第十四話「裏切りと決別」
さらに二日が経った。歩行要塞は南下を続け、ついに西中国の領土へと踏み込んでいた。中国を中心に結成された「対北米連合」は、中国西部の基地にその戦力を集めていた。そしてその中に、ジオ・ジャパンの戦力は含まれていなかった。
「なぜ中国の申し出を断ったのですか」
陸上戦艦「おろち」の艦長、タケル・ヤマモトは、緊張した面持ちのまま訊ねた。
老人――フミオ・キタザワは、椅子のひじ掛けに頬杖を突きつつ、タケルを眺めやった。
「仮に連合に参加し、目論見が上手くいったとしても、状況は悪くなるだけだ。我々ジオ・ジャパンに世界を敵に回して勝てるだけの力は無い」
キタザワの淡々とした物言いにタケルは食い下がった。
「しかし成功した場合、我々は大きく出遅れてしまいます」
「そういった場合にも備えて、既に手は打ってある。安心しろ」
タケルは沈黙したが、キタザワの決断に抱く不満は、その目にありありとあらわれていた。老人はそんな彼を見て、怪しく目を細めた。
「ヤマモト艦長、君はまさか、あの連合が本当に歩行要塞に勝てると思っているのか?」
「は……?」
老人は笑った。悪魔のような笑顔だった。
「連中は自分たちが束になればあの歩行要塞にも勝てると信じきっているようだが、私にはどうにもそうは思えない。見ていろ、連中はいまに後悔する」
数日が過ぎた。
その事件が起こったのは真昼だった。
突然、陸上戦艦のドックに姿を現した老人は、フミオ・キタザワだった。
通常、彼の姿を目にするどころか、その存在すらも知らない整備員たちは、見慣れない人物の登場に困惑し、彼に注目した。キタザワは手近な人間に書類を手渡し、AACVを数機積んだ陸上戦艦を一隻用意させた。さらに彼はタクヤ・タカハシを名指しで呼びつけ、何やら耳打ちをした。タカハシは頷いて、さらに数人の人間を呼び寄せた。するとしばらくして、何人もの整備員やパイロット、その他の職員が、キタザワとタクヤの周囲に集まってきた。彼らはお互いに目配せをし、次々に陸上戦艦へと乗り込みはじめた。
そして大部分が乗り終え、最後にタクヤ・タカハシとフミオ・キタザワを含む数人が残った。
次の瞬間、ドック内に怒声が響いた。
「動くな!」
叫んだのはアヤカ・コンドウだった。彼女はシンヤ・クロミネとリョウゴ・ナカムラ他、大勢の人間を従えて、ドック入口の扉の前に立ち、キタザワたちを睨みつけていた。彼女は怒りをあらわにしていた。眉間には皺が寄り、肩はいかり、拳は固く握られていた。その片手には拳銃が握られていた。
「キタザワ大臣ッ!」
彼女は老人の名を叫んだ。キタザワはゆったりと振り向いた。
「何だね」
「私は陸上戦艦の使用許可を出していません」
「私が出した」
つかつかと早足で歩み寄るアヤカを、老人は落ち着いた対応で迎えた。
「ならば連絡に不備がありました。キタザワ大臣、どこへ」
「コンドウくん」
老人は彼女にまっすぐ向き合った。
「私はこの国を売るよ」
アヤカは驚かなかった。この状況を聞いた時にはすでに予見をしていた。それでも彼女は、さらにこみ上げてきた怒りを必死に抑えようとしていた。
「どこへ」
「北米生存同盟へ」
「歩行要塞ですね」
「手土産を持ってな」
キタザワは手にしたブリーフケースを見せつけた。
「機密情報ですか」
「この国の犯罪行為がすべて記録されている」
「あなたは行かせません!」
アヤカは両手で拳銃を構えた。その照準は正確に老人の頭に合わされていた。どんな素人でも外す可能性はまずありえないであろうほどに、銃口と老人の禿頭は近かった。しかしキタザワは眉ひとつ動かさず、アヤカを威圧的に見下ろすだけだった。アヤカはその目を強い憎しみを抱いた瞳で見つめかえして、「大臣、あなたを拘束します」と言いはなった。
「させねーよ」
いきなり口を挟んだのはタクヤ・タカハシだった。彼はキタザワの前に佇んで、アヤカと彼の間を遮るように腕をのばした。アヤカは一瞬だけ彼を見た。
「下がっていなさい、怪我するわ」
「その銃で?」
近付くタクヤに、アヤカは一歩だけ後ずさって彼に銃口を向けなおした。タクヤは不敵な笑みを浮かべた。
「撃ってみなよ。その瞬間、そっちの手が吹き飛ぶ」
「なに?」
「その銃、アンタの机の中にしまってあったヤツだろ? しかも、随分長い間撃っていないときた。ちゃんと動作するのかねぇ。もしかしたら、銃身にゴミが詰まっているかも」
「……まさか、きみ!」
伝えるのはそれだけで充分だった。アヤカは屈辱に奥歯を噛みしめながら、引き金にかかっていた人差し指を緩めた。
「うかつっすね。そんなだから彼氏できないんスよ」
