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青春と惨劇  作者: OTASAN
4/11

4話目

音咲なずなは夜間外出の件に関して本堂夜香を諌めることは出来ない。

彼もまた、夜な夜な散策を続けているので、他人にとやかく言える立場にないのだ。

音咲は未だに目的を達成することが出来ていない。

事件の発生は続いており、被害は拡大している。

この間などは若者達が屯する娯楽場が何者かによって襲撃されるという事件が起こった。

多数の犠牲者が出ており、その遺体の有様はこれまでの事件と似通っていた。

現場から命辛々逃げ出した生存者もいたのだが、犯人の姿を目撃した者は誰もいない。生存者から得られた、唯一の目撃証言はというと

「歪んだ人間が宙を飛んでいた」

という、酷く現実離れしたものであった。

警察はこの証言を黙殺した。

現場である娯楽場から覚醒剤を使用した痕跡が見つかったのである。警察は生存者が覚醒剤によって幻覚を見たのだと判断したのだ。

そして警察は一連の犯行がストリートギャング同士による抗争が原因であるという見解を示した。

最初の犠牲者である中路二郎はストリートギャングの元締めであった。その後の犠牲者もギャングの構成員である者が多かった。

そして襲われた娯楽場はストリートギャングの溜り場でもあったのだ。

この争いにはギャングだけでなく、その背後にいる暴力団も介入しており、そのため死傷者が多数出るまでに激化している。

抗争によってギャングは凶悪化しており、そのため不幸にも無関係な一般人までもが巻き込まれて犠牲者となってしまっている、これが警察の考えであった。

警察は市民に対しての警告を厳しくし、夜間外出禁止だけでなく、日中でも単独行動は避け、人気の無い場所には行かないよう呼び掛けた。

そして諸悪の根源と思われるギャングと暴力団に対しての取締りを強化していった。

しかし警察の努力も空しく、事件は発生し続け、収まることは無かった。

ネット上ではこの事件に関しての掲示板が、滑稽な見解によって、盛り上がりを見せていた。

曰く、タチの悪いギャングが主に狙われていることから、これは正義のヒーローの仕業である。ヒーローがそのスーパーパワーを持ってして悪を懲らしめているのである。

だから皆、ヒーローに協力するために悪人の情報を提供し、裁いて貰おうではないか。

掲示板には様々な人物の顔写真がアップされ、その悪行が書き綴られていた。

それは、幼児誘拐で指名手配されている凶悪犯であったり、看守を殺害して刑務所から逃げた脱獄囚であったり、非道な暴力団の幹部であったり、麻薬をばら撒くチンピラであったり、外国マフィアのドンであったり、無差別テロのリーダーであったり、会社の上司であったり、自分の親であったり、終いには、この国の政治家の選挙用顔写真が掲示されているのであった。



本日は学校が半日の日であった。授業が午前中だけで終了となる。

音咲は、オオノトモハルの乱に関して相談したいことがある、と夜香に言って、夕方、彼女の自宅を訪れるという約束を取り付けた。

その後、すぐに夜空の下へ行き、一緒に夜香の家に遊びに行こうと誘った。

この前、音咲は夜香から夜空に関して、怖いとかなんとか意味深なことを言われたのだが、とりあえず省みないことにして、またしても姉妹の仲を取り持つべく、お節介をしようというのである。

