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青春と惨劇  作者: OTASAN
7/11

7話目

全校集会は終了し、幕が下ろされ、人々が壇上から降りていく。

音咲も他の役員に続こうとした時、大野が座っていた席にフォルダーが置かれていることに気が付いた。

弁論時に大野が使用していた資料の詰っているフォルダーだ。どうやら忘れ物らしい。

このまま放置しておく訳にも行かないので、音咲は大野に届けてやろうと考え、フォルダーに手を伸ばす。

掴み損ねて、床に落としてしまった。

落ちたフォルダーはたまたま、あるページを開いていた。

拾おうとした音咲の視線が、そのページに釘付けとなる。音咲はフォルダーを持って、そのページを読み耽った。

ページには週刊誌の切り抜きが貼り付けてあった。

記事の内容は数年前に起こった傷害事件に関するものであった。

幼い姉妹とその伯父という、少し変わった家族構成をしている家で事件は起こった。

伯父が姉妹の姉を刃物で切りつけたのである。

姉もまた、身を守るために伯父を刺した。

姉は軽い切り傷ですんだが、伯父は重傷を負った。

警察は伯父を逮捕し、姉に関しては正当防衛として罪に問わなかった。

伯父の名前は『菊本祥二』、姉妹の名前は記載されていなかった。しかし、事件現場である一軒家の写真は掲載されていた。

それは数日前に音咲が夜空と一緒に訪れた夜香の自宅であった。

「見てしまったのか」

声のした方を振り向くと大野が渋面で立っていた。もう変な関西弁は使っていない。

「この記事に出ている姉妹の姉ってもしかして・・・」

「見てしまったのなら仕方ない、君の想像通り、本堂会長の事だ。スキャンダルを求めて会長の素性を洗っていたら偶然発見した。実際に会長の家の周辺に聞き込んで、裏付けもしている」

この記事により、音咲の中で、ある剣呑な仮説が作り上げられていく。

しかし、それは飽く迄仮説でしかない。確定させるには情報量が不足している。

音咲は菊本祥二という名をメモする。

「言っておくが、この記事を知っているのは私だけだ、他の誰にも漏らしてはいない」

「大野、なぜこんなビッグスキャンダルを掴んでおきながら使わなかったんだ。これを使っていたら会長は一発でやられていた」

正当防衛といっても傷害事件に関わり、実際に人を刺してしまった人物を生徒会長にしておけるほど、この学校の教師陣に度量の大きさはない。

適当な理由を付けて、止めさせてしまうだろう。

大野ははにかみ、鼻の頭を指で掻いた。

「同性愛のネタを使って、陥れようとした私に、こんなことを言える義理はないが、私は現生徒会の体制とやり方に不満はあっても、本堂会長のことは正直好きなんだ。あの人が偏見を抱かれ、孤立させてしまうような真似は出来なかった」

