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「きみ」を愛する王太子殿下、婚約者のわたくしは邪魔者として潔く退場しますわ  作者: 間瀬


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29 聖母マリア様のお使い

 授業が始まる前に留学生を教室に連れて行くため、わたくしたちは軽い顔合わせののち移動を開始いたしました。

 マティルド様とわたくしが先に立って歩き、道すがらに簡単な案内をしていますの。


「あちらの庭園に見える東屋(ベルヴェデール)は、放課後に生徒が多く集まる場所のうちの一つですわ。天気の良い日はお茶会や楽器の演奏会などを行っている姿がよく見られま」

「アリアンヌ様、助けてくださいぃ!」

「ふぇっ」


 不意に、ウエストのあたりに何かがドンッと衝突して参りましたので、耐え切れず間の抜けた声がもれてしまいましたわ……。


「しゃ、シャロウン男爵令嬢、どうなさいましたの……?」


 ナゼワタクシニシガミツイテイラッシャルンデスノ?

 あらいけませんわ、思わず思考停止をしてしまいそうになりましたわ……。


 他国からのお客様の前で醜態をさらしていることに内心大慌てですわ。

 とはいえ、これ以上の失態は許されませんので気を引き締めて動かなければなりませんわね。

 わたくしはやわらかい微笑みを浮かべ、わたくしの腰に回されているシャロウン男爵令嬢の腕にそっと手を添えましたの。

 彼女に見える角度に、たしなめるような圧をかけた笑みを隠しつつ……。


「む、むしが……虫があぁぁぁ!」


 ひぐっ、ひぐっと眦に涙を浮かべておびえる様子を見せる彼女の視線の先、スカートのひだには――


「まぁ」


 ――テントウムシが一匹。


「聖母マリア様のお使いですわね、今日はきっと良いことがありますわ」


 ふふふ、と思わず笑ってしまいましたわ。

 それにしても、欧州で広く幸せの象徴とされるテントウムシになぜここまでおびえていらっしゃるのでしょう?

 赤と黒を身にまとう、爪の先ほどの小さな小さなかわいい虫。

 なんとも不思議ですわ……。


 若干の違和感と疑念を覚えましたけれども、わたくしはそれを表には出しませんでしたわ。

 貼り付けた微笑みの裏に思案を隠し、そっと指先をシャロウン男爵令嬢のスカートのひだに添えましたの。


「さぁ、こちらにいらっしゃいな」


 そのまま数秒待つと、テントウムシはその細い足をわたくしの指先にかけ、そのままよじよじと登っていらっしゃいました。


