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第十一話「崩壊の予兆」

 それから数日のあいだ、ホッカイドウ第五ブロックの基地に停泊し、戦力の回復を見届けた「おろち」は、次の早朝に基地を出発し、夜中にはカントウ第一ブロックに戻った。

帰還後の集会やら何やらを終えて、やっと解放されたシンヤは、なんだか疲れがどっと出た気がして、自室でひとり休息をとっていた。P物質の影響か、体がだるかった。ベッドに寝転ぶ以外に何もする気が起きなかった。そうして夕飯も食べずに、うつぶせのままボーと過ごしていると、不意に部屋の扉がノックされた。まどろみかけていたシンヤは、慌ててベッドから飛び起き、口の端からたれていた涎を袖でぬぐいながら、大きな声で「どうぞ」と言った。数秒の間の後、扉を開けたのは、白い杖をついた少女だった。なんの用だろうかとシンヤは思いつつ、ベッドの上で胡座をかいた。

 ユイは軽く会釈をして「こんばんは」と挨拶した。シンヤは同じ挨拶を返した。

「今、ちょっとお時間ありますか」

 なんだか深刻そうな口調に、シンヤはすこし不安になった。

「平気だけど、どうしたの?」

「そうですね……」

 立ち続けているユイの、落ち着かない様子を見て、やっと気づいたシンヤは、ベッドから下り、彼女の近くに椅子を用意してやった。

「あ、すいません」

「こっちこそ気が利かなくて」

 ベッドに戻り、彼女が椅子に腰かけるのを待ってから、あらためて用件を訊ねた。すると彼女は言いづらそうに、膝の上に置いた両こぶしを固くした。

「あの、実は相談で……」

「相談?」

「はい。あの、ナカムラさんの事なんですけれど」

「リョウゴがどうかしたのか?」

「私、クロミネさんが出ていたあいだ、あの人と模擬戦闘をやらせてもらっていたんですが……」

 彼女はひと呼吸おいた。

「怖いんです、彼が」

「怖い?」

 ユイは頷いた。シンヤは眉根を寄せた。

「模擬戦の最中、ずっと鬼気迫るような感じで……私、今まで色んな人の相手をさせてもらいましたけれど、あそこまでは……」

 リョウゴのことを悪く言われたような気がして、シンヤは唇をとがらせた。

「……それ、ただ単にリョウゴが一生懸命だっただけじゃないか?」

 ユイはふるふると頭を振った。

「違うんです。アレは……そう、失礼ですが、敢えて言うなら――」

 ユイが言いかけた時だった。シンヤは誰かの気配を感じて部屋の入り口を見た。いつのまにかドアが開いていた。

「リョウゴ……」

 そこに立っていたのはリョウゴ・ナカムラだった。彼は大浴場でシャワーでも浴びてきたのか、タオルを首にかけ、赤みがかった髪はまだ湿っていた。

 シンヤはカントウ第一ブロックに戻ってから、リョウゴにはたまたま会えていなかった。しかしそれでも、リョウゴと会わなかったのはたった数日だ。それだけに、彼のあまりの変わり様に驚いた。彼の目の下には濃い隈があらわれていて、その視線には力が無い。皮膚も少し青ざめていて、いかにも体調が悪そうだった。心なしか頬の肉も減っているように見える。だらりと下げられた腕にも力はないように見えた。

