を向けたとき、シンヤはどこかから冷たい視線を感じた。その方向を見ると、このゲームセンターの防犯カメラがこちらを見ていた。シンヤは無機質なレンズがなんだかぶきみに感じて、足早にそこを立ち去った。



 ゲームセンターを出た頃には、外は暗くなりかけていた。太陽照明の明るさは絞られて、代わりに建物の灯りがぽつぽつと点きはじめていた。空のスクリーンは明るい紫色から茜色へのグラデーションを映している。

シンヤとリョウゴは駅前広場にいた。広場には町のあちこちから家に帰ろうとする人々が集まってきていて、駅の広い改札へむけて大きな流れを作っていた。最初はふたりもその流れの中にいたのだが、リョウゴがのどの渇きに耐えかねてその流れから外れたので、シンヤもそれについていったのだった。ふたりはそれぞれの片手に炭酸飲料の缶を持って、駅前広場の中心にある植え込みの花壇に背中をあずけ、地面に座り込んでいた。ふたりはそこで何分もとりとめのない話を続けていたが、そんな中でシンヤが思い出したようにいった。

「やーしかし、お前ってシューティングも上手いんだなー」

 結局、今日はグラウンド・ゼロはシンヤのプレイした最初の一回しかできなかった。それは珍しいことではなかった。あのゲームの人気はかなりのもので、シンヤたちと同年代の男子のあいだではプレイしたことのない人を探す方が難しいほどだった。そんなわけでふたりはあのあとずっと、ゲームセンターの同じフロアに設置されている、画面に次々と現れてくる怪物たちを拳銃で撃退していく射撃ゲームに興じていたのだった。そこでもリョウゴはゲームマニアぶりを発揮して、本来ならばふたりで一緒にプレイするために用意されている二丁の拳銃を両手にそれぞれ持ってプレイし、しかも一度も失敗することなく、ゲームの攻略をやってのけたのだった。

「後ろにギャラリーできてたもんな」

 シンヤはそんなリョウゴのすぐ後ろに立ちながらも、その姿にすっかり目を奪われていたので、通りがかった人たちが自分たちの周囲に集まっていることに、ゲームが終わってからやっと気がついたのだった。

「んな大したことないって。敵の位置を覚えて、頭狙えば誰でも出来るよ」

照れくさそうにリョウゴは言った。

「ハイ先生、その時点でまず覚えきれませーん」

 シンヤは片手を上げながら、大げさな調子で言った。するとリョウゴは眉間に皺を寄せて、長い髭を撫でるジェスチャーをしつつ「では、キチンと復習しておきたまえ」と博士のような口調で返した。シンヤはその様子がおかしくてくつくつと笑った。ちょうどそのとき、ふいに頭上から声が降ってきた。

「ジオ・ジャパン政府からお知らせです」

 シンヤが顔をあげると、広場の、駅の改札にやや近い場所に立っている、背の高いポールが目についた。そのポールは金属製で、上端にスピーカーと小さなディスプレイが据えられていた。ディスプレイには、白地の中心に赤い丸というデザインのジオ・ジャパンの国旗を背景に、何かの棒グラフといくつかの数字が表示されていた。

「ジオ・ジャパン、カントウ、第一ブロックの、本日、十七時時点での、総エネルギー使用量は、前年の同日比で、百三・二パーセントでした。人類生存のために、省エネルギーな生活をお願いいたします」

 それは毎日、朝と夕の二回に放送される、地下都市政府からのエネルギー使用量の報告だった。地下都市のエネルギー事情はけっしてよいものではなく、そのために世界中のどの国も自国の分のエネルギーを確保するのに必死なのだということは、シンヤが小さいころから宣伝され続けていた。シンヤはその放送の堅苦しい雰囲気に、なんだか興がそがれた気がして、手もとの缶に残ったわずかな炭酸飲料をいっきに飲みほし、立ち上がった。

「んじゃ、そろそろ帰るわ」シンヤは言った。

「おう、お疲れ、また明日な」

 リョウゴは軽く手を挙げてそう言い、自身も立ち上がりながら、改札に向かうシンヤの背を見送った。

 シンヤはモノレールに乗った。シンヤの家の最寄り駅は高校の最寄り駅からふた駅だった。シンヤはいつもそうするように、制服の上着のポケットから音楽プレイヤーとイヤホンを取り出して、耳にはめた。流行りのロック・バンドの演奏を聴きながら目的の駅に降り、隣接する駐輪場から自分の自転車に乗って家路についた。しばらく走ると、遠方に自宅が見えた。どこか墓標を連想させる大きな直方体の壁のような建物は、ひと昔前、地下都市内部の広大とはいえ限られた空間を有効利用するために、国によって多く建てられた集合住宅のひとつだった。そしてその一角にクロミネ家はあった。シンヤはその鬱屈した雰囲気があまり好きではなかった。

