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第十九話「血と硝煙」

 歩行要塞は歩み続けている。

 そして、ついにその時はやってきた。

 そこは平原だった。かつてその場所にあった小国たちは、地下都市建設の予算が確保できずに消滅したと言われていた。そこではP物質が含まれる小惑星の欠片もほとんど見つからず、その広大な平原は、この混沌とした世界においてすらも、真に見棄てられた場所となっていた。

今、歩行要塞はそこに居る。彼らはついに見つけたのだ。世界を手に入れる権利を。光溢れる地上を灰塵と暗闇の荒野へと変えた、小惑星の核を。

 それは灰の大地の奥深くに埋もれていた。果たして何人の人間がこの上を気づかないままに通りすぎたか――

 歩行要塞、グラウンド・ゼロ到達。



「ついにこの時が来ました」

 歩行要塞司令官は、会議室に集まった一同を見まわして言った。

「我々は今、歴史の節目にいます」

 フミオ・キタザワはテーブルの上で指を組み、彼の話を聞いていた。その椅子のすぐ後ろにはスーツ姿のハヤタ・ツカサキが面倒くさそうに立っていた。

「ここから世界史の新たな物語が紡がれます。しかも素晴らしいことに、その筋書きは我々にとって喜ばしいものとなるでしょう」

 司令官は椅子から立ち上がり、頭を深々と下げる。

「この偉業は皆様の御力無しには達成できませんでした。本当に、ありがとうございました」

 彼はゆっくりと顔を上げ、資料を手にとった。

「さて、今後の方針ですが――」



翌日。

リョウゴはAACVに乗って、歩行要塞直下、灰の下に埋もれたコアの真上に居た。AACVを操作し、灰塵の積もった大地の下からコアを掘り出すための機材を設置していく作業をしていた。あの老人――フミオ・キタザワが亡命の際にギフテッドたち以外の多数の人間にも呼びかけたのは、こういった雑用を押し付けるためだったのか、とリョウゴは頭のなかで毒づいた。

 巨大なシャベルのついたアームを持つ、AACVとほぼ同じ大きさの重機が灰を抉っていく。リョウゴはそうして重機の脇に築かれた灰の山を、スラスターの噴射で崩さないように気をつけながら、ほかのAACVたちと一緒に黙々と作業を続けた。それが数時間続いた。やがて歓声が上がった!

 リョウゴは機体を、掘り下げられた穴のそばに寄せ、その中を覗きこんだ。

 灰塵の大地から氷山の一角のように頭をのぞかせたそれは、透き通るような青色をしていた。AACVの色調補正がかった映像には、それがあたかも発光しているようにも映った。全体の大きさは、灰に埋もれているので、まだまだ分からないが、突き出た部分の大きさから見るに、少なくともちょっとした山くらいはあるんじゃないだろうか、と期待させるに充分だった。

 あれが小惑星の核――コアだ。

「きれいだ」

 リョウゴは自然にそうつぶやいていた。この瞬間は間違いなく人類の歴史に残るだろうと思えた。そう思うと、自分をここに連れてきてくれたツカサキや、キタザワへの感謝と尊敬の念が胸のなかで膨らんだ。リョウゴは上を見上げた、歩行要塞はコアを覆い隠すように停止していて、リョウゴの位置からは、歩行要塞の下部施設群が上方から垂れ下がっているのが見えた。今ごろキタザワたちは会議室にいるのだろうか、とリョウゴは思った。彼は、そこがどのあたりなのかは、ここからはわからないが、喜んでくれるといいな、と思った。 



 フミオ・キタザワがコア発見の報告を受けたのは、誰も居ない会議室で司令官と各国の人間が来るのを待っている時だった。ツカサキは椅子に座っているキタザワの背を見て、軽く息をついた。

「疲れてますね」

 キタザワは肩越しにツカサキを一瞥した。それから噛み締めるように頷いた。

「ああ。しかし、これで最後だ」

 ツカサキはフフと笑った。

「最後っすね」

 そのとき、部屋に入ってきたのは、歩行要塞の司令官だった。彼はすでに席についているキタザワをみとめると、目を丸くした。

「ずいぶんとお早い」

「たまたま召集の知らせを受けたときに、部屋の近くに居たのですよ」キタザワは柔らかく微笑んだ。

「それは、お待たせして申し訳ありません」

 司令官は後ろに補佐役をふたり従え、席についた。その内のひとりは抱えていた書類を各席に並べ始めた。

「今回の資料です」

 差し出された書類をツカサキが受け取り、キタザワに渡した。彼はザッと目を通し、それか机に片肘をついて、眉間を押さえてみせた。司令官はそれに気づいて「お疲れのようで」と声をかけた。