夜空は散々渋ったが、音咲に諭され、結局行くことを決心した。

玄関に立つ音咲と恐縮している夜空の姿を目にした夜香は、騙された、と表情を強張らせていた。

拒否するようであれば、音咲は押して通るつもりであったが、夜香は嘆息し、大人しく二人を宅内へと招き入れた。

夜香は一戸建てに一人で住んでいる。両親は数年前に事故で他界したそうだ。当然ながら夜香の両親は夜空の両親ことでもある。

音咲は両手に食材の入ったビニール袋をぶら下げており、それを夜香宅の台所に、どかりと置いた。食事を作って皆で食べようという魂胆である。

「誰が作るの?」

夜香からジト目で睨まれながら尋ねられると、音咲は胸を張った。

「無論自分がやらせて頂きます。これでも料理はそれなりに出来ますので。会長たちは居間で茶でも啜っていてくだい。エプロンか割烹着、貸してもらってもいいですか?」

音咲は志願したのだが、料理は夜香が行う事となった。

音咲が台所に立つと、夜香は夜空と二人っきりになってしまう、そのことに敏感にも彼女は気付いたのだった。

それが音咲の目論見でもあったので、残念ながら当てが外れてしまった。

音咲は夜香に調理場を譲って居間に腰を下ろした。

食卓を挟んだ向かいに、緊張した面持ちの夜空が正座していた。

「それで、何を作ればいいのかしら」

台所からエプロンを装着しながら夜香が顔を出す。

音咲は視神経に力を込めて、夜香のエプロン姿を脳内ギャラリーに焼き付けた。

この姉妹に関するギャラリーは結構な枚数に達している。

「材料は適当に買ってきましたので、自由にしちゃってください」

「リクエストはある?、食材さえ間に合えば何でも作ってあげるわよ」

「・・・食材さえ・・・間に合えば・・・なんでも・・・ですか・・・」

音咲はその言葉を深く噛み締めるように呟いた。

腕を組み、目を瞑ってゴゴゴゴゴと地響きを誘発しそうなほど唸り出す。

そして両眼を、くわっと見開き、音咲は言い放った。

「では、姉妹丼をお願いします」

姉と妹、間違いなく食材はこの場に揃っているはずだ。

夜香の音咲を見る目が非常に冷たい。音咲は手足が悴んでいくのを覚えた。体の震えが止まらない、凍え死んでしまいそうだ。

夜空は訝しそうに首を傾げている。姉妹丼の意味する所が全く理解できていないようだ。

夜香の底冷えする視線を浴び続けながらも、音咲の心は折れなかった。

音咲の、『やらなくてもいい時に、負けると分かっている戦いをしてしまうスピリット』に火が点いてしまったのだ。

これはすべてを擲ってでも挑む価値のある戦いである。

音咲は我を貫いた。すると驚くべきことに、なんと夜香の方が折れてしまったのだ。

確実に負けると思っていたのに、勝ってしまったのである。

夜香は軽く嘆息し、視線を夜空に移した。

「協力しなさい、音咲君は姉妹丼を御所望よ」

「えっ?、はっ、はい!」

訳も分からず、姉の言うが儘に夜空は席を立とうとする。

途端に音咲は負い目を感じた。

心残りはあるが、何も知らない初な夜空を巻き込むのは、流石に忍びない。

「会長、待ってください。やはり具は姉だけでいいです」

「そう、わかった。ではすぐ準備に取り掛かるわね」

そう言って、夜香の姿は台所に消えた。

ようやく夜空が遣り取りの如何わしさに感付いて顔を赤らめる。

「仲がよいのは結構だと思いますが、そういったことは二人きりの時だけにして頂きたいです」

結局、何を作るのかは夜香が独断で決めることになった。

夜香は袋から食材を取り出してみる。出てきたのは、じゃがいも・玉葱・人参・マッシュルーム・鶏肉・小麦粉・牛乳・コンソメ・バター・生クリーム、そして最後に出てきたのはシチューの素であった。