同性愛も偏見の目で見られるかもしれないが、夜香の周囲から人がいなくなってしまうということはなかったであろう。

しかし傷害事件のことが知れ渡れば、夜香は排斥されていたに違いない。

音咲は、大野の心意気に感心して、彼の肩を力強く叩いた。

「大野、お前は手術なんて受けなくても、心の視力は両眼とも2.0だ」

それから、音咲は持っていた書類を大野に渡した。

「これはやるよ。メガネ種による人類劣化論の原本だ。処分してしまえ、こんなものは将来の禍根となるだけだからな」

「いいのか?、借り物なのだろ」

「構わん、上手いこと言い繕っておく。それに、今のお前は、差別主義者ではないだろ」

「そうか、ありがとう。今回のことで私は多くの支持者を失ってしまった。だが、これで諦めた訳ではない。必ず帰ってきて君たちの前に立ちはだかるぞ」

大野はそれっぽい台詞を残し、片手を振りながら去っていった。



大野と別れた後、すぐに音咲は図書室へと向い、菊本祥二をネットで検索する。

菊本の顔画像と彼に関する情報が表示され、そこから新たな事実が浮き出てきた。

菊本祥二は数週間前に、看守を殺害して刑務所から脱獄し、指名手配されていたのである。仮説が確定的になってきた。

どのような経緯があったのかまでは不明であるが、夜香と菊本の間には刃物で切り付け合ってしまうほどの、激しい憎悪と対立があった。

夜香によって刑務所送りにされた菊本は、脱獄したなら何をするだろうか。

答えは簡単である。夜香への復讐だ。

それに対して夜香も手を拱いている訳ではない。襲い来る菊本を返り討ちにしてやろうと、手薬煉引いて待っているのだ。

ギャングを痛めつけている時に夜香が言っていた、本番のための予行演習とは、菊本の殺害を意味していたのである。

これで夜香が愛する妹を遠ざけ続けていた理由も判明した。

いつか来るであろう菊本の復讐に妹を巻き込みたくなかったのだ。

音咲は自分の考えを決定的なものとするために、夜香本人に直接問い質すことにした。

そして止めさせるつもりであった。

夜香は凄まじい力を持っているので、菊本は間違いなく八つ裂きにされてしまうだろう。

どんな理由があるにせよ、音咲は夜香を人殺しにはしたくなかった。

放課後、生徒会室に向うと役員全員が揃っていた。

話の内容が内容なので、音咲は夜香と二人きりになる機会を待った。

やがて、一人二人と部屋から出て行き、終に二人だけになる。

「あの、会長」

音咲が声をかけるや否や、夜香は椅子からさっと下りて正座し、三つ指ついて額を床に擦りつけるほど深々と頭を下げた。

土下座である。

「ごめんなさい」

どうやらこれが、集会の時に言っていたお侘びのようである。

音咲は仰天した。夜香のように気高い人物が、頭を下げる程度ならともかく、これほどまで平に土下座をするなんて。確かに潔くはあるが。

「踏ん付けてもいい」

他の人ならいざ知らず、夜香に土下座され、そんなことを言われると、音咲は己のサドッ気がざわついてしまうのであった。

克己して、音咲は慌てて起き上がるように促す。

無論、その前に夜香の土下座姿という希有な画像を脳内ギャラリーに保管しておく。

折角の綺麗な髪に埃が付いてしまったので、音咲は素手で払い落としてやる。

「やさしいのね」

「いえいえ、それよりも会長、折り入ってお話したいことがあります」

「何かしら?」

「会長がこれから菊本祥二に対して、行おうとしていることに関してです」

忽ち夜香は警戒を露にする。

「あれほど詮索するなと言っておいたのに。どうして願いを聞いてくれないのかしら。それで、どこまで知ったの?」

「かなり核心に迫っているかと」

夜香は顔の半分を手で隠し、溜め息を吐く。

「音咲君が、そういう言い回しをするってことは、ほとんどばれているってことね。わかったわ。でも今は無理よ。これから職員室に行って、同性愛の件に関して弁解してこようと思うの。放置しておくと後々しこりになりそうだから。それが終ったら話をしましょう。時間がかかるかもしれないのだけど、いいかしら?」

