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第十六話「這いよる、死」

 シンヤは暗い気持ちで廊下を歩いていた。

 シンヤは例の集団亡命事件の日からすっと、気分が落ち着いたことがなかった。心にナイフが突き刺さっているようだった。異物をとりのぞいてしまいたいが、取り除くことでますます出血してしまいそうな、もどかしい気持ちだった。

 シンヤは、どうしてリョウゴはツカサキについていったのだろう、ということをずっと考えていた。思い返せば、「やたがらす」を受け取ったころから、リョウゴはシンヤのことを避けていたような気がする。用事があって話すときも、通信機ごしだったり、最低限のことしか喋らなくて、体調が悪いのかと心配したことがあった。きっとあのときにツカサキからの誘いを受けたのだ。ツカサキがいったいどうやってリョウゴをそそのかしたのかは、シンヤにはわからなかったが、そのことを思うと、ふつふつと胸に熱い衝動が湧いてくるのを感じた。そして、思い至る。

(もしもリョウゴが銃を向けてきたら、俺はあいつを撃てるだろうか)

 シンヤは立ち止まって、自分の手のひらを見た。もうAACVの操縦レバーの感触はすっかり染み込んで、いつだって鮮明に思い出すことができた。人差し指をクイと動かせば目の前の誰かを肉片に変えられるような気さえした。

 シンヤは顔も名前も知らない「誰か」ならば、もう何人も殺してきた。しかし「リョウゴ」のような人間を殺したことはなかった。人差し指をほんの一センチ動かすだけで、リョウゴがこの世のどこにも存在しなくなるのかと思うと、急に胸が締め付けられるような気持ちになったが、それも一時的なもので、すぐにまたほかの誰かを殺す生活に戻るのだろうという予想が、胸のつかえを取り除いた。人や生き物を殺すということは「過去」にすることなのかもしれない、とシンヤは思った。そして、未来へ進むということが過去を積み上げることならば、これ以上に残酷なことはない、と思った。シンヤは、自分も、リョウゴも、「現在」であってほしかった。

 シンヤはため息をついて頭を振り、またとぼとぼと歩き出した。

 ぼんやりとした頭のまま廊下のかどを曲がる。すると、向こうがわから歩いてきた誰かにぶつかってしまった。シンヤは驚き、謝りながらその人物を見た。ユイ・オカモトだった。彼女は手のひらで口元を押さえていた。顔は青ざめていて、ひどく具合が悪そうだった。どうかしたのか、とシンヤが問う前に、彼女は無言でシンヤとすれ違い、廊下を早足で進んでいった。

 彼女の切羽詰まった様子に不安になったシンヤは、すこしだけあとを追った。すると、彼女が女子トイレへと消えていくのが見えた。

 シンヤはその様子を見て、もしかしたら自分には口が出せない領域の話かもしれないと思い、再び歩き出そうと体の向きを変えた。そのとき、かん高い音が廊下に響いた。続いて何か重く柔らかいものが床に落ちる音もした。シンヤは音のした方を見た。女子トイレがあった。

 何かあったのかもしれないと、シンヤは心配になってトイレの入り口から中を覗きこんだ。入口のところに、見覚えのある白杖が落ちていた。さらにすこし入ったところの床に、なにか大きな白いものがあった。音の正体はあれか、と思った直後、それの正体に気づいて、シンヤは血の気が引いた。

「――オカモトさん!?」

 思わず叫んだ。そこに倒れているのはユイだった。シンヤは女子トイレの中に踏み込み、彼女に駆け寄ろうとしたが、そのとき、なにかぬるりとしたもので足を滑らせかけた。不意のことに驚きつつ足下を見ると、むせかえるほどに鉄臭い、赤黒い粘性の液体が床に擦りつけられた跡があった。血だ。

 彼女の着ている白いシャツの胸元は赤く染まっていた。口元と手の平も同様だった。シンヤは彼女が吐血して倒れたのだということをさとった。

「オカモトさん、オカモトさん!」

 大声で名前を呼ぶが、反応は薄かった。顔は蒼白で、目に力は無く、どこを見ているのかわからなかった。シンヤは狼狽しつつ、彼女の体を抱えて医務室に走った。



「本当に、ごめんなさい……」

ユイは医務室のベッドに仰向けになったまま、か細い声で言った。ベッドそばの椅子に座って、彼女を見守っているシンヤは首をふった。

「あんまり喋っちゃ駄目だって、医務室の人が言ってた」

 すると彼女は小さく頷いた。

ベッドの脇には点滴があって、それはユイの細い腕に繋がっていた。彼女の顔色は悪いままだったが、それでも倒れていた時よりはかなり良くなっているようにシンヤには見えた。

 シンヤはずっと、彼女がなぜ倒れたのだろうかということを考えていた。いや本当は、考えるまでもなかった。これはきっと――

「……私……」

 オカモトの声は、ほとんど聞こえないほどに小さく、そして震えていた。

「大丈夫、すぐに良くなる」

 シンヤは自分が嘘をついた、と思った。

「……たくない……」

 ――末期症状だ。

「平気だよ、オカモトさんは」

 シンヤの言葉はユイの耳に入っていないようだった。彼女の奥歯は小さく鳴っていた。彼女は力無く片腕を持ち上げ、顔を隠した。その指先もわずかに震えている――怖いんだ。

「……私、まだ……なにも……」

 シンヤには何を言っていいのかがわからなかった。ただ痛感していた。どんなに忘れていても、どんなに望まなくても、確実にやってきて、全てを一掃する。

それが、死だということを。



 ハヤタ・ツカサキは歩行要塞のAACVドックを闊歩していた。様々な国から集まったアンデッドたちとギフテッドたち、彼らとひととおり顔を合わせ、それから自分が乗るAACVが、どんなものかを確認しにきたのだった。

 このドックはつい最近に無理矢理つくられたものらしかった。歩行要塞は今までAACVを持っていなかった。その理由は、あまりにも非人道的であるということらしかったが(ツカサキはそれがおかしくてたまらなかった)、連合と戦うにあたって、さすがにAACVが一機も無いのでは、懐に潜り込まれた時に困るというので、歩行要塞がわは亡命の際の手土産に優秀なパイロットであるギフテッドたちと、彼らの分のAACVを各国に要求してきたのだった。なので、ツカサキが乗る機体は、北米生存同盟所属だが、ジオ・ジャパン仕様のものになる。

 ツカサキは生存同盟共通の仕様である、ダークグリーンを中心とした塗装を施されている最中の、中量型AACVの前に立った。それから腕を組んでしばらく何か考えるそぶりを見せた後、彼はたまたま近くを通りかかった女性の整備員に声をかけた。

「なぁ、コレって今バラしたりできる?」

「はい?」と整備員は間の抜けた返答をした。

「分解とか、できねぇかな。ちょっと自分でいろいろいじりたいんだ」

 整備員は顔をAACVに向け、ザッと機体を見渡してから頷いた。ツカサキはにかっと笑った。

「んじゃあさ、あの機体の装甲、構造上無理なとこ以外、全部外してくれない?」

「はぁ……いいですけど、壊さないでくださいね」

「こー見えて、整備の経験も、あっちの経験も豊富なんだぜ?」

 ツカサキはそう言ってねっとりと腰を振った。女性の整備員は冷たい目でそれを見たあと、整備班のリーダーに連絡を入れた。ツカサキの指示に従って、中量型AACVの装甲が外され、フレームと内部機構があらわになった。ツカサキはツナギに着替え、前を締めると、その機体にどんどん手を加えていった。その手際は今まで整備していた男たちが舌を巻くほどに素早く、正確なものだった。わずか一時間ほどで各部のチューンアップを終えたツカサキは、息をつき、額の汗をぬぐって、機材を整備員に返した。だがAACVに装甲は戻されていなかった。

「まだ外装が戻っていませんが」

 整備員が訊ねると、ツナギの前を開けたツカサキは顔の前で手を振った。

「戻さなくていいぜ。俺はこのまま出るから」

 整備員は目を見開いた。

「正気ですか?」

「正気ですよ?」

 彼は悪戯っぽく笑った。それでもまだあきれた表情のままの整備員を見て、ツカサキはやさしく笑いかけた。

「いいんだよ、これで。耐火布を羽織らせるからそれが装甲の代わりさ」

「しかし、これでは」

 整備員は裸のAACVを見上げた。この状態では、もし弾丸一発でも命中したら、それだけでその部分は使い物にならなくなってしまうだろう。それだけでなく、空から降る灰塵が中に入り込んで、機能障害を起こす可能性もぐんと高まってしまう。こんな機体で戦うなんて、自殺行為だ。

「問題ねー」

 しかしそう言い切るツカサキの横顔には不思議な説得力があった。

 もしかしたら、本当に、問題ないのかもしれない。整備員がそう感じたとき――

「ところでさ、名前は何がいいかな」ツカサキがウキウキした様子で話しかけた。

「は? な、名前ですか?」整備員は面食らった。

 ツカサキは両手を広げ、子供のようにはしゃいでいた。

「やっぱり専用機だしさ、カッコいい名前が要るだろ!」

 そんな彼の様子に、整備員の頬がゆるんだ。彼女は思った。

(ああ、バカなんだ、この人)


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