絶望の独奏(ソロ)
「……なんか、変…」
ロゼアは独り、街の広場で足を止めた。
噴水の周りに集まる人々が、一様にうつむき、力なく同じメロディを口ずさんでいる。それはかつてミリルが好んで奏でていた清らかな曲のはずだったが、今は地を這うような重低音が混じり、聴く者の心をじわじわと削り取る「絶望の歌」に成り果てていた。
「この音……ミリルなの? 本当に……」
ロゼアがタクトを構え、その不協和音を打ち消そうとしたその時、背後の路地から、**鼓膜を圧迫するような不快な「唸り」**が漏れ聞こえてきた。
「無駄だよ、ロゼアちゃん。今の私の音は、もう誰にも止められないの」
「——! ミリル!?」
振り返ったロゼアは、息を呑んだ。
そこに立っていたのは、いつもと同じようでどこか違う魔女服を纏った、瞳から生気を失った親友の姿。そして、その肩を抱くようにして寄り添うレオンの姿だった。
レオンは勝ち誇ったような笑みを浮かべ、ミリルの耳元で愛を囁くように、しかし残酷な毒を吹き込んでいる。
「いいぞ、ミリル。もっと深く、お前の内にある『濁り』をさらけ出せ。それこそが真実だ。……ほら、あそこにいる凡夫には、お前の高潔な音など理解できまい」
「はい、レオンさま」
ミリルの口調からは完全に感情が消え、まるで冷たい機械が喋っているかのような無機質さを帯びていた。
「ミリル!? ミリル、どうしちゃったの……!? 」
ロゼアの声が震える。ミリルはゆっくりと顔を上げ、焦点の合わない瞳をロゼアに向けた。その唇が、微かに、陶酔したように綻ぶ。
「……ロゼアちゃん、私、レオンさまのおかげで、生まれ変わったの」
「え……?」
「ずっと苦しかった……。ヴィクターの期待に応えられない自分も、ロゼアちゃんの隣で濁っていく自分の音も。でも、レオンさまだけが、この濁りこそが私だって言ってくれたの。今の私は、今までで一番、自由よ」
ミリルの言葉は呪文のように滑らかで、不気味だった。レオンは満足げにミリルの髪を撫で、ロゼアに冷笑を向けた。
「どうした、光の御子よ。彼女は今、ようやく自分自身の『音』を見つけたのだ。ヴィクターという檻から、そしてお前という『眩しすぎる光』の影から逃れてな」
「黙れ……! ミリルを……ミリルを返せ!!」
「返せ、か。……ミリル、聞こえたか? 彼女はまだ、お前を自分の所有物だと思っているようだ」
レオンの言葉に呼応するように、ミリルの手元で黒水晶のタクトが「キィィィ」と金属的なノイズを放つ。
「……うるさい。私の音を聴こうとしない耳なんて、いらない」
ミリルの呟きと共に、周囲の空気が凍りつく。ミリルの背後に現れた巨大なパイプオルガンの幻影が、咆哮のような重低音を吐き出した。重力そのものが増したかのような圧力がロゼアを襲う。
「っ……、あ……」
声が出ない。ミリルの奏でる「音」は、もはや暴力だった。ロゼアは防戦一方となり、石畳の上を激しく弾き飛ばされる。
倒れ込むロゼアを見下ろし、レオンは満足げに目を細めた。
「さあ、ミリル。トドメのフィナーレを。お前を否定したこの世界を、お前の絶望で塗りつぶしてやれ」
その時だった。
闇の唸りを真っ向から切り裂く、鋭く、あまりに激しいピアノの旋律が響き渡った。
一音一音が弾丸のようにミリルの闇を弾き飛ばし、広場の中心に、深紅のグランドピアノが姿を現す。
「……そこまでだ、レオン。私の弟子をこれ以上汚すことは許さん」
その鍵盤を叩くのは、いつもの冷静な指導官ではない。
苛烈な闘志を宿した瞳でピアノを支配する、執行者としてのヴィクターだった