 シンヤは駐輪場に自転車を置くと、照明が切れかけている、狭くうす暗い階段を上った。隅っこが錆びかけている金属の扉に手をかけた。耳障りな音がして扉が開いた。

「ただいまー」

 シンヤが部屋の中へ向かってそう呼びかけると、すぐさま「おかえりー」と返事がかえってきた。靴を脱いでリビングへ向かうと、そこではすでにシンヤの父と母が食卓を囲んでいた。

「お、しょうが焼き?」

 胃袋を刺激する香りにシンヤの胸はおどった。

「まずは手ぇ洗ってきなさい」

 無作法にテーブルを覗きこむシンヤを、母が強い口調で制した。シンヤは廊下に戻って自分の部屋に荷物を投げ込むと、洗面所で手を軽く水で濡らしてからリビングへと戻った。母はその間にシンヤの分の白米を茶碗いっぱいに盛ってくれていた。シンヤがいそいそと自分の席についたときには、甘辛い匂いが口の中に唾液を満たしていた。

「いただきまっす」

 シンヤは箸をとり、テーブル中央の大皿からしょうが焼きと千切りのキャベツを皿に移していく。はやる心をおさえて口に運ぼうとしたとき、父が言葉を発した。

「学校の方はどうだ」

 シンヤは光を反射してかがやく白米と一緒に、豚肉を口に放り込んだ。それを二、三度かみしめ、麦茶で嚥下してから答えた。

「べつに、とくに変わったことは無いよ」

 そう返すと、父は何か言いたげな目でこちらを見返した。母があきれたように言った。

「お父さんはアンタと何か話したくて仕方ないのよ」

「そっか、そういや一緒にメシ食べるのも久々だね」

「ああ」

 父はすこし恥ずかしそうに頷いた。

 シンヤは口いっぱいの千切りキャベツを噛みながら、自分と父の間にこれっぽっちも共通の話題が無いことに気づいて驚いていた。何か話すことはないか、と少し悩んだシンヤは、なんだか気まずくなって、テレビのリモコンに手を伸ばした。チャンネルを回していくと、とあるチャンネルでなんだかひどく古めかしい雰囲気のアニメ映画がやっていた。シンヤはもの珍しさにリモコンのボタンを押す指をとめた。

 どうやらそのアニメ映画の主人公は少女のようだった。少女は紺色のワンピースを着て、後頭部の髪を赤いリボンで束ねていた。少女は藁の箒にまたがって夜空を飛んでいた。彼女が見下ろす地上には町の灯りが煌めいていて、大きく見開かれた瞳がその光をうけ、おなじくらいに輝いていた。彼女のまたがる箒の先には小さな赤いラジオがひもで結ばれていて、軽快な音楽を流していた。すると彼女の相棒の黒猫が、彼女の下方に同じく藁箒にまたがって空を飛ぶもうひとりの少女を見つけた。彼女は箒の高度を下げてその少女に寄り、声をかけた。

「あれ、副音声になってる」

 シンヤは彼女たちの会話を聞いてそう言った。彼女たちが話す言葉は「日本語」だったのだ。

「ああ、そういえば昼間にむかしの映画見て、戻してなかった」

 母が思い出して言った。

 シンヤは一瞬主音声に戻そうかと考えたが、やめることにした。

「せっかくだし、このまま日本語でいいや」

「そりゃどうして?」父が訊いた。

「日本語の聞き取りテストが明後日の授業であるんだよ」

 シンヤはそう言いながら、今日の日本語の授業で教師がそう予告していたのを思い出した。「日本語」はシンヤの苦手科目だった。日本語はジオ・ジャパンがまだ地上の日本国という国家だったころの公用語だった。地球に小惑星が衝突し、地上環境が荒廃して、人類が絶滅の危機に直面してから、世界中のすべての国家は協力を容易にするために、公用語を、当時のアメリカ合衆国という国を中心に用いられていた言語に統一したのだった。言語の壁がとりはらわれたために、国家・国民間の相互理解はそれ以前とは比較にならないスピードで進行し、ついにはあらゆる国家間の戦争・紛争はなくなったのだった。日本語は今や地下都市以前からある古い遺物や、伝統芸能や神話の用語ぐらいにしか使われていなかった。それなのになぜわざわざ昔の言葉を学びなおさねばならないのか、シンヤには疑問だった。 

