救済の合奏(アンサンブル)
ヴィクターの指が深紅の鍵盤を叩くたび、広場を覆っていた重苦しいノイズが目に見えて剥がれ落ちていく。彼の奏でるピアノは、美しくも残酷なほど鋭利な「拒絶」の音だった。
「ミリル! 目を覚ませ! 貴様の音は、そんな薄汚れた男に捧げるためのものではないはずだ!」
「……っ、あ、あああああ!」
ヴィクターの音がミリルの意識を力ずくで引き戻そうとする。だが、その衝撃は闇に染まったミリルの心にはあまりに痛すぎた。
「無駄だ、ヴィクター。お前の音は正しすぎて、今の彼女には毒でしかない」
レオンが嘲笑いながらミリルの背後に手をかざすと、黒いパイプオルガンの幻影がさらに巨大化し、ヴィクターのピアノを押し返そうとする。
「ロゼア!」
ヴィクターがピアノを弾き続け、ミリルの闇を食い止めながら叫んだ。その額には汗が滲み、鍵盤を叩く指先からは、かつての古傷からか、血が滲んでいる。
「私には……今の彼女を『壊す』ことしかできん! 闇を切り裂くことはできても、その先の彼女を抱きしめられるのは、同じ地平に立つお前だけだ!」
「——ヴィクター!」
ロゼアは立ち上がる。震えていた足に、力が戻る。
ヴィクターがミリルの「闇」を抑え込んでいる今、ミリルを守る外殻は剥き出しになっている。
「ミリル……あんた、レオン様のおかげで幸せになったって言ったよね。でも、その音……全然笑ってないよ!」
ロゼアはタクトを構え、ありったけの魔力と想いを込めた。
「あんたの音に不安が混じってるなら、あたしの音で全部かき消してやる。あんたが『濁り』だって言うその音も、あたしにとっては最高のアンサンブルの一部なんだから!!」
ロゼアが奏でる旋律は、ヴィクターのような鋭い断罪の音ではない。
それは、夕暮れ、二人で練習した時間。一緒に食べたお菓子の甘さ。他愛もない会話。そんな「何気ない光」をすべて詰め込んだ、あたたかくも力強い黄金色の旋律だった。
「やめて……聴きたくない……。ロゼアちゃんの音が、入ってくる……っ!」
ミリルが頭を抱えてうずくまる。レオンが焦り、強引にタクトを振らせようとするが、ロゼアの音はミリルの心に直接、波紋のように広がっていく。
「おいで、ミリル! 帰ろう、私たちの場所に!」
ロゼアが放つ最後の一音。それはヴィクターのピアノの重低音に支えられ、真っ直ぐにミリルの胸へと飛び込んでいった——。