「これって完全にシチューを作れってことよね」

適当に買ってきたと言いながら、音咲は夜空のリクエストを聞き、それに合わせた食材を揃えたのであった。

夜香は奇をてらって、全く別の料理を作ることも考えたが、持て成しの心で、やはり客人の意向を汲み取ることにした。

材料はあるのでシチューの素は使わずにルーを作ることにする。

台所から小気味好く、トントンとまな板を叩く音が聞こえてきている。

どうやら夜香が料理を開始したようだ。

音咲は居間で頬杖をつき、のんびりとしていた。

一方夜空はというと忙しなく周囲を見回している。

「落ち着かないねー」

音咲が声をかけると、夜空ははにかんだ。

「色々と懐かしくて。私も昔、姉さんと一緒にこの家に住んでいたものですから」

「へー、そうなんだ」

初耳であった。

音咲は、なんやかんやこの姉妹に干渉しているのだが、内情をあまり知らない。踏み込むべきではないのかもしれないが、ここまで手を出しておいて今更という感もある。

料理が出来上がるまで、まだ時間が掛かるだろう。

音咲はいい機会なので、聞ける範囲内で事情を聞いてみようと思った。

しかし音咲よりも夜空の方が先に質問をしてきた。

「あのー、付かぬ事を窺ってもよろしいでしょうか?」

「ん?、何?」

「その・・・音咲先輩は、姉さんと、その・・・お付き合いしているのでしょうか?」

「どうして、そう思うの」

「これまでの二人の関係を見ていて何となく・・・。それに先ほどのような遣り取りは、単に友達として仲が好いというだけでは有り得ないと思いまして」

「うーん、内密にしろと言われているのだけど、まあ、夜空ちゃんならいいか。仰る通り、会長とお付き合いさせて頂いている」

音咲と夜香は一応恋人関係にある。

しかしその関係を、外部に漏らすことを夜香は禁じていた。

理由はというと、生徒会内で議論を行う時、特定の二人に私的な関係があると知れると他の三人に余計な偏見を抱かせることになり、会議の精度が失われることに繋がる。

これが夜香の言い分であった。

よって二人は付き合っていることを周囲に隠している。

「告白してきたのは会長の方からなんだぜ」

「えっ!、そうなんですか!」

音咲の自慢気な発言の意外さに、夜空は目を丸くしていた。

これまでひた隠しにしてきた反動のためか、音咲は聞かれてもいないのに、夜香との馴れ初めを語り始めてしまった。

音咲が夜香と付き合い始めたのは文化祭が行われる少し前である。

切欠となった場所は八重高の旧校舎であった。

先にも述べたように、八重高は歴史ある学校で、老朽化のため使用されていない旧校舎が存在している。取り壊し予定になっているのだが、予算の関係で作業の延期が続いており、倒壊する危険性があるため、立ち入り禁止となっていた。

