1話目
俺は変人である。自覚ある奇人である。
俺の名前は音咲なずな、高校二年生だ。俺の性質は常人とかけ離れている。故に、そのため、俺は今、極めて危機的な状況に追い込まれていた。
俺は夜の散歩を嗜好している。昼ではない、夜だ。
なぜ夜かというと、空気が澄んでいるからだ。日が沈むと人々の喧騒が静まり、植物は光合成を止めて、呼吸を中心に行うようになる。
植物には空気を浄化する作用がある。夜が深まれば深まるほど空気は浄化が進み、綺麗に透き通っていく。
空気がベストの状態は深夜二時ぐらいであると俺は考えている。
理想としては、その時間帯に散歩をしたいのだが、翌日に学校があったりするので無理な話だ。だから俺は午前零時より少し手前の時間帯を狙って散歩をしている。
しかしその時間でも高校二年生が外出するにしては不適切な時間だ。見回りしている警察に見つかれば間違いなくパクられる。
よって、散策コースは必然的に人気のない所、人目の付かない所になる。はっきりいって物騒な場所ばかり通ることになるのだが、これまで一度もトラブルに巻き込まれるようなことは無かった。
しかし今日は違った。
いつもの散歩コースである裏路地の奥からくぐもった悲鳴が聞こえた。
路地は光が欠しく、肉眼では何が起こっているのか確認することは出来ない。明らかにやばい雰囲気が漂ってきている。
普通なら引き返すべきなのだが、俺は進むことにした。なぜなら俺は、性質が一般人とは大きく異なる変人だから。
因みに俺は空気が読めないのではない、敏感に空気を読んだ上で、ありえない選択肢を敢えて選んでしまうだけである。
チカチカと、切れかかった街頭に照らされて、路地の少し開けた場所にいる二人の人物が目に入った。
一人はこちらに背中を向けて立っている。もう一人は男性で背中を向けている人物と相対し、跪いている。
最初は単なるストリートギャング同士の喧嘩かと思った。
この辺りのギャングは非常に凶暴である。ほとんど暴力団予備軍だ。一見平和に見えるこの街も、警察の目の届かない裏では、彼らがのさばっていたりする。
故に、人気の無い場所で揉め事や殴り合い、リンチが行われていても、それほど驚くことではないのだ。
だが、不意に非現実的な出来事が起こったことによって、その場面は驚愕すべきものへと変貌を遂げた。
跪いていた男の左腕が引張られた。人の業とは思えないほどの物凄い力で。左腕が体から引っこ抜かれそうになっている。
いや、もっと酷い。左腕だけでなく、左肩から左胸までが引き千切られそうになっている。骨が外れ、筋肉繊維は切れ、体は不恰好に歪んでいる。
皮膚は裂けて皮下組織が露出し、血が浮かび上がって衣服を赤く染めていた。
そんなことをされた男が平気なわけは無い。男は絶叫を上げていた。
不思議なことに音は出ていない。空気が漏れるような掠れ声が聞こえてくるだけである。
どうやら男は声帯を潰されているようだった。
野蛮な時代の拷問以上の惨たらしい光景が展開されている。
これは明らかに悲鳴を上げて逃げ去る場面である。
しかし俺は、そうはしなかった。
見知った人物がいたので俺は声をかけてしまったのである。
男の体を千切ろうしていた人物がこちらを振り返った。
異様な目が俺の姿を捉える。
不可思議な瞳であった。
人間的な感情が一切欠落しているにも関わらず、激しい衝動を内包してギラついているのだ。
口元は三日月形を成していた。笑っているのだが、俺にはそれが笑みとは感じられなかった。
笑みは通常、相手に好感を与えるが、それが俺に与えたのは禍々しさだけであったから。
俺は襲撃された。
「挨拶も無しに、いきなり襲ってくるとは。お前は『蒙古襲来』か!」
今の表現は会心であると内心で自画自賛する。歴史的観点から見ても正しい。
とりあえず俺は逃走する。
危ないだろうということは路地を進む途中から判っていたことなので、いつでも逃げ出させる心構えと体勢にはちゃんとしておいたのである。
全力で走る俺の背後に何かが飛来する。
それはプロパンガスボンベであった。大の大人が台車を使って運ぶほどの大きさと重量のあるものが一直線に俺目掛けて飛んできたのである。
幸いにもボンベは外れ、ブロック塀に激突して、コンクリート片を飛散させる。
次に飛んできたのは捻じ切られた交通標識であった。先が尖っているので、正に槍である。串刺しにされそうになったがどうにかかわした。
排水溝に被せてあった厚い鉄板がフリスビーの如く、拘束回転しながら空中を滑ってくる。無論受け取って、ヘイパス!、と言いながら投げ返すのは無理なので避けた。
人の力では到底動かすことも叶わないはずのものが、矢継早に宙を舞って来る。実に非現実的だ。どれもこれも一撃で俺に致命傷を与える威力を持っていた。
俺は当たらないようにジグザグに走って逃げ続けた。
間もなく攻撃は収まった。
俺は振り返り、後ろ走りを続けながら闇に閉ざされた路地奥を見詰めた。
もう二人の姿を目視することは出来ない。
徒ならぬ事態に巻き込まれ、その上殺されそうになったのだから、ここはとっとと逃げろよ、という状況なのだが、そこは俺だ。俺は足を止めてとどまった。
荒くなっていた呼吸を整えながら様子を窺う。
何も見えないが、音だけは聞こえてきた。
後で聞かなければよかったと後悔する結果になるのだが、俺は耳を澄ましてしまった。
プチプチミチミチという音、何の音かを推測するのは容易かった。
人体が裂かれる音であった。
音に呻き声が混じる。この混合音はしばらく耳朶にこびりついて離れることはないだろう。
生きたまま千切られる苦痛はどれほどのものだろうか、想像出来ない。
そしてザリッと一際大きな音がした後、あたりは急に静かになった。もう俺の聴覚が捉えているのは遠くから響いてくる自動車のエンジン音だけとなる。
放物線を描いて何かがこちらに飛んできた。それは液体を撒き散らしながら、俺の十メートルほど前方で水っぽい音を立てて地面に落ちる。
暗闇のため詳細は視認できないが、おぼろげな輪郭までは確認することができた。
それは人間だった。
おそらくあの男性だろう。男性は最初に見た時と比べて三分の一程度の大きさに減っていた。流石の俺も、接近して検分する気持ちは起こらなかった。