タクヤは片手をアヤカの銃にそっと置き、銃口の向きをそらした。その様子を遠巻きに眺めていたシンヤは、目の前の青年がタクヤ・タカハシであることが信じられなくなっていた。目の前のタクヤは、いつものひょうひょうとした雰囲気のままだったが、あんな風にあくどい笑みを浮かべる人間ではなかったはずだった。
「タカハシくん……君は、いったい……」
アヤカが半ば呆然とした表情で訊いた。その言葉は発話しようとして発せられたものではなく、自然と口から溢れたもののようだった。タクヤは人を小ばかにするような笑みを浮かべて、おおげさに肩をすくめた。
「タクヤ・タカハシは偽名さ。本名は、ツカサキ――」
「――『ハヤタ・ツカサキ』!」
アヤカはひどく驚愕していた。ツカサキは楽しげに指を鳴らした。
「いえす、あいあむ」
「ハヤタ・ツカサキって!」
隣にいたリョウゴがいきなり大声を上げて、シンヤはおどろいた。
「アンデッドの!」
興奮した面持ちのリョウゴに、ツカサキは片手をあげて応えた。
「よぅ、待たせたな」
「きみがハヤタ・ツカサキのはずはない!」
アヤカが力強くそう言い放って、再び拳銃を向けた。しかし引き金に指はかかっていなかった。
「彼は幽霊屋敷を逃げ出したんだ! わざわざ戻ってくるはずがない!」
「ところがどっこい、俺はここにいるぜ」
ツカサキはからかうような目でアヤカを見やった。彼女の頭の中で、目の前の状況を冷静に分析しようという気持ちと、キタザワとツカサキへの怒りがぶつかって、うまく処理できていないのが、はたから見てもよく分かった。
「ここに戻ってくるのに、整形手術と戸籍の洗浄だけで済んだ。アヤカさんは単純だなぁ、ありえないと思ったことは考えもしないんだから」
「それを私が見抜いて、部下にした」
キタザワが言った。
「彼の場合はすこし特別だが、すでに乗り込んだ人間たちは、私が手をまわして死亡したように偽装し、整形手術を受けさせてふたたび潜り込ませたアンデッドたちだ。手土産は彼らも含めてだ。あれだけ居れば、ギフテッドたちだけのAACV部隊が作れる」
「そんなことをしたら!」
アヤカは叫んだ。キタザワは微笑んで言った。
「寄らば大樹の陰だろう。ならば一足先に行って良い場所をとっておきたいと思うのは、当然じゃないかね。それとも、君も来るか?」
「え……」
「他の者でも、誰でもいい!」
キタザワはアヤカから顔をそむけ、彼女の後方で遠巻きに眺めている集団――シンヤや、リョウゴたちに向かって声を張り上げた。
「間もなく歩行要塞は小惑星の『コア』を手に入れ、世界の覇権を握る! そうしたら、ジオ・ジャパンを含む、他の全ての国家はみんな叩き潰される! お前たちはそれで良いのか! 叩き潰す側に回って、生き延びようとは思わないのか!」
彼の力強い叫びは、シンヤには不快なものとして感じられた。
薄汚い。そんなの、ただの裏切りじゃないか。今まで共に戦ってきた仲間を撃って、それで生き延びて満足なのか。恥ずかしいとは感じないのか。
叫びの残響が消え去って、十数秒の間があった。すると、集団の中からひとり、ふたりと、次々にキタザワ側に向かって歩みを進める者たちが現れた。アヤカは大声で彼らを引き留めようとしたが、聞くものはいなかった。
信じられない気持ちのまま、シンヤはその光景を眺めていたが、不意にすぐそばで足音がして、そっちに顔を向けた。目を疑った。叫んだ。
「リョウゴッ!」
リョウゴ・ナカムラはシンヤに背を向け、キタザワたちに向かって歩きはじめていた。彼の背中にシンヤは叫んだ。
「待てよ!」
リョウゴは足を止め、振り返った。彼の表情にはなにか決意めいたものが感じられて、シンヤはますます混乱した。リョウゴは感情の無い声で「なんだよ」と言った。シンヤはたじろぎかけたが、下腹に力を込めて言った。
「おまえ、裏切るのかよ!」
「ああ」
こともなげにリョウゴは言った。シンヤは全身がかっと熱くなるのを感じた。
「なんで!」
「俺さぁ、不思議だったんだよ」
リョウゴはポケットに手を突っ込んだ。
「ここに来てから、どーにも楽しくないんだ。最初はワクワクしてたのにさ」
「お前、いきなり何言って」
「んで、色々考えてさ、気づいたんだ」
リョウゴは頭をかいて、シンヤを侮蔑の表情で見た。その露骨さにシンヤは絶句した。
「俺、お前嫌いだわ」
シンヤは彼が何を言っているのかわからなかった。ただそのひと言が頭蓋骨のなかでいくつも反響し、心臓を締め付けた。シンヤは自分がどんな表情をしているかわからなかったが、リョウゴはシンヤの顔を見て、ますます不快そうに顔をしかめた。
「俺たちが仲良くなった理由、思い返してみろよ」
シンヤの頭はそれどころではなかった。リョウゴはそんな様子を見てとって、残念そうに軽く息を吐いた。
「すぐには無理か? まぁいいや――俺さ、幽霊屋敷に来てから、おまえが気にくわなくてしかたがなかったよ」
「だから、なんで」
シンヤはなんとか言葉をしぼりだした。せめてそれだけは知りたかった。リョウゴは冷淡な口調で言った。
「お前が俺より活躍してるから」
リョウゴは続ける。
「俺がお前を好きだった理由はさ、お前が俺より劣っていたからなんだよ。勉強も、運動も、いっつも俺より下に居る。だから、お前が好きだったんだ」
シンヤの思考は停止していた。
「だけど、お前は幽霊屋敷では俺よりも活躍した。ギフテッドとして認定されるわ、撃墜数もうなぎ登りだわ――そのころから、俺、お前に興味が失せてったよ」
シンヤは口をぱくぱくとさせた。息苦しかった。リョウゴは悲しげな顔をした。
「シンヤ、お前は『シンヤ・クロミネ』を殺したんだ。だから――」
シンヤの頭の奥で何かがはじけた。
「――俺はお前に敵対する。お前が憎いからな」
「やめろ!」
気づくと、シンヤは床を蹴ってリョウゴに飛びかかっていた。シンヤが怒りに任せてこぶしを振り上げ、殴りつけようとしたとき、腕が弾かれた。それはリョウゴによってではなく、ふたりの間に驚異的な瞬発力で割り込んだ、ツカサキによってだった。
予期せぬ乱入者にシンヤが驚いた次の瞬間には、すでにシンヤは腹にツカサキの掌底を叩き込まれ、後ろに吹き飛ばされていた。硬く冷たい床にシンヤは背中から倒れこみ、後頭部をしたたかに打ちつけた。視界が眩んだ。それでも顔を上げてリョウゴを見ると、彼は既にツカサキに促されて歩みを再開していた。
叫んでひきとめようとするシンヤに、ツカサキは笑いかけた。
「友人なら、旅立ちを祝福するべきじゃねーか?」
シンヤはよろよろと立ち上がった。リョウゴはもうすっかり遠くにいってしまっていた。その後ろ姿が、シンヤが幽霊屋敷に来たばかりのときに思い描いた姿に重なって、とてつもない喪失感をおぼえた。シンヤの頬を熱いものがつたった。それはとめどなく目から溢れ、足から力を奪い、シンヤをその場にへたりこませた。そんなシンヤを見て、リョウゴとともに歩んでいたツカサキは、大声で彼に呼びかけた。
「シンヤ、なにも悲しむことじゃないさ! おまえが望めば、またすぐに出会えるんだからな!」
アヤカが要請していた武装兵士たちが息巻いて到着したころには、すでにキタザワとツカサキ、リョウゴとギフテッドたちは陸上戦艦で歩行要塞へ向かって出発してしまっていた。
AACVで追いかけようという案も、兵士たちのあいだからは出たが、通常のパイロットではいくら繰り出そうが勝ち目が薄いだろうということと、唯一基地に残ったギフテッド――最悪なことに、ギフテッドたちは全員がキタザワたちについて行ってしまった。おそらく事前に声をかけていたのだろう――であるシンヤが、とても出撃できるような精神状態では無いことを考慮して、追跡は断念せざるを得なかった。
アヤカは異常の無かった拳銃を机に戻して、頭を抱えた。
なぜ気づかなかったのだ。彼――キタザワが、東中国からの誘いを断ったあたりで気づくべきだった。
国際緊張が高まるこの状況、国のような大きなレベルでは、中立を守ることが一番損をすることなのだ。漁夫の利を期待するには、あまりにも双方の規模が大きすぎる。ならば連合を断ったら北米側にしか居ようがない、考えてみれば当たり前のことだった。彼は国家機密を手土産に亡命した。おそらくその目的は、効率的にジオ・ジャパンを北米生存同盟に統合するため――わかりやすく言えば、歩行要塞が『コア』を手に入れたあと、『速やかにジオ・ジャパンという国を消滅させる算段を立てるため』だ。
やられた。
歩行要塞に亡命しているのはキタザワ大臣だけではないだろう。きっと、中立を保っていた世界中の国々の、似通った地位の人間も同じことをしているはずだ。敵対しようとする者たち以外は皆、歩行要塞の勝利に賭けている。
彼らは気づいていないのか? どういう結果になろうが、賭けで勝つのはいつも胴元だ。北米が勝てば彼らの母国は吸収され、連合が勝てば、世界の国々はまるごと北米側の敵になる。北米に味方することで得られる利益は、キタザワの個人レベルに留まる。国家に未来は無いのだ。
奴は売国奴だ。この国を売って、自分の保身だけを求めた。クズめ。裏切り者め。
私はあんな風にはならない。私はジオ・ジャパンの暗部を預かるアヤカ・コンドウだ。
私はこの国に忠誠を誓っている。それを裏切ることは、私を裏切ることになる。
自分自身だけは、裏切ることなんてできるものか。