その日、文化祭の準備に追われていた音咲は下校する時間が遅くなってしまった。

日は既に沈み、外には夜の帳が下りてきていた。

他の生徒会役員は既に帰宅しており、音咲が最後であった。早く帰るために音咲は正門からではなく、学校の裏から出て近道をすることを思い立った。

禁止されていることなので、音咲はこっそりと事に及ぶ。

学内の裏側へ向うと必然的に旧校舎の傍を通過することになる。

音咲は夜の旧校舎を見上げた。それはただただ不気味であった。

旧校舎に幽霊が出現するという噂がある。真偽のほどは定かではないが、こんな気味の悪い佇まいを晒していれば、そのような噂が真しやかに囁かれるのは当然の流れであろう。

音咲が家路を急ごうとすると、唐突に旧校舎の内部から轟音が轟いてきた。

遠雷のような音であった。何事かと旧校舎を振り向く。

轟音はさらに、二度三度と響いてきた。

普通なら慄いて逃げ出すか、職員室に異変を伝えに行くのだが、音咲は、これは一人で中に入ってしまえというネタフリに違いないと感じてしまった。

振られたからには乗らねばならぬ、それこそが音咲なずなの生き方である、と旧校舎の内部に侵入してしまう。

扉の鍵が壊れていたので入るのは容易であった。

長い間、手入れされていない校内は荒れ果てていた。

窓ガラスが割れ散乱しており、天井の板が捲れて垂れ下がっている。教室内には打ち捨てられた机や椅子が無残に横たわっていた。

勿論、照明は無いので窓から差し込む僅かな外灯の明かりだけが頼りであった。

例の音は止んでおり、内部は静まり返っている。

音咲は奥へと進んでいく。足音は殺していくようにした。

奥に進めば進むほど明かりは欠しくなっていき、周囲の状況が判然としなくなってくる。

足元も闇に閉ざされて覚束無くなってきた頃、音咲は前方に人影を発見した。

人影はゆらゆらと廊下を彷徨っていた。

「不審者か、はたまたこんな御時世だからテロリストかもしれん」

確認するため、音咲は身を屈め、意気を潜めて接近した。接近する毎に音咲は違和感を感じ始めていた。

「おいおい、頭が無いぞ。首無しか」

ほっそりした白い手足と体の輪郭ぼんやりと見えるのだが、頭があるはずの部分は闇で塗り潰されている。

これは幽霊の線が強くなってきたようだ。

音咲は白黒はっきりさせるために、対象を捕まえてみることにした。

もし本当に幽霊なら実体が無いはずなので、テレビなどでよくやっている、あのスカッという現象を体験することになる。

至近距離まで近づいても対象の動きに変化は無かった。頭が無いから、周囲の状況を認識する能力が無いのかもしれないと音咲は変に落ち着いて分析した後、一気に飛び掛った。

「きゃひん!」

途端に静かな廊下に女性の悲鳴が響いた。

音咲は確固として存在している肉の感触を感じていた。特に両手からは未だ嘗て無い前代未聞の心地よい手触りが伝わってきている。

顔にはサラサラとして滑らかなものが被さっていた。とても感触がよく、上品な芳香がする。それは人の髪の毛であった。

そっと音咲が面を上げてみた。肩越しに背後を振り返っている顔が見えた。

それは頬を朱に染めた夜香会長の顔であった。

音咲は背後から夜香を抱きしめていたのである。しかも両手は夜香の乳房を鷲摑みにしている。気持ちよい手触りの正体はこれだったのだ。

頭が無いように見えたのは、夜香の黒髪が夜闇に溶け込んでしまい、それを背後から音咲は目撃したため、首無しに思えてしまったのだった。

「・・・・どうも、会長。お晩です」

色々と話し合いが必要な状況であったが、ともあれ音咲はまず挨拶だけでもしておくことにした。

十分後、比較的明るい教室に音咲と夜香は移動していた。

音咲は夜香の目前で正座していた。

旧校舎から不振な物音を聴きつけて、中に入ると怪しい人影がいたので摑まえようとした、夜香を襲おうとした訳ではない、その点は理解してもらえた。

「びっくりしたわ」

「すみません」

「本当にびっくりしたわよ。私『きゃひん』て言ったのよ、空前絶後の可愛らしい声で『きゃひん』て。私にあんな声が出せるなんて、自分で自分に驚いたわ。でもね、今後二度と、この私が『きゃひん』と言うことは無いわ。例え音咲君であっても絶対に無理よ。宣誓してもいいわ、私、本堂夜香は決して『きゃひん』と言いません」