「俺の名前が聞こえた気がしたけど、なに話してたんだ?」

 リョウゴは扉の枠に寄りかかって訊いてきた。ユイがおびえて、かすかに肩をすくませた。

「いえ、その」

「リョウゴの上達が凄いって、オカモトさんが教えてくれたんだよ」

 シンヤはそう言った。

 リョウゴは「へぇ」とどこか無気力な声を出した。

「そんなことより」

 リョウゴは枠から離れ、こちらに近づいてきた。彼は微笑していたが、シンヤには皮肉めいた微笑に見えた。

「シンヤ、お前大活躍したんだって?」

 頷くのは憚られたので、首を振った。

「謙遜すんなよ」

 そうしてリョウゴはシンヤの隣に腰を下ろした。シャンプーの匂いがシンヤの鼻をくすぐった。

「マジスゲーよ、お前」

「やめろよ、そういうの」

 シンヤは小突くようにリョウゴの腕に拳を押し付けた。彼は微かに笑った。その笑顔が、シンヤには直視にたえないもののように感じた。

「二週間でエース撃墜だぜ? 天才だよ、お前」

「そんなこと無いって。俺にできたなら、リョウゴにもできるよ」

「そうだといいな」

「リョウゴの方が、俺より勉強も、運動もできるんだし、すぐに追い抜くさ」

 シンヤは心からそう思っていた。そうにちがいなかった。自分が、なにかリョウゴよりできたことなんて、ひとつもなかった。ゲームでもいつもリョウゴは先を行っていたのだ。

「そうですよ。ナカムラさんも上達は早い方ですから、あと二、三回練習すれば乗りこなせるようになります」

 ユイの言葉にリョウゴは礼をかえした。シンヤにはその声に感情がこもっていないように聞こえた。

「おまえ、大丈夫か?」

 シンヤは耐えかねてそう訊いた。リョウゴは首を傾げた。

「なにが?」

「無理してないか?」

 シンヤに向かって、リョウゴは手を振った。

「してないよ。俺はまだまだいける……」

「でも顔色悪いし、医務室でちょっと見てもらったほうが」

「必要ないって」

 リョウゴはいきなり立ち上がった。その仕草からは拒絶の意思が感じられて、シンヤは少したじろいだ。

「すこし休めば平気さ。それより、邪魔したな」

 なんのことかわからずに訊き返すと、リョウゴはにやりといやらしい笑みを浮かべた。

「ここはお若い二人だけでじっくりと……」

 その言葉にシンヤはかぁっと顔が熱くなって、思わず立ち上がった。

「いやいやいや、違うから」

 気恥ずかしくなって、シンヤはちらりとユイを見た。彼女はすこしうつむいていた。心なしか耳が赤くなっているようにも見えた。

 リョウゴはその間に、ひらひらと手を振りながら部屋を出ていった。シンヤはその背を見送って、またベッドに座りなおした。

 それからなんだか気がぬけたような気分になって、シンヤとユイは他愛のない雑談へと流れていった。結局、その日の夜遅くまで話し込んだシンヤは、彼女がリョウゴのことを何と言おうとしていたのかなんて、すっかり忘れてしまっていた。



「私は反対です」

 タケルは力強くそう言い放った。アヤカは目の前にいる彼から視線を逸らし、机に肘をついたまま眉間を押さえた。

「――私もよ」

 アヤカはそう言った。タケルは電動車椅子のレバーを指で軽く倒し、アヤカの机に近づいた。

「また上からの命令ですか」

「相変わらず勘が良いわね」

 張りの無い声でそう言いながら、彼女が机の中から抜き取った書類を。タケルは受けとった。目を通すタケルの眉間の皺はますます深くなり、下唇は噛みしめられた。

「コンドウさんの前ですが――」

「『ふざけてる』、でしょ」

「相変わらず勘が良いですね」

 疲れた風にふたりは笑い合った。タケルは腕を組んで、片手で顎を撫でた。

「たしかにシンヤ・クロミネの戦積は異常です。これが続くようなら、ギフテッドと考えて間違いは無いでしょう、それは認めます。しかしそれで命令無視が不問にされるなんて、あってはならない、あってたまるか」

 タケルの声には静かだが、激しい怒りがこもっていた。

「君は」

 アヤカは椅子の背もたれに身を委ねた。

「どういった処分を考えていたの?」

「とりあえず、しばらくの間AACVには触れさせないつもりでした。それと反省文を」

「なるほど」

 彼女は身をのり出す。

「あの老人が何を考えているか知らないけれど、納得いかない」

「ええ」タケルは頷いた。アヤカは言った。

「だからシンヤ・クロミネは、しばらく前線には出さないことにしたい」

「老人の意向に沿いつつ罰を与えるには、それが良いですかね」

「希少なギフテッドを手に入れたから、最大限に活用したいのは解るけれど、やはり、ね」

「たしかコンドウさんは」

「信じてないわよ、ギフテッドなんて」

 タケルの問いに彼女は肩をすくめた。

「そうあるべきだと思います。才能なんて弱者の幻想だ」

 タケルはそう言って机から離れた。その間にアヤカは席を立った。

 壁の資料棚から目的の資料を取り出す。しっかりとファイルを棚に戻し、資料をタケルに渡してから椅子へと戻った。

 アヤカは机の上の目薬を手にとる。

「もうひとつ訊きたいことがあるのだけれど」

 目薬を注すために天井を仰ぎながら、アヤカは言った。

「その雷帝が乗っていた新生ロシアの陸上戦艦について、君はどう思う?」

「不可解ですね」

 タケルは即答した。

「そう、私も同じ」

 アヤカは言いながらぎゅっと目をつぶり、ちり紙に手をのばした。

 タケルは資料をチラと見てから、膝の上に置き、両手を頭の後ろにやった。

「目的がP物質の探索だとしたらAACVをもっと積むはずですし、目的が威嚇ならわざわざあんなところでやる必要は無い。目的が妨害行為なら、何日も目立つところに留まらないし、目的が亡命等ならこちらからの通信に応じるはず」

「目的はそのどれでもなかった、と」

「恐らく」

「そこでもう一度、今の資料を見てくれると嬉しいのだけれど」

 アヤカの言葉に、タケルはまた膝の資料を持ち上げた。資料の写真には、灰の降り積もった、見慣れた地上の地面に、何やら大きな真円の穴がぽっかりと開いているのが写っていた。日付は「おろち」がホッカイドウのブロックに入っていた日だった。タケルは、アヤカに、これはなんなのかと訊いた。

「その穴は例の陸上戦艦が去った後にあったものよ。埋もれてなかったのは、中にパイプが入っているおかげね」

「直径二・五メートルですか」

 ヤマモトは顎に手をやり、思案顔で資料に目を走らせている。

「途中で崩れているみたいで、深さの正確な数値は出ていないけれど、灰塵の堆積層と旧地上都市建造物の残骸の層を貫いて、地面に達しているのは間違いないみたい」

「地下都市にドリルでも撃ち込むつもりだったんでしょうか」

 冗談めかしてそう言った直後に「ロシアならやりかねない」という恐ろしい考えが頭をよぎった。

「ドリル……」

 真剣な顔をして考えこむアヤカに、タケルは少し焦る。

「コ、コンドウさんはこの穴をどう考えているのですか?」

「私?」

 彼女は顔を上げた。

「私は地質調査の跡だと考えているけれど」

「地質調査ですか。しかし何の為に?」

「これは私の仮説だけれど――」

 そう前置きをして彼女は言った。

「新生ロシアは、土の成分からP物質の位置を探る方法を見つけたのかもしれない」

 その言葉を聞き、ヤマモトは考える。なるほど資料に写っている穴はボーリング調査の跡に似ていた。あの戦艦にボーリングマシンを積んでいたのなら、単艦で、しかも戦場でもないのに雷帝という強力なカードを積んでいたのも頷けた。だが別の場所では駄目だったのだろうか、いや、駄目だったから危険を犯してまであそこに留まっていたのか、そうタケルは考えた。もしこの仮説が正しいならば、この国にとって大きな脅威だった。この方法を使えば簡単に「グラウンド・ゼロ」を見つけられ、そこにあるはずの小惑星の「コア」を手に入れられてしまう。それは生存競争の敗北を意味するも同然だった。それだけはなんとしても避けなければならなかった。

 嵐の来る予感がして、タケルは下唇を噛んだ。それと同時にアヤカの洞察力にも舌を巻いた。彼女が二十台後半という若さで政府の秘密機関である幽霊屋敷の長を任されているのも、このよく回る頭のためであるのだろう、とタケルは思った。

「その仮説にどれほど自信がありますか?」

 タケルが訊くと、アヤカはまたさらに一枚の資料を引っ張り出し、机の上に広げた。それは写真で、タケルはそれを見てひどく驚いた。

「いつ、どこで?」

「今日の国内時間、午後五時二十分ころのシベリアで。新生ロシアにいるスパイが送ってくれたわ」

「目的地もそこですね」

 アヤカは頷いた。タケルは舌打ちした。

 その写真は、哨戒用の無人機から撮影されたもののようで、視点は空中にあった。画像は暗視と色調補正がきいていて、遠方はぼやけていたが、それでも何が写っているのかははっきりとわかった。

 灰塵の大地を巨大な黒い影が歩いていた。それは山のように大きい、建物と兵器の集合体だった。全体の構造は、裏表に建物がたくさん生えた巨大な円盤のふちに、十本の太く巨大な足が並んだもので、遠方から眺めると、本当に街か山がそのまま歩いているように見えた。上から見下ろすと円盤のかたちがよくわかり、ピザに足が生えたようなシルエットだった。ピザの裏表には自動機銃やミサイルポッドがところせましとくっついていたが、とくに目を引き、恐怖心を抱かせるのは、上面の中心から放射線状に伸びた、六本の長大な砲身だった。間違いなく世界最大の大きさであるその大砲は、破壊力も、射程距離も世界最大だった。この大砲のおかげで、このなにかの冗談としか思えないような巨大兵器は、世界最強の座を不動のものとしていたのだった。この山の名前は「歩行要塞」といった。「北米生存同盟」の所有する最大の戦力であり、地上の生存競争において、もっともおそろしい敵だった。

「『歩行要塞』が動いているということは、北米生存同盟も私たちと同じことを考え、私たちよりもはやく確信したのでしょう」

「ということは、近い将来、新生ロシアの『メソッド』が、北米生存同盟に渡る……」

「歩行要塞の攻略、真剣に考えなければならないわね」

「しかし、それは」

「歩行要塞の攻略は、ここ五十年、どの国の誰もが成し遂げられなかったことだということは、もちろんわかっているわ。それでも、やるしかない」

 タケルはアヤカの目を見た。彼女の瞳の中には激しい炎が見えた。タケルはその美しい輝きに胸をうたれた。

「作戦を考えるならば、なるべくはやくお願いします。事前に戦力を集めなければなりませんので」

「ええ、お願いするわ」

「ちなみに、今の時点でなにかアイデアはあるのですか」

 タケルが何気なくそう訊くと、アヤカは口元を緩めた。

「いくつか、ね」

「成功率は?」

「高くないわ。でも大丈夫、失敗しても死ぬだけよ」


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