「はい、何時間でも待ちます」

夜香は生徒会室に鞄とコートを残して出て行った。

音咲は、どう夜香を説得しようかと思索に耽る。

数時間が経過したが、夜香はまだ戻ってこない。外は既に日の光が途絶えていた。

「・・・まさか」

音咲は生徒会室を飛び出して、職員室に急ぐ。

扉を開け、会長がいるか尋ねると、そもそも来ていないという答えが返ってきた。

「やられた!」

夜香は音咲を騙して、姿を晦ましてしまったのだ。

夜香は音咲がすべての事情を知ったと考えている。そして自分の目的を音咲が阻止しようとしていることも察しているのだろう。

ならば夜香は音咲に邪魔される前に、即行で菊本を片付けようとするはずだ。

夜香が菊本の所在を掴んでいるのかという問題点があるが、彼女は抜かりない人物である。当てがあるからこそ、行動を起こしたと考えた方がよい。急がなければならない。

音咲は学校を出て、夜香の自宅へと向った。

到着したが家の明かりが付いていない。インターホンを押すが反応はない。

居留守を使っているのかもしれないと思い、敷地内に侵入して中を覗いてみたが、人の気配は感じられなかった。ここにはいないようである。

無闇に探し回っても時間の無駄である。他に見込みのある場所がないか、頭の中を探ると、一つだけ心当たりがあった。

音咲は学校へと引き返すことにする。

すると途中で荒城と出会した。

「うわっ、よりにもよって、こんな時に会うなんて。荒城、何をしているんだ?」

「・・・・いや、別に」

「止む得ない、一緒に来てもらおうか」

音咲は荒城の手を引き、連行していく。

学校に戻った時には頃には、晩い時間になっており、校門は閉ざされていた。

校舎の明かりも消されている。生徒及び教員は全員帰ってしまったようだ。

警備員がいるかもしれないが、呼び出して事情を説明している暇はない。

音咲は塀を乗り越えて内部に侵入する。荒城も不平を言わずに、大人しく付いてくる。

音咲は学内の裏手へと向った。

目的地は、音咲が夜香と付き合う切欠になった場所、旧校舎であった。

あの時、なぜ夜香は立ち入り禁止になっている旧校舎にいたのか。おそらく、適切な戦場であるのか検討していのだ。

旧校舎は取り壊し予定になっているが予算の関係で、計画が一時中止になっている建物である。自分の力を振るい、被害を与えても問題はない。

また、周囲に民家が欠しく、旧校舎内の物音を聞き付けられる心配も少ない。

以上の点から事を起こすなら、旧校舎である可能性が高いと音咲は読んだ。

そして、その読みは当った。

旧校舎の前に立つと、以前と同じ遠来のような音が中から轟いてきていた。

既に始まっているようだ。

音咲と荒城は壊れている扉から中に入り、音の響いてくる方向を目指す。

近づくにつれて、音は明確になっていく。何かが粉砕される音、それに男性の声も混じっている。

音の発生源は旧校舎の講堂であった。講堂とは講演・催し物をするための部屋である。教室よりも大きいが体育館ほどではない。

開いていた入り口の前に音咲と荒城は立つ。

講堂は比較的明るかった。

高い天井に、いくつもの穴が開き、そこから仄かな月光が差し込んでいる。

室内には埃が舞っていたが、視界を遮るほどではない。

音咲たちの手前に人が倒れている。顔を見ると、それはあの菊本祥二であった。もがいていることから死んではいないようだ。どうやら間に合ったようである。

表情は恐怖の為に引き攣っている。血や埃で汚れていたが、結構いい身形をしている。

脱獄囚であるのだから、もっとみすぼらしい格好をしていると思っていたのに、これは意外であった。

菊本とは別に、講堂内にはもう一つ人影があった。

奥に佇んで、口元に喜悦の笑みを浮かべながら、ゆらゆらと揺れている。

彼女を際立たせるには、月の光がもっとも適しているのかもしれない。

荒れた講堂にありながら、その人影、本堂夜香の姿は魅入ってしまうほど美しかった。

彼女の目付きはギャングを相手にしていた時と同じで危険なものになっている。

その目線が音咲と荒城を捉えた。釣り上がっていた口角が下がり、笑顔が凋んだ。

夜香は二人を認識したが、どうしてここが?、とか、なぜ二人が?、などの言葉を一切かけようとしない。

夜香の目線が下に落ちた。

音咲と荒城を無視して、視界に収める対象を倒れ伏す菊本に移したのだ。

音咲は前に進み出て、菊本を夜香から隠すようにして立ちはだかる。

「・・・何の真似?」

表情を消した夜香は音咲に向けて言葉を発する。

「会長、自分を騙して逃げたのですから、察しているのでしょう。会長を止めにきたのですよ」

夜香の敵意が音咲に指向する。

前の時のように問答無用でやられるのかと、音咲は身構えた。しかし、あの不可視の衝撃は飛んでこなかった。

「音咲君、君はその男の事をどこまで知っているの?」

無表情のまま、夜香は語り始める。

「・・・何も知りません。昔の事件の記事を読んだだけですから。会長とこの人は互いに激しく憎み合っているのだろうと推測している程度です」

「そいつはクズよ、人間のクズ」

夜香と夜空の両親は事故で死亡した。

その時、姉妹の後見人に名乗り出たのが伯父の菊本であった。

菊本は姉妹に愛情があったから志願したのではなかった。菊本は勤めていた会社で不正が露見して懲戒解雇寸前であり、住む場所も追われていた。

故に、後見人となり本堂の遺産と家を我が物にしようとしたのである。

事は菊本の目論見通りに運び、彼は姉妹の家に移り住んだ。

そして早々に遺産を食い潰し始めたのである。

姉妹に対しては怒鳴り、暴力を振るい、惨めな思いをさせた。

そして遂には非道な無体を姉に強要した。

「私に人殺しをさせようとしたの」

菊本は会社で自分のことを告発した人物を激しく憎悪していた。その人物の所為で、これまで築いてきたものをすべて台無しにされたのである。

菊本は、その人物の家への、放火を思い立った。

奴を、その家族諸共焼き殺してやる。

しかし、自ら実行すると怨恨の線で警察から追及され、犯行が露見する危険性がある。

そこで、夜香にやらせることにしたのだ。そして自分は確固としたアリバイを作っておいて、警察の疑惑から逃れるという寸法であった。

当然、夜香は拒否した。菊本の犯罪の片棒を担ぎ、人殺しを行うなど真っ平である。

夜香の態度に菊本は熱り立ち、押し倒して、そのまま乱暴を働こうとした。

「だから私は刺したわ。思いっきり刺してやった。因みに、音咲君の読んだ記事には多分正当防衛って書かれていたと思うけど、それは嘘。私が自分で自分の腕を切ったの。自作自演ね。上手く言ったわ、誰も私を疑わなかったし、誰もそいつを信じなかった」