夜香は『きゃひん』に関するコメントを連発した。どうやら、よほど『きゃひん』が恥ずかしかったようである。

とりあえず会長は不意を突くと『きゃひん』と鳴く生物であると、音咲は記憶しておくことにする。

なぜ夜香がこんな場所に一人でいたのかというと、彼女は学校に残っている者がいないか会長として見回りをしていたとのことであった。

文化祭が近くなると、どうしても遅くまで学校にいる生徒が多くなってしまうのである。

しかし、そもそも旧校舎は立ち入り禁止で生徒がいる訳は無いのだから、見回りは無用のはずである。

非常に不可思議な理由であったが、非難されるべき立場にある音咲は、それを指摘する権利が無かった。

さらに夜香は妙な質問をしてきた。

音咲の聞いた遠雷のような音に関してである。音量はどれくらいだったか、音はどこまで響いていたかなど、音咲は尋ねられた。

質疑に応じながらも、音咲は先ほどの出来事に思いを馳せていた。

あの乳鷲摑みは会心の出来であった。初めてのことながら完璧であったと自負できる。再びやろうとしても、再現は困難を極めるであろう。

クロス乳鷲摑みであった。

背後から右乳を右手で、左乳を左手でなどという平凡なものではない。

胸元で両腕がクロスして×を描き、右手は左乳、左手は右乳を捉えたのであった。

両の手の平はまるで下着のように乳房を満遍なく包み込んだ。夜香は肉感的な体付きをしている。指と指の間から溢れそうになる柔肉の触感には堪らないものがあった。

そして驚愕すべきは両手の人差し指と親指がクリティカルヒットで、寸分違わず乳房の先端部を摘まんだということである。

ここまでされれば女傑と呼ばれている、さしもの夜香会長も、あのような艶声を上げざるを得ないであろう。正に絶技であった。

「私を辱めたのだから、責任をとってもらう必要があるわね」

「ははーっ、いかような罰も謹んでお受けする所存。それだけの幸福を味わさせて頂きましたので」

裁かれる罪人のように音咲は地に平伏した。

「では、私と付き合いなさい」

「・・・・はっ?」

音咲は間の抜けた声を出して身を起こした。

「付き合うというのは・・・・外出時のお供をするという意味ですか?」

「違うわ、交際するって意味よ。恋人同士になるってことよ」

音咲は唸って首を捻った。

「会長、すみません。いまいち理解が出来ないのですが・・・」

「音咲君は副会長として、これまで私のために色々と働いてくれたわ。恋人同士になることによって、今度はプライベートでも私のために動いて貰いたいの」

「でしたら、わざわざ交際関係にならなくても、お詫びとして会長のために働きますよ」

「それだと音咲君がかわいそうだわ。さっきの行為も別に悪気があってしたのでは無い訳だし。あっ、もしかして音咲君、例の彼女と、まだ続いているのかしら」

「いえ、大分前に終りました」

「だったら構わないでしょう」

音咲は数秒間黙考して、自分の正直な気持ちを夜香に伝えた。

「会長、自分は会長のことを美人だと思います。すごく綺麗な人だと思っています。しかし、その・・・・、恋愛感情を抱くかというと・・・・全くそういうのは無いのです。というか、自分は感性が子供っぽいからなのかもしれませんが、これまで女性に対して、恋愛感情を持ったことが無いのです。前の彼女とも、それが原因で破綻しました。ですので、そんな自分が会長の恋人になるのは無理だと思います」

音咲に胸の内を明かされ、告白を断られてしまった夜香であったが、彼女は平然としていた。そして夜香は余裕の微笑を浮かべて豪語した。

「愛は無くてもいいわ、愛は無くても子供は出来るもの」

「・・・・会長、自分がとんでもないことを言っていると自覚してます?」

音咲の指摘を黙殺して夜香は言葉を続ける。

「男女関係無しに、人と人との繋がりで最も大切なのは義よ。義を持って相手に接すれば上手くいくし、その内、情も育まれていくものだわ。故に愛が無くても問題無し」

雷に撃たれたように、音咲の体が震えた。

「会長!」

音咲は叫んで立ち上がり、夜香の手をぎゅっと握る。目から鱗が落ちた思いであった。

「会長、かっこいいです。シビれました。こんな自分でよければ、ぜひお付き合いさせてください!」

こうして音咲と夜香の交際は始まったのであった。

音咲が話を終えると、夜空は不満そうな、納得いかないそうな、微妙な表情をしていた。

それもそのはずである。恋愛話であるにも関わらず、夢も憧憬も、一番肝心な愛さえも無いのだから、そんな顔にもなるだろう。

「付き合い始めてから間もなく、残念な事実が発覚したんだ」

「へー、何なのですか」

どうせろくでもないことを言い出すのだろうと思っているようで、夜空の話題に対する食い付きは頗る悪い。しかし音咲はそんなこと一向に気にしない。

「会長の性癖がサドで、俺の性癖もまたサドであったということだ」

予想通り、音咲はどうでもいいことを真剣に語り出した。

夜空は食卓に頭をぶつけたくなった。

「理想のカップルは当然サドとマゾのカップルだ。サドとサド、マゾとマゾだと都合が悪い。しかし絶望することはない。サディズムとマゾヒズムは表裏一体だ。性的嗜好の転向は可能なのだ。それに転向しなくてもサディズムとマゾヒズムを併せ持つサドマゾヒズムという状態もある。サドマゾになれば状況に合わせて色々と楽しめる。ついでに言うと夜空ちゃんは間違いなくマゾだね。被虐性淫乱ってやつだ」

「淫乱言うな」

夜空は、つんとお澄まし顔で正座している。音咲の話に耐えられなくなって心を閉ざしてしまったようだ。

そんな夜空に対して音咲は何か良い事を思い付いたようで両手をポンと打ち鳴らした。

「そうだ、よかったら今度夜空ちゃんに、俺の知っている中で最もサドサドしい男性を紹介してあげるよ」

心は閉ざしていたが、音咲の発言に夜空は飛び上がった。

「止めてください!、嫌です!、絶対に止めてください!」

音咲はこの話題をそろそろお開きにすることにした。なぜかというと台所から包丁を持った夜香が物凄い目付きでこちらを睨んでいたから。

程なくして夜香が出来た料理を居間の食卓に運んできた。

メインはシチュー、添え物は千切りにした大根とキュウリに削り節・マヨネーズ・和風汁をかけたサラダ、主食は白米であった。

奇妙な点があったが、シチューは大変美味であった。白米も上手に炊けていてシチューとよく合い、味を飽きさせないためのサラダも、さっぱりとしていた美味しかった。

三人の中でもっとも体格の小さい夜空が、一番最初にシチューをぺろりと平らげてしまった。

食べ終わった後の夜空は、何か言いたげに、もじもじとしていたが、夜香は無言のまま皿を提げて、御代わりを差し出した。

夜空は小声で感謝を述べて、再びシチューを食べ始めた。結局、もっとも御代わりしたのは夜空であった。体に似合わず健啖家であるようだ。

食事が終る頃には外は暗くなっており、いい時間になっていた。後片付けを申し出た夜空を、夜香は相変わらずのつれない態度で断った。

「必要ないわ、もう帰りなさい。夜は危険よ」

悄然としている夜空を心にとめることも無く、夜香は音咲の方を向いた。

「音咲君、あなたは土に還りなさい」

ぶわっと感情を露にして、音咲は崩れ落ちる。

「安西先生!・・・・現世にいたいです」

音咲と夜空は夜香の自宅を辞した。音咲は夜空を駅まで送って行くことにする。

「ふう、食べ過ぎてしまいました。ちょっと苦しいです」

夜空は満足そうにお腹を摩りながら音咲の横を歩いている。

「今日は来てよかったです。先輩には感謝感謝です」

「そこまで言われるほどの事でもないよ」

音咲としては不満足な結果であった。

せっかく夜香の家に上がったというのに、姉妹に会話らしい会話はほとんど無かった。二人の距離は全く近づいてはいないだろう。

「そんなこと無いです!」

浮かない様子の音咲に、夜空は少し声量を上げて全力で否定した。

「姉さんと別れてから、初めてあの家に入ることが出来ました。それだけでも素敵でした。その上、姉さんの手料理も食べられたのですから、何も言うことはありません」

心底幸せそうなに夜空は微笑んでいる。

「姉さんのシチュー、昔と何一つ変わっていませんでした。私の好み、覚えていてくれたんです」

夜空は姉との昔話を語り始めた。

両親がいなくなってしまった頃、姉は妹のために料理を作っていた。

その時の夜空は偏食であり、人参と玉葱が食べられなかった。そんな妹に、姉はなんとか人参と玉葱を食べさせようと、入念に刻んでシチューに入れてくれた。

それなら夜空も食べることが出来た。

ミキサーは無かったので、野菜を刻むのは手間を要した。玉葱を刻む時など夜香はポロポロと大粒の涙を零しながら作業していたそうである。

夜空は人参・玉葱は嫌いであったが、じゃがいもはホクホクとした食感が好きであった。

夜香はジャガイモを大きめに切って入れてくれた。マッシュルームも食感と形が好きであったので、スライスせずにそのままで入れてくれた。

夜空の話を聞いて、音咲はあの奇妙なシチューの意味を理解した。具のサイズがあまりにも偏ったシチュー、あれは妹を気遣って調理されたものだったのだ。

「でも私、好き嫌いは克服したんです。姉さんはそれを知らないんですね。当たり前ですけど、さびしいです」

夜空は俯き、その表情が翳る。しばしの沈黙。

「でも、それももうすぐお終いです」

夜空は不意に顔を上げ、妙に明るく、吹っ切れた表情をして振り向いた。

「姉さんが、なぜ私を遠ざけるのか、なぜ私を拒むのか。姉さんの考えていることの見当はついています。姉妹ですから。私たちの蟠りの原因、あれさえ排除すれば元に戻れるんです。だから急がないと、いつまでもこんなんじゃ駄目です。悲し過ぎます」