 シンヤは豚肉をさらに一枚食いちぎって口の中に納めた。しっかり染み込んだ甘辛いタレが、噛むほどに肉の内側から滲んだ。

「ん、美味い」

 シンヤがそういうと、母の頬が緩んだように見えた。

「そう、どんどん食べな。アンタ細いんだから、そのぶん人より多く食わなきゃ」

「うるさいな、そこまで細くねーよ」

シンヤはむっとして母を見た。彼女はわざとらしくため息をついた。

「アンタも産まれた頃は丸っこくて可愛かったのに……」

「なんだよ」

「今じゃこんなに生意気になっちゃって」

「ヘイヘイ悪うござんしたね」

 適当な返事をして麦茶で飯を流し込んだ。

 映画の中の少女は貨物列車の天井に着いているふたを持ち上げて、身を乗り出していた。彼女の視線の先には青く輝く海原と赤い屋根が多く見える港町があって、輝かしい未来を予感させた。

それを見たシンヤはちらりと壁の時計に目をやった。それから判断するに、映画はまだ始まったばかりらしかった。

(新しい町で、これからの彼女にはどんな人生が待ち受けているんだろうか)

シンヤはぼんやりとそんなことを考えた。



 その日もシンヤは朝食を終えると、いつもどおり学校へ行くための準備を整えてから、玄関へと向かった。学校指定の革靴に足をねじ込みつつ、内容も覚えていないような些細な会話を二、三、母と交わして、最後に「いってきます」と言い残して家を出た。

 シンヤは大きなあくびをしながら、窮屈な階段を降りて集合住宅の外へ出た。空のスクリーンは早朝の爽やかな青空を映しだしていた。駐輪場へ向かう道には、朝独特の気だるい空気が漂っていて、シンヤは歩きながら深呼吸をしてその空気を肺に満たした。駐輪場に停めてある自分の自転車に近づき、ポケットの中から鍵を取り出した。自転車のロックを外し、次に前輪を駐輪場の固定具から外そうとしたとき、シンヤは気付いた。

 自転車のハンドルを握っている手の甲の表面に、小さな赤い点がついているのだった。どこかで紅でも付いてしまったのだろうか、シンヤは最初そう思ったが、よく見るとそれは肌に付着しているのではなく、レーザーポインターの照射先に現れる赤い光点だった。その光点は音もなくスゥとシンヤの腕をはいあがり、左胸の上でとまった。

 次の瞬間、胸を貫く衝撃がシンヤを襲った。

 自転車がシンヤの手を離れて、大きな音と共にアスファルトに横倒しになった。シンヤは衝撃とともに胸を貫いた強烈な痛みの正体がわからず、混乱していたが、直後、いきなり足から力が抜けて、駐輪場のコンクリートの地面に仰向けに倒れた。それでもなんとか自分に起こったことを見極めようと、自身の胸を見下ろしたシンヤは、ぎょっとした。

シンヤの左胸には数センチほどの長さの注射器のようなものが突き刺さっていたのだ。それに気づいたころから、痛みがだんだん薄れていっていることにシンヤは気づいた。そして同時に左腕の感覚がなくなっていることにも気づき、とにかく声をあげようと大きく口をひらいたときには、左半身全体が無感覚になっていて、息を吸い込むのも難しかった。シンヤは酸素不足にあえいだ。

 コンクリートの上に倒れてからまもなくして、シンヤは辺りに響く硬質な足音を聞いた。おそらく革靴の音だろうそれが聞こえる方向に腕を伸ばそうとしたが、腕は持ち上がらなかった。

やがて気をうしなった。



 静かな教室内に、朝の照明の光が窓からさしこんでいた。老教師のしわがれた講義の声が響いていた。教師に向かい合う二年A組の生徒たちは、それぞれ机の上で教師が黒板に書いたことを写したり、こっそり内職をしたりしていた。一時限目は政治・経済の授業の時間だった。教師はひらいた教科書を片手に板書の説明をしていた。リョウゴは自分の席で頬杖をつきながらそれを聴いていた。

「……えー、このように小惑星落下による地上環境の激変と、全人類の地下都市への移住という史上最大の困難の中、政府主導の強力な統治体制の要請が強まり、『日本国』は『ジオ・ジャパン』となったわけだ。

『ジオ・ジャパン』は立法府と行政府の同一化をはかり、各省庁の権限は大幅に強化され、また立法の敷居も低くなった。最高裁判所もこの変化を受けて、一定基準を満たした比較多数の人類生存のためには、個々人の人権は制約されうるという方針を打ち出した。その結果、あらたな憲法を制定するに至った。えー、具体例は教科書三百ページの図を見てもらえればわかると思うけど……」

 そのとき、教室のすみのスピーカーから放送が流れた。

「二年A組担任のタドコロ先生、タドコロ先生、至急、職員室までお越しください」

 放送を聞いたタドコロは残りの時間を「自習」と生徒たちに言い渡し、足早に教室を出ていった。

教師が出ていくと、教室はにわかに騒がしくなった。リョウゴは隣の席の男子に絡まれたが、適当に流しつつ、今朝から姿の見えないシンヤへのメールを打ち続けていた。


 シンヤ・クロミネが交通事故で死んだという報せをリョウゴが受け取ったのは、さらに翌日になってからのことだった。


 

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