夜香の語り口は淡々としていた。まるで他人の身にあったことを報告するようである。

「でもね、今思えば、その判断は失敗だったわ。私はそいつを刑務所送りにするのではなく、息の根を止めるべきだったのよ。家には私と妹の二人だけになった。それで安らぎが得られると思ったわ。けれども、そうはならなかったの。あの男は生きている、私たちに復讐しに来る、その観念が私の頭にこびり付いて、離れなくなった。常に不安が付き纏い、夜も眠れなくなった。別の事に集中して気を紛らわせておかないと、心の平静を保てなくなったわ。私は精神障害を負わされていたのね、まるで呪いのように」

常に超然として冷静に振舞いながらも、夜香の心には地獄があったのだ。

「私は、妹を他所にやることにしたわ。家に置いておくのは危険だったから。あの子はピーピー泣いたわ、泣き止まなかった。私は一人になり、その男が来るのを待ったわ、何年も何年も。そして終に、脱獄したという話を聞いたのよ。普通なら愕然とするのでしょうけど、私は歓喜したわ。とうとう終らせることが出来るのだってね。そいつが家の傍まで来ているのは分かっていたけど、なかなか姿を見せなくて。じれったくなったし、音咲君にも感付かれたようだから、勝負に出てみたの、私自身が囮になって人気の無い場所に誘い出す。この場所にね。そしたら案の定、ほいほいと食い付いてきた。自分が狩られる側にいると知らずにね」

相変わらず夜香の表情には何の感情も浮かばず、心中を知ることは出来ない。

しかし、その瞳の危険な輝きは光量を増している。

「ね、音咲君。これで解ったでしょ。その男がどんな人間なのかを。庇う価値なんて無いわ。そして私の思いも。その男を殺さないと、私にも、私の妹にも安寧はないの。だからそこを退いてちょうだい」

不意に空気が鳴った。夜香が衝撃を放ったのである。衝撃は這って、こそこそ逃げようとしていた菊本の鼻先に命中した。

床板が爆ぜ、飛び散った破片が菊本の顔に刺さる。悲鳴を上げて菊本はのたうった。

その怒りと憎悪で濁った目が夜香に向けられる。

命乞いでもすればいいのに、菊本は無駄に矜持の高い人間であったため、己の命が危機的状況にあるにも関わらず、夜香に向けて悪態を吐き出した。

「クソッ!、妹だけでなく、姉も化物だったって訳かよ!」

菊本の不穏な発言に音咲は思わず振り返った。菊本の言葉は夜香だけでなく、夜空にもこのような能力があることを暗に意味している。

「余計な事を・・・・まず喋れなくした方がよさそうね」

夜香から発せられる圧力が増す。しかし菊本は臆することなく捲くし立てる。

「やれよ!、やってみろよ!、俺を殺してみろ!。お前ら姉妹はそっくりだ。妹が人殺しなら、姉も同様って訳だ!」

「馬鹿言わないで、あの子は誰も殺していないわ」

菊本は歪んだ笑みを浮かべて夜香を嘲る。

「お前の妹は人殺しだ!、いや、そんな生易しいものじゃない。殺人鬼だ!。知らないのなら教えてやるよ。俺はな、妹を先に殺してやろうとしたんだ。そっちの方が、俺を嵌めたお前を苦しめることが出来るからな。けれど俺は、ついこの間の夜に、見ちまったんだよ、お前と同じような力で、あいつが人間をぐちゃぐちゃにしている所を、やられた奴は間違いなく死んだぜ。夜な夜な人を殺して回る連続殺人犯はお前の妹だったって訳だ。仕方ねぇから俺は逃げた、あんな化物に勝ち目なんて無いからな」

「っ!」

これまで人間性を全く感じさせなかった夜香であったが、菊本の放った驚くべき証言を聞かされた途端、感情を露にした。

動揺し、蒼白なってよろめく。

その隙を菊本は逃さなかった。弾かれたように起き上がって講堂の出口を目指す。

夜香に相当なダメージを負わされているらしく、立つこともままならない菊本は、こけつまろびつしている。

夜香は逃すまいとしたが、射線上に音咲がいた。

「どいて!」

そう言われたが音咲は泰然としており、ピクリとも動かなかった。その間に、菊本は講堂から抜け出してしまう。

菊本が出て行った出入り口を睨みながら、夜香は静かに言葉を紡ぐ。

「音咲君、君は私の話を聞いていたの?」

「もちろんです。事実を知った上で、自分は会長を止めます」

「・・・そう、事情を説明したところで何の意味があるのだろうと感じていたけど、やはり徒労だったようね。最初から君を排除した方が、話は早かったわ」

「会長、会長は勘違いをしています。前回も今回も、自分はあんな下らない悪人のために命張っている訳ではないのです。自分はそこまで御人好しではありません。自分は飽く迄、会長のためにやっているのです」