「慣れない生活で疲れてしまっているのかもしれません」

「栄養ドリンクでもお飲みになりますか」

「いえ、結構です。ただ頭痛がするので、ひどくなってきたら途中退席致します」

「わかりました。その場合、この会議における全ての権利は私に委譲する形になりますが、よろしいでしょうか」

「かまいません、お願いいたします」

 キタザワはふかぶかと頭を下げた。ちょうどそのときから、他の人間も続々と部屋に集まりはじめた。席はすぐに埋まって、まもなく会議は始まった。



 おもむろに手が上がった。

 司令官をはじめとする人々の視線は、一斉にキタザワに集まった。彼は側頭部に片手のひらを当てながら頭を下げた。司令官は頷いて、「医師を呼びましょうか」と訊いた。キタザワは首を振った。

「仮眠をとれば良くなります、申し訳ありませんが……」

「ああ、大丈夫ですよ。部屋にお戻りくださっても結構です」

「本当に申し訳ありません、ありがとうございます」

 キタザワは椅子から立ち上がり、背を向けた。

「あ、ちょっといいすか?」

 言ったのはツカサキだった。彼はにやにやとした笑顔を浮かべながら、片手を挙げて、司令官に言った。

「俺は残らせてもらいます、代理で」

 彼のだらしない口調と、緊張感の感じられないふるまいに、周囲の人間は顔をしかめた。ひそひそと彼を非難する声も聞こえた。司令官はキタザワに「彼でよろしいのですか」と確認した。キタザワは頷いた。

「ツカサキくんは、私がもっとも信頼している人間です」

 司令官はもいちどツカサキを値踏みするように見た。

「本人がおっしゃるのであれば、かまいませんが……」

「不満ですかい?」

 ツカサキが軽い調子で訊いた。司令官は「会議の進行を阻害しないように」とだけ言って、代理を認めた。ツカサキはキタザワの座っていた椅子を引いて、どっかと腰かけた。隣の席の人間が、侮蔑の目で彼を睨んだ。

「では、失礼いたします」

 キタザワはもういちど丁寧に頭を下げて、会議室を出ていった。

 会議が再開された。

 それから数十分は、滞りなく会議が進んだ。周囲の人間はツカサキがなにかしでかすのではないかと警戒し、ときどき様子をうかがうような視線を投げかけていたが、彼は会議中ずっと、借りてきた猫のようにおとなしくしていた。その様子に安心したのか、会議が終盤に差し掛かったころには、ツカサキを気にする人間は誰もいなくなっていた。司令官すらも、彼のことはただの無礼な人間としか考えていなかった。そしていよいよ、会議もまとめに入ろうとしていた。

「では、『コア』の所有の表示は、これらの名前で行うことを確定いたしますが、よろしいでしょうか? 異論ある方はこれが最後のチャンスですが……」

そう言って、司令官がぐるりと全員の顔を見渡したときだった。ツカサキがにやりと笑った。

 発言しようとした司令官が鼻に手をやった。赤いものが彼の指先に付いていた。

「む、少々失礼します」

 彼は席から立ち上がり、集まった人間たちに背を向けて、補佐の前に立った。

「鼻血が出てしまった」とおどけながらハンカチを取り出した彼は、補佐の顔を見て、衝撃のあまり、それを取り落とした。驚愕した表情の彼の目の前には、自分と同様、あふれる鼻血を手で押さえようとしている補佐が居た。振り返ると、鼻血を出しているのは自分たちだけではなかった。この部屋の全員が、手で鼻を押さえつけていた――いや、ひとりだけ例外がいた。

「きさまぁ!」

 誰かが怒声をあげた。

 ハヤタ・ツカサキは小指で耳垢をほじくりだしていた。その態度は周囲の異常事態にはまったく似つかわしくなかった。彼は周りの人間を見渡したあと、腕時計で時間を確認した。

「発症まで一時間ジャスト。我がジャパンの技術力にはほれぼれするねぇ」

 彼はケタケタと笑った。となりの男がわめいた。

「おまえ、なにをした!」

「パンデミック」

 ツカサキはダルそうに椅子から立ち上がり、体の向きを反転して、テーブルに腰かけた。後ろで結んでいた髪をほどいた。

「我が国謹製、超即効性ウイルス兵器のご感想はいかがですかっと?」

 ツカサキは、そばで悶え苦しむ男を横目で見た。すると、ツカサキは何かに気づいたようで、暴れる男の胸ポケットに手を伸ばした。

「タバコもらいますよ」

 奪った箱から一本、タバコを口にくわえ、一緒に入っていたライターで火を点けた。「ピース」の箱は握りつぶされた。そのとき、ツカサキの背後から銃声が響いた。弾丸は彼にかすりもせず、ツカサキにタバコを奪われた男に当たった。

「誰だかしらねーけど、やめときな。もう、ロクに見えてねーんだろ? 当たるわきゃねー」

 そのとおりだった。ツカサキに銃を向けた男の眼球からは、止めどなく血が流れ出していた。出血は眼窩と鼻に留まらず、すでに口内を満たしていた。口の端から血液が小さな泡とともに溢れていた。彼の喉と肺の内壁は、ウイルス兵器によって異常に脆くなり、血液の凝固が間に合わないほどのスピードで崩れはじめていた。そこから流れ出した血液は、呼吸器を満たし、塞いだ。彼らは悲鳴もあげられないままに、自らの血で溺れ死ぬことになるのだった。

 ツカサキはそんな彼らをぼんやりとした顔で眺めながら、ふぅ、とタバコの煙を吐いた。

「あ」

 彼は呟いた。

「……禁煙してたの忘れてた」



 物音ひとつしなくなった会議室から、ひとりの青年が出てくる。着崩されたスーツにくわえタバコといった、だらしのない格好のまま、彼は血の足跡を残して歩み始めた。廊下には、ときどき無残な死体が転がっていた。彼らはみな同じように目、鼻、口から大量の血を流し、真っ白な顔を赤黒く汚して死んでいた。ウイルス兵器は会議室だけでなく、換気ダクトを通じて歩行要塞中に蔓延していたのだった。死を免れたのは、あらかじめワクチンを注射していた人間だけだった。それ以外の人間は一掃されてしまっていた。ワクチンを射ったのはツカサキと――

「終わったか」

 キタザワが、そう呼びかけながら、廊下の向こうから歩いてきた。ツカサキは気だるげに返事をした。キタザワは普段通りの、一分の隙もないスーツ姿でいた。その服装がこの異様な空間に見事に溶け込んでいるのが、ツカサキにはどこか滑稽に思えた。キタザワはツカサキの顔を見ると、意外そうな表情をした。

「タバコなんて吸っていたのか」

「今まで禁煙してたんすよ」

 ツカサキはタバコを足下に落とし、踏みつけて火を消した。

「歩行要塞の自爆装置はもう解除してあります。ウイルスもあと三十分もすれば消えますから、それからジオ・ジャパンへ連絡しましょう」

 キタザワは頷いた。

「これで、逆転した」

「アヤカさんは知らなかったみたいですが」

「今回のこの計画を知っているのは、私以上――各省庁の大臣以上――だけだ。人の口を完全に塞ぐには鉛玉が要るが、それを使うには惜しい人間ばかりだからな。人数は絞った」

「しかし、よく思いつきましたよ」

 ツカサキは笑い、足元に転がっていた北米生存同盟の軍人の死体を、つま先で小突いた。

「歩行要塞の乗っ取りなんて」

 キタザワは胸ポケットに手を入れ、それからツカサキに訊いた。

「タバコをもらえるか?」

「もらいものですけど、ピースなら」

 ツカサキはポケットから潰れた箱を取りだし、老人に渡した。彼がくわえたそれにツカサキは火を点けてやった。

「たしか、そっちも禁煙してましたよね?」

「なぁに、禁煙なんて何回でもできるさ」

 ふたりはハハと笑いあった。ツカサキはライターを背広の内ポケットにしまった。

「コアの回収にはまだあと数日はかかりそうですね」

「問題はその間死守できるかと、あとは――」

「――頭を吹っ飛ばすだけ」

 いつの間にか。キタザワのこめかみに拳銃が突きつけられていた。そのグリップはツカサキの片手に握られていて、人差し指は深く引き金にかかっていた。キタザワはそれでもタバコを口から落とさず、冷静な表情のまま言った。

「……冗談はよせ」

「映画でそういうセリフ言う人ってだいたい死んでますよね」

「真面目に答えろ」

 キタザワにそう言われて、ツカサキは申し訳なさそうに目を伏せた。

「すんません、邪魔なんです、あなたが。だから本当に心苦しいんですが……」

 聞きながら、キタザワは嘲笑った。

「よくもそこまで思ってもいないことをべらべら口から出せるな」

「現代人なら皆こうですよ」

「演技するなら最後まで貫け」

 ツカサキは空いている方の手の指で、困ったように頬を掻いた。

「抵抗しないんスか」

「したとして、きみに勝てる気はしないからな。きみの目的が何であれ、きみならば、きっとコアを悪いようにはしないだろう」

「なんすかそれ」ツカサキは不思議そうに言った。

「信頼だよ」

 そう言って、老人は深く煙を吐いた。その横顔はどこか疲れて見えた。

「……撃たないのか」

 言われて、ツカサキは銃を握りなおした。それから少し考え、彼は言った。

「キタザワさん、ひとつ約束します」

「なんだ」

「すべてが終わったら、コアはジャパンへ届けます、必ず」

「『必ず』か……この世で最も信用ならない言葉だな」

 キタザワの皮肉っぽい笑みに、ツカサキは笑った。

「必ず、そうしますよ……お疲れさまでした」

「うむ、あとはたのんだぞ」

 銃声が響いた。血だまりにタバコが落ちて、火が消えた。


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