1人目
受話器を片手に資料を眺める職員、カチカチとパソコンを弄る職員。
そんな中、天音は小さな手で黙々と資料作りに励んでいた。液晶画面を真剣に見つめる顔は、働くにはまだ早い中学1年生の幼いものである。
天音は唐突に天を仰いで、横で仕事をしている下がり目の新人に話しかけた。
「桐埼くん、1月の来客者数資料出来たよ」
「え、まだ5分しか経っていませんよ!? 20ページはありましたよね……」
桐埼が素っ頓狂な顔を向けてきた。天音は長年の努力により資料作りのスピードが人の域を超えていた。
後輩が驚いてくれて、天音は微笑んだ。
桐埼の視線が天音の先に向けられた。
「先輩、お客様が来ていますよ」
見ると、廊下と作業場を隔てる受付カウンターに、四角い眼鏡を掛けた女性が姿勢よく立っていた。セーラー服を着ている――高校生だろうか。
待たせてはいけないので、流れるように受付カウンターに移動した。
こちらが挨拶をすると、女性はにっこりと微笑む。ついさっき自殺したとは思えなかった。
女性は甘い声で話した。
「こんにちは。職場体験かな?」
「いえ、90歳の職員です。それで、何故自殺なされたんですか?」
女性は首を傾げた。暫くして得心が行ったような顔になった。
天音が90歳と嘘を言っていると思ったか、ここが死後の世界だから、こんなこともあると思ったか。
どちらにしても関係なかった。
女性は、はっとした。
「あ、自殺の話だったね。簡単に言うと、周りの人たちに死ねと言われたからだよ」
少女は世間話をするように淡々と述べた。
天音は目の色を一切変えず、口を開く。
「死ねと言われて、どう感じましたか?」
「作品をよりよくできるチャンスができて嬉しかったよ」
「……嬉しかった……ですか」
自分への評価の一斉を他人に任せているということか。しかも曇りがない笑顔で肯定できるほどに。
『処理』が大変になりそうだった。
「これで手続きは終了です。こちらですることがありますので、暫くここでお待ちください」
「はい」
背後で事務作業を行っている日本担当部の人達を天音は見やる。
長机に12人の職員がパソコンや紙と向き合っていた。教育すべき新人は桐埼だけのようだ。
「桐埼くん。『処理』に向かうからついて来て」
桐埼はパソコンから目を離さない。
暫くして、彼は辺りをキョロキョロ見始めた。
そして最後に天音で目線が止まる。
「俺ですか? 『処理』したことないんですが」
「だからこそだよ。ほら、忙しいんだから早く立って」
「は、はい」
天音と桐埼はある扉の前で止まった。施設の一番後ろにある赤い扉。
天音は、手に持った書類を確認して、扉横にある14インチほどの液晶画面を弄る。
「桐埼くん見ててよ。まずはお客様が住んでいる住所を入力」
「はい。……なんでですか」
噓でしょ。『処理』の意味がわからずに仕事していたの? ケーキの苺を食べないのと同義だよ。
天音は奇異なものを見たような表情で、桐埼に振り返る。
「過去に赴いて自殺を止めるんだよ」
「え、そんな事したら未来が……」
「いいえ、各ごとに世界が作られるから、この世界では死んだまま」
桐埼は少しの間フリーズした。
「で、住所を入力後、赴きたい年月日を設定して。……準備が完了したから、先ほどのお客様を呼んできて」
「はい」
桐埼は眉間に皺を寄せながら、去っていった。お客様を呼ぶ理由がわからないのだろう。
「呼んできました」
「お客様。お待ちして頂いて申し訳ありません。こちらのドアをお開け下さい」
「はい」
お客様――少女は、ゆったりとした動作で真紅の扉を押し開けた。
瞬間、彼女は消えて、それを見た桐埼が口をあんぐりと開けている。
「き、消えた? 何が起きた?」
「お客様の魂を新しい世界に移動させた」
桐埼は首を傾げる。
いざ説明するとなると、案外難しいな。何十年もこの仕事をやっているのに。
「自殺者の魂は、天国にも地獄にも行けない。だから、何かしらの方法で魂を導く必要があるよね? それが今やっている仕事だよ」
「うーん。それって良いこと、なんですよね?」
「仕事だよ」
「答えになって――」
「さぁ、参りましょう」
仕事は仕事だ。天音は、桐埼の背中を両手で突き飛ばして、扉を潜らせるのであった。
燃えるような暑さと眩い光の中、セミが一生懸命鳴いている。
目の前には、表札と、どす黒い扉があった。
桐埼を見ると、目を瞬かせている。新鮮な反応が面白い。
これは教え甲斐がありそうだった。
「桐埼くん。お客様はこう言った。周りの人に死ねと言われたから自殺したと。で、私たちは自殺を止めるために、お客様の家にいる。なぜだと思う?」
桐埼はうーんと唸ってから、はっとした顔になる。
「家族に死ねと言われたから」
「ハズレ。桐埼くんは家族に死ねと言われたら死ぬの?」
桐埼が気まずそうに首を振った。プライバシーのない質問だったかも。反省。
「死ねと言われて死んでしまう心が問題なんだ。そして心に悪影響を一番与えやすいのは、長い時間一緒にいる家族だ。だから私たちはここに来た」
「なるほど」
桐埼は感心したように何度も頷く。
先輩らしいところを見せれて、天音は満足だ。
「先輩、これが仕事ですか? 犯罪の間違いでは?」
桐埼と天音は、庭の茂みに隠れて、リビングを監視していた。
網戸越しに、お客様がテーブルの椅子に座っているのが伺える。
「仕事は、仕事。それ以上でもそれ以下でもない」
「かっこつけても意味ないです」
天音は少しイラっときた。桐埼って意外と生意気だな。
刹那、甲高い怒鳴り声が空気を揺らした。リビングからである。
「そこで何してるの!? 勉強は!?」
お客様の手からコップが滑り落ちて、中身を床にぶちまけた。
「お茶飲みに来ただけ……」
窓の右端から母親らしき人物が現れて、お客様の両頬を両手でガシリと掴んだ。
そして、お客様の瞳を覗き込む。
「目覚めなさい!」
「え」
「目覚めなさい! 目覚めるんだ! 目覚めろって! めざ――」
母親は狂った信者のように、催眠じみた言葉を連呼した。
お客様は肩を窄めて固まっている。
自分がお客様の立場だと思うと、天音は頭が痛くなった。
例えるなら、今の自分が悪霊だと決めつけられて、それを祓おうと必死に呼びかける母親を自分が眺める残酷さ。自分の存在を母親に否定されたのだ。
おかしくなるのも当然だった。
天音はいつも通りの調子で、桐埼に小声で問うた。
「桐埼くん。お客様には何が必要だと思う?」
桐埼は青ざめ、目を見開いているだけだった。こりゃだめだ。
とにかく、お客様には自分を認めてくれる存在が必要だろう。
接触方法はどうしようか
「桐埼くん。私、中学生になろうと思う」
母親の実に真剣そうな大声は、湿った空気によく響いた。
天音は中学校2年生クラスの入口に立っていた。四角い黒縁眼鏡をかけている。カメラとマイク、スピーカーをつけるためだ。桐埼は研修のため、液晶画面越しにこの景色を眺めている。
天音の口の端は上がっていた。天音が死んだのが中学1年生丁度だったので、2年生になれたこと事体が嬉しいのだ。まるで人生を歩んでいるようで。
「先輩、何一人で笑ってるんですか?」
「何でもないです」
扉の先から、先生の籠った声がした。
「正道さん、入ってきて」
「はい」
扉をスライドすると、生徒の目線が一斉に突き刺さった。みんな天音と同じくらいの身長だ。死んだ時から姿形が変わっていないから、当たり前か。
一人だけ、目が合わない生徒がいた。お客様である。目が虚ろで、下を向いている。けど、普通よりだいぶマシだろう。死を肯定してはいない。
天音は教卓に立って、クラスの静寂を破る。
「正道天音といいます。趣味は……」
天音は言葉に詰まった。
将棋って古いのか? 今の子たちって何が好きなんだ?
最近の自殺者は、SNSやゲームが原因で自殺していたっけ。
「SNSとゲームです。よろしくお願いします」
お辞儀をすると、拍手が起きた。お客様は下を向いたままである。
「正道さんの席はあそこです。新しいクラスで緊張するかもだけど、がんばってね」
「はい」
先生が指した席は、窓際の一番後ろの席で、お客様の隣だった。仕事がやりやすくて、かなり助かる。
ホームルームが終わると、クラスの女子たちが天音のもとに群がってきた。仕事をしたいのに、360度囲まれて逃げ道がない。
「正道さん家どこー?」
「沖縄だよ」
「へぇ――」
適当に受け答えしていると、チャイムが鳴り、先生が部屋に入ってくる。
周りの女子たちは蜘蛛の子を散らすように席に座りだした。ここは昔と変わらないなー。
国語の授業に夢中になっていると、チャイムが鳴った。仕事のことをすっかり忘れていた。職務放棄という言葉が思考を過る。
これを桐埼に見られていたかと思うと、顔が赤くなった。
隣のお客様は死んだ魚の目で青空に浮かぶ雲を眺めている。今にも羽ばたいて逝きそうだ。
何かをしなければ。そう思い、お客様の机に歩み寄る。
机上で開かれたノートに目がいった。そこには平均より綺麗な字で板書がなされている。
これだ。
「字、綺麗だね」
油が足りない機械のように、首をこちらに向けてきた。
「……母さんに言われたので」
地雷だったかー。天音は天を仰いだ。
一体どうすれば、彼女の心は開くんだろう。
桐埼に聞いてみるか……。何かいい案が出るかもしれない。
天音は充実した学校生活を送っていると、既に教室がオレンジ色に染まり、ランドセルを背負った生徒たちが次々と退出していた。まずい、何もできなかった。
机の木目と睨めっこしているお客様に、天音は明るい声で尋ねた。
「一緒に帰ろう?」
魂が無い人形のように、お客様はピクリとも動かない。すると思い出したかのように。
「……うん、いいよ」
学校を出ると、あまりの眩しさに目を細めてしまう。車や窓に夕日が反射して、帰りの時刻を示唆していた。今日までに、お客様の意志を何としても強くしたい。手こずっているところを後輩に見られたら、先輩の面子が丸潰れだから。
前を見ながら、天音は口火を切った。
「なんで貴方は自分が無いの? お母さんに言われた通りに生きていて、まるで人形じゃない」
「人形じゃない! 『良い人』よ!」
お客様は大声で怒鳴った。肩を大きく上下させて、眉間に皺を寄せている。良いところを後輩に見せたいあまり、天音は冷静さを欠いていた。
お客様は、はっとして。
「ご、ごめ――」
言い終わる前に、天音は暗闇へ攫われた。
天音は見上げると、桐埼が悪魔のように口を歪めてこちらを見下げていた。結局、後輩の手を借りることになってしまって、情けない限りだ。
それにしても、誘拐犯の演技が上手いな。本物みたいだ。
天音はお客様に顔を向けて、必死に助けを乞うた。
だが、お客様はへたり込んで、目を魚のように見開いている。ああ、やりすぎたかもしれない。
お客様は手探りで、ランドセル横の紐を引っ張った。
瞬間、けたたましい警告音が辺りを支配する。
誘拐犯は及び腰になり、天音から手を放して逃げていった。逃げるタイミングも完璧だ。後で褒めよう。
天音は背後からお客様に抱き付かれた。顔は見えないが、嗚咽塗れの泣声が聞こえる。
「助けてくれてありがとう。誘拐犯を撃退しろってお母さんに言われてたの?」
お客様は息苦しそうに笑って、
「そんなわけないじゃん」
「桐埼くん。初『処理』おつかれさま。初めてにしては上々だったよ」
天音が褒めても、桐埼の顔は曇っていた。
え、なんで? 先輩から褒められたら、普通嬉しいだろ。
「先輩、これだけで自殺しなくなるんですか?」
「あ、……そういう時は」
天音はランドセルを下して、中からタブレットを取り出す。
それを弄って、画面を桐埼に向けた。
「これでミッション完了かどうかが、あらすじ感覚で分かるよ」
「はよ死ねよ」
「この世界で生きる価値、お前に無いから」
周りの人達は私にそうして欲しいらしい。
屋上から飛び降りようと、片足を踏み出したとき、ふと少女の声を思い出した。
『誘拐犯を撃退しろってお母さんに言われたの?』
私は寸でのところで踏み止まった。あのとき、私は自分の意志で行動する喜びを感じた。
今、私は何を望んでいる?
みんなに死んで欲しい。
何故?
人がいなければ、私を評価できないから。
路上で発狂したとしても、私が私を天才だと思えば、私は天才だから。
私はそんな世界を作りたい。
否、作ろう。
数十年後。
某国の核施設でテロを起こし、制圧ないし占拠。世界中に核をばら撒き、数億人が死亡した。
ばら撒かれた国は、自国の死者数を看過できず、某国に報復攻撃を開始。数億人が死亡した。
彼女は荒れ果てた大地に立ち尽くし、不満気に呟いた。
「足りない。まだ足りない」
タブレットを認めた桐埼は、顔を顰めた。
「俺たち、大量殺人鬼を作ってしまったんですか」
天音は理解できないという感じに肩を竦める。
「自殺しなければ何でも良いじゃないか。核爆弾で死んでも、地獄か天国に行けるんだから」
「先輩って……大事な感情が抜けてるんじゃないですか?」
やっぱり桐埼は生意気だ。
「桐埼くんが異常なだけだよ」