「・・・・私の為?」

夜香は小首を僅かに傾げて困惑している。

「そうです。どんな理由があろうと、殺人は罪です。あんな人間を殺して、その罪を背負うなんて、それでは会長があまりにもかわいそ過ぎます」

「君の言わんとすることが理解出来ないわ。私があの男を殺した事を負担に思い、苦しむとでも言いたいの。有り得ないわ。馬鹿を言わないで。あいつはすべての元凶なのよ。あいつさえいなくなれば、私は救われるの」

音咲は首を左右に振って、夜香を否定する。

「会長から生徒会に誘われ、一緒に役員を務めて、もう一年以上になります。ですから会長の人となりも、それなりに理解しているつもりです。会長はとても優しい人です。どんな事情があっても、殺人は必ず心の負い目となります。殺しても会長は救われません。その罪は一生、会長を苛み続けることになりますよ」

人を殺して平然としていられるのは、精神が麻痺しているか、壊れている人間だけである。使命で人を殺める軍人であっても苦悩する。

少し変わった所はあるが、夜香は情け深い心を持った女性である。そんな人が殺人を犯し、何も感じないでいられる訳が無い。

「・・・では、君は私にどうしろと言うの?、どうすればすべてが収まるというの?」

「申し訳ありませんが・・・・我慢をしてください・・・今はそれしかありません」

寒気が走り、音咲は全身に鳥肌が立つのを感じた。夜香が音咲を攻撃対象とし、敵愾心を滾らせたのである。

夜香から人間性が剥離し、再び目付きがあの剣呑なものへと変わる。

「時間の無駄だったわ。話し合いなどすべきでは無かった。音咲君、君はこれからもずっと私の邪魔をするのでしょうね、障害となり続けるのでしょうね。だから君をこの場で始末しておくことにするわ」

「うわ~、こりゃぁ、やばそ~」

気圧されながらも、音咲は軽口を叩いた。夜香を怒らせてしまうであろうことは予測済みである。

我慢しろだなんて言えば、火に油を注ぐ結果になるのは誰の目にも明らかであった。しかし、それしか答えが無かったのだから仕方ない。

音咲は振り向いて、未だに講堂の入り口に立ち尽くす荒城に呼びかける。

非常事態に直面しているにも関わらず、荒城は落ち着き払っていた。

「どうするつもりだ?」

「会長を大人しくさせる」

「大人しくって・・・・今の、あの会長を?、勝算はあるのか?」

「とりあえず、愛と勇気で頑張ってみる。危ないから、荒城は安全な場所まで下がってくれ」

「何か手伝えることはあるか?」

「そうだな、もし俺がやられたなら、その時は・・・・」

荒城は真摯な態度で頷いた。

「わかっている。その時は邪魔にならないように、お前を端っこに寄せておけばいいんだな」

「うーん・・・・、まあ、そんな感じでいいや」

「では、ご武運を」

「あっ、待ってくれ、最後にもう一つだけ頼みがあるだ」

「何だ?」

音咲は荒城に向かってニヒルな笑みを恰好よく浮かべた。

「妻と子に、愛していると伝えて欲しい」

「諸に死亡フラグだな」

退避していく荒城を見送り、音咲は夜香に向き直る。

夜香は以前に音咲を殺しかけた時より、さらに悪い心境になっているようで、彼に危害を加えることに喜びを見出しているのか、口元は綻んでさえいた。

今の夜香は音咲を傷つけることに対して一切の躊躇や手加減は無い。むしろ望んでいる。

対して音咲は、夜香を害するつもりは微塵も無い。殺人を思い留まらせるために、夜香を無力化、確保するのが目的であった。

戦力だけでなく、立場も音咲は圧倒的に不利であった。

「気が進まないが、使うしかないか」

そう言うや否や、突然音咲の瞳が座り、温かみが抜けて爛爛と輝きだす。身に纏っていた雰囲気も冷たく豹変していく。まるで今の夜香と同じように。

夜香が不可視の衝撃を放った。と同時に音咲が横へ飛び退く。

一瞬前まで音咲のいた場所の床板が砕け、背後の鉄扉が歪んだ。夜香に容赦はない。衝撃には致死的な破壊力が内包されている。

二撃目が来る。音咲は後方へ素早く下がってかわす。三撃目は身を傾け、ギリギリの所で避ける。そして四撃目は前方へ身を投げ出し、衝撃を潜り抜けると同時に夜香との距離を詰めた。

「おかしいわね」

夜香が僅かに眉根を寄せる。

「君は、以前にも私の攻撃をかわしたことがあったけど、あの時は必死だったわ。けれども今は余裕でかわしている。それにその独特の目付きと気配、もしかして君も・・・」

「御明察です、流石は会長。実は自分も特別な能力を持っているのです」

音咲は自らの秘密を雑談でもするように、あっさりと明かした。

「なるほど、私の能力を目の当たりにしてもあまり驚く気配が無かったから、不思議に思っていたのだけど。エキセントリックな性格だからというだけでなく、自分も同種だったからという訳なのね。得心したわ」

「確かにそれもありますけど、超能力って今の世の中、そんなに珍しくないですよ。テレビでよくやってますし」

「私、テレビは見ないから。それで、あなたはどんな能力を?」

「地味なので言いたくありません。それに言ったら、間違いなく付け込んでくるでしょう。会長、この力はあまり使うべきではありません。取り返しのつかないことになります」

「分かってる。自分が自分じゃなくなるもの。危険性は十分実感しているわ、でもあいつを殺すまで止めるつもりはないのよ」

会話が行われている最中も、攻防は繰り広げられている。

攻撃しているのは一方的に夜香であるが、一発も命中していない。砕けた破片が音咲の衣服や皮膚に浅い掠り傷をつくっている程度である。

片や音咲は前進を続け、夜香との距離をじわりじわりと詰めている。

点の攻撃では通じないと判断した夜香は戦法を変え、横薙ぎの線の衝撃を打ち出した。

音咲は手近の壁を蹴って一際高く跳躍し、衝撃を飛び越えてそのまま夜香へと迫る。

押さえ込もうとしたが、音咲は夜香の体まで届かなかった。前方から圧力が押し寄せ、音咲は空中で停止していた。圧力は瞬間的に膨張し、音咲を弾き飛ばす。

空中で身を巧み捻り、音咲は足から着地しようとした。しかし痛んだ床板は、着地の衝撃を支えることが出来なかった。

「おわっ!?」

音咲は床を突き抜けてストンと下に落ちてしまった。視界には床下の薄汚れた光景が広がっている。無論、夜香の姿は見えない。

今攻撃されたら不味いのだが、衝撃は飛んでこなかった。

上に這い上がると、夜香は嫣然として、音咲を待っていた。

「失敬。見苦しい所を、お見せしました」

「構わないわ。それにしても音咲君って凄く強かったのね。素晴らしい体捌きだわ」

「昔取った杵柄です」

夜香は大分興が乗ってきており、つまらぬアクシデントで戦いが終わってしまうのが残念に思えたため、手を出さなかった。

音咲は身構えて、夜香を確保するための算段をつける。

真正面から挑んでも、先ほどのように阻まれ、弾かれてしまう。今度はフェイントを織り交ぜてみることにする。

床を蹴って一直線に夜香へと駆けていく。衝撃は来ない。夜香はゆらりと佇んでいるだけであった。

圧力を感じたら瞬時に進攻角度を変えようと音咲は考えていた。

しかし間近になっても圧力は無い。このままでは夜香と激突してしまう。

夜香を傷つける訳にはいかないので、勢いを殺そうと足を踏ん張った。

踏鞴を踏みながらも夜香との衝突は回避できた。衝突は回避したのだが、密着してしまった。音咲は夜香に抱きつくような形となっていた。

体はふれあい、顔も、吐息がこそばゆく感じられるほど近い。戦闘中であるはずなのに妙な体勢である。

夜香がさらに顔を寄せてきて、音咲の耳元で囁いた。

「やっぱりね、こうなると思った」

夜香は音咲をせせら笑った。音咲は女性に手を上げない主義である。

そのことを夜香は知っており、利用したのである。

まったく防御行動を取らないようにして、己の懐深くに誘い込んだのだ。

「捕まえたわ、これで逃げられない。君は私に何も出来ない。けれども私は君になんだって出来るわ」

危険を感じて音咲は夜香から離れようとした。しかし四肢が言うことを聞いてくれない。まるで重量のある粘液が絡みついているように手足が重い。

音咲は完全に動きを封じられてしまった。これでは衝撃をかわすことは不可能である。

夜香はじゃれつくように音咲に頬擦りをしてきた。音咲は心地好い思いをしたが、浸っている場合ではない。

「音咲君て、どんな味がするのかしら」

夜香は熱っぽい、嗜虐的な表情を浮かべている。戦いに興奮してサドッ気が発現してしまったようだ。

音咲の首筋にある、僅かに血の滲んだ掠り傷をべろりと舐めた。

ぬらりとした感触が肌を這っていく。こんな状況でなければきっと楽しいのだろうなと、音咲は口惜しい思いをする。

味を吟味しているのか、夜香は、ふむ、と唸った。そして今度は頬にある傷を味わおうと、顔を寄せてくる。

「会長、さっきから、なんだかエロくないっすか」

「ふふっ、ありがとう」

別に誉めた訳ではないのに、感謝された。

夜香の中で当初の目的が、邪魔者の排除から、いつの間にか音咲に卑猥な行為を強要することへ変化してしまったのかもしれない。

いつまでも、されるが侭でいる訳にもいかない。手足は動かないが首を自由が利いた。

音咲はタイミングを計って、首を捻り、差し出されていた夜香の舌に噛付いた。

無論、思い切り噛付いたら大変なことになってしまうので、甘噛である。

「くふっ!」

音咲の不意打ちに夜香の意識は乱れ、拘束する力が弱まった。

好機を逃さず、音咲は夜香から逃れる。かかっていた圧力は完全に無くなっていた訳ではなかったので、抜け出す時に服が破れてしまった。

「ふう、会長のタン、美味しく頂きました」

唇を拭い、音咲は一息吐く。舌を噛まれた夜香は、口元を手で押さえていたが、その愉悦の色は失われていない。

「御馳走様を言うのはまだ早いわよ、今度は私の体液を飲ませてあげる」

黒髪を乱し、夜香は妖艶な気配を撒き散らしている。その視線は、服が破けて露出した音咲の胸元に注がれていた。

「以前から感じていたのだけど、君の体は綺麗で、色気があって、そそるわ」

夜香の言葉に音咲は頬を赤らめ、恥ずかしがって、はだけた胸元を隠す。

「会長が自分の肉体に情欲を抱いていたなんて・・・ちょっと嬉しいです・・・って、いかんいかん!」

音咲は激しく頭を左右に振って、自分の中に湧き上がってきた変な気持ちを振り払う。

この戦いには、夜香に思い止まらせるという事以外に、どうやら別の側面があることを音咲は見出していた。

これはサドとサドの戦いだ。

音咲のサドッ気と夜香のサドッ気が鎬を削り、どちらがよりドSなのかを決める勝負でもあるのだ。

SをもってSを制すのである。

現時点では夜香の方が断然優勢である。

このままでは音咲がマゾに転向させられてしまう。

「どうにかしてあの女に、俺のサドッ気を思い知らせてやらねば」

夜香のことを、あの女呼ばわりした音咲は勝機を求めて、講堂内を見回した。

そして名案を考え付き、罠を張ることにした。

夜香は悠然と音咲に向って歩いてくる。衝撃は放ってこない。また捕まえて、弄るつもりらしい。音咲は捕えられないように距離を保ちながら移動していく。

しばらくの間、二人は講堂を巡り続けた。

やがて音咲は角へと追いやられて、逃げ場を失ってしまう。

「さあ、大人しくなさい」

サドッ気を滾らせながら、夜香が音咲に迫る。

「大人しくなるのは会長の方です」

音咲は無造作に一歩大きく前進した。床が軋みを立てる。さらにもう一歩前進、軋みは酷くなる。

異変を感じ、夜香が足元を見た時、二人の姿が床に沈んだ。痛んでいた床が二人の体重に耐えられず、陥没してしまったのである。

これが音咲の仕掛けた罠であった。夜香を床下に落とすために、板が脆くなっていたこの場所まで誘導したのである。

「・・・・で、これがどうしたというの?」

嵌められたことに気付いた夜香であったが、しれっとしている。

夜香は腰まで床に沈んでいるが、動きを完全に封じられた訳ではない。もがけば、どうにか抜け出せそうである。

それに、沈んでしまったのは夜香だけでなく、音咲もである。これでは逃げられない。

夜香の勢力圏内にも入ってしまっている。

罠に嵌めたはずの音咲の方が、不利な状況に追い込まれていた。

「ふふっ、これはまだ第一段階目です。第二段階目はこれからなのですよ、会長。・・・・ほら来た、覚悟してください」

音咲は自分が漬かっている床下の闇に視線を落とした。つられて夜香も下を見る。

床下は暗く、見通すことが出来ない。

不意に何かが蠢いた。闇は単なる暗がりではなく、実体を持っていた。泥でも溜まっているのかと思い、夜香は目を凝らしてみる。すると、無数の光点が光っていた。

そして光点を伴った闇は夜香の体を這い登って来ていた。

夜香は硬直する。闇は床上にまで出てきて、実体を明らかにする。

それは夥しい数の蜘蛛の子であった。

先ほど音咲は床下に落ちた時、馬鹿でかい蜘蛛の巣を発見していた。音咲の罠の第二段階目は、これを利用することだったのである。

今、二人が下半身を突っ込んでいるのは、正にその蜘蛛の巣であった。

巣が破けて、中の子蜘蛛が溢れ出していた。夜香は虫が大の苦手である。子蜘蛛に包まれゆく我が身を夜香は痙攣しながら、信じられないという目で見つめていた。

息が詰って悲鳴を上げることも出来ず、筋肉が強張ってしまい、抜け出したくても体が上手く動かない。

目は涙ぐみ、唇は震えている。精神の集中など出来る訳もなく、能力も使用不可となる。

一匹の子蜘蛛が顔まで来た時、夜香の体は反射的に動き、穴から這い出そうとした。

しかし、それを阻止する者がいた。音咲である。

彼もまた蜘蛛の子塗れになっていた。にも関わらず、音咲は恍惚としている。

音咲のサディズムが本領を発揮しているのだ。夜香に精神的苦痛を与えることによって、性的快楽を享受している。

音咲は、更なる悦楽を得るために、怯え、震え、うろたえる夜香の肩に体重を乗せて、無情にも子蜘蛛溢れる穴にも沈めようとする。

「やっ、やめて、お願い」

助命を哀願してくる夜香の声色が耳に心地好い。数分前までの傲慢な態度から一転して、縋るような面持ちになっている、そのギャップが音咲には堪らない。

音咲は嬉々として腕に力を込めた。夜香は胸まで穴に沈み、顔半分が子蜘蛛に覆われた。もはや恐怖で体に力が入らず、意識も混濁して、無抵抗状態であった。

既に勝負は決している。

それでも全開になってしまった音咲のサディズムは、止まる所を知らなかった。

蜘蛛の子の中から、一際大きな物体を目敏く発見し、むんずと掴む。

それは親蜘蛛であった。成人男性の手の平ほどもある大蜘蛛である。

夜香は見た。その手に大蜘蛛を掲げ、刃物で刳り貫いたような残忍な笑みを浮かべている音咲を。彼がこれから何をするつもりなのか一目瞭然であった。

夜香に抗う術は無い。

それだけは止めて、と夜香は音咲の同情心に訴えるために涙を流した。

数年振りの涙であった。妹を他所へやった時以来である。あの時、もう泣かない、強く生きると心に決めたはずなのに、まさかこんなことで泣かされる破目になるなんて。

しかし、女の涙も暴走中の音咲には通じなかった。逆に喜悦の笑みを深めながら大蜘蛛を夜香の泣き面へ、ぐいっと押し付けたのであった。

夜香の視界がすべて蜘蛛で埋まった。大蜘蛛は体の各所に毛を生やしていた。虫なのにフサフサしている。それでもう無理であった。

夜香は気絶した。



「しまった・・・・やりすぎた・・・・」

正気に戻った音咲は、ぐったりして全く動かなくなった夜香を穴から引きずり出して床に寝かせた。

体に付いた小蜘蛛を潰さないよう、丁寧に払い落としてく。親蜘蛛にも、住処を壊してしまったことを詫びて、そっと巣に返してやった。

やや修羅場となったが、どうにか無事に夜香を傷つけることなく確保完了である。

夜香の精神面は只では済まないことになっているかもしれないが、音咲も命が危うかったのだから、イーブンとしておくことにする。

一通りに綺麗になった夜香を音咲はおんぶした。自宅につれて帰らなければならない。

丁度その時、退避していた荒城が顔を出した。講堂が静かになったので様子を窺いに来たのである。

「すごいな、勝ったのか」

「ああ、我がサドッ気の勝利だ」

「?」

音咲の言葉の意味が分からなかったので、荒城はとりあえず流しておくことにした。

「・・・・そうか、大したものだ。そういえばあの男、会長の話から判断して、捕まえておこうとしたんだが、申し訳ないことに逃げられてしまった。すまん、油断した」

「そうか、わかった、警察に連絡を入れておくようにするよ。俺はこれから会長を家に送り届けてくる。荒城、今日はもう帰るんだろ?」

「そうだな」

「必要なら、家まで付き添ってやってもいいぞ」

「いらんよ、子供じゃないんだから」

「寄り道しないで、まっすぐ家に帰るんだぞ。約束だからな」

音咲は旧校舎を出た所で、夜の闇に消えていく荒城の後ろ姿を見送ってから、夜香を彼女の自宅へと運んでいった。

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