なにやら急に剣呑な気配が漂いだしたので、特に意味は無いが、音咲は手で空気を扇いで追い払う仕草をした。

「そのわだかまりとやら、是非俺も知りたいなぁ」

何気ない自然な風を装って音咲は尋ねる。

「ごめんなさい、それは言えないです」

申し訳なさそうにしながらも、夜空の返事はいつもと同じだった。

音咲は姉妹の仲を取り持とうとしている。しかし、今日のように上手くいっていない。思わしい結果が得られない理由を音咲は十分に理解している。

姉妹の不仲な原因が不明だからである。聞いても教えてくれない。

夜香ならまだしも、いつもはとても素直な夜空でさえ、この件に関しては頑なに口を閉ざしてしまうのである。

お互いが嫌いだからということは決してない。

夜空は明らかに姉を慕っているし、夜香も態度では夜空を拒絶しているが、今日や以前の出来事のように、節々に妹に対しての深い愛情が見て取れる。

やはり止むに止まれぬ事情があるのであろう。

「先輩には私たち姉妹、本当に色々とお世話になっています。ですけど、これは私たちだけの問題なんです。他の人を関わらせたくないんです。災いを撒き散らす訳にはいきません」

夜空の言葉尻には音咲への拒絶が、ありありと滲み出ていた。

音咲は夜空を駅まで送っていった。夜空の姿が改札の向こう消えた途端、タイミングを計ったように携帯電話が鳴り出す。

相手は夜香であった。

〝あの子はもう帰った?〟

「丁度今別れたところです」

〝そう・・・、あのね音咲君、あなたに言っておきたいことがあるの〟

受話器から聞こえてくる夜香の声色は平坦である。

交際を始めたのは数ヶ月前であるが、会長と副会長の関係になったのは一年以上前である。付き合いもそれなりに長い、だから音咲は気付いた。

この声色は夜香が真剣に怒っている時のものだ。

これは真面目に応対せねば、後々とんでもないことになりかねない。

「なんでございましょうか」

〝もうこんな真似は二度としないで貰いたいの。私はあの子に、家に来てもらいたくないのよ、絶対に〟

「・・・・すみません」

謀って夜空を連れて行ったことが夜香的には大変不味いことであったらしい。

音咲にも言い分はあるが、騙したことは確かなので謝るしかない。

〝音咲君、この際だから私の胸の内を正直に話してあげる。あなたが察している通り、私は妹の事が好きだわ、いえ大好きだわ。愛妹よ〟

「愛妹ですか」

言葉の響きがよかったので、音咲は鸚鵡返しする。

〝けれども今は一緒に居られない、居てはならない理由があるの。でも、あと少しでそれも解消させるわ〟

「なんだかついさっき、聞いたような言い回しですね。あっいえ、何でもありません。こちらのことです」

〝すべてが終ったなら、私は自分からあの子の手を取りに行くわ。だから余計なことはしないで、約束して〟

「わかりました。でも会長、どうしても自分に事情は教えてもらえないのですか。一応自分は会長と恋人関係にあるのですから。助けが必要なら手を貸しますよ」

〝音咲君、私たち付き合う時、あなたにプライベートでも私の為に働いてくれって言ったわよね?〟

「はい、言いました。今の所、何も要求されていませんが」

〝だからこれが最初で最後のお願い、詮索しないで。これだけ聞き入れてくれれば、後は何も求めないから〟

そこで電話は切られてしまった。妹と同様に、姉もまた音咲の干渉を拒絶した。

音咲は通話時間の表示された液晶画面を溜め息と共に閉じる。心も頭も晴れ晴れとしないので、音咲は家に帰らず、時間は早いが、このまま少し夜の散歩をすることにした。



夜更け前、夜香の自宅を窺う人影があった。

人影は家の周りをぐるぐると何度も回って、中の様子をしきりに窺っている。

家に明かりは灯っていなかった。

不在なのか、それとも、もう就寝してしまったのだろうか。

せっかく、また会いに来たというのに。

追い出されはしたものの、ここは自分の家でもあるのだから、勝手に入っても構わないはずである。

もし家の中に夜香が居れば、その時はその時だし、不在なら待たせてもらってもいい。しかし待ちぼうけを喰らうのは嫌であった。

逡巡していると道の向こうから、パトカーが赤色灯を光らせながらゆっくりと走ってきた。人影は素早く物陰に隠れる。

おそらくパトロールだろう。すぐに通り過ぎていくはずである。

しかしパトカーは途中で停車し、中から懐中電灯を手にした警察官が降りてきた。

もしかしたら近隣の住人に自分の姿を目撃され、警察を呼ばれたのかもしれない、

そう思った人影は、口惜しいが、この場から引き上げることにした。

目的を果たせなかった代わりに、どこかでまた適当な獲物を狩って、憂さを晴らすことにする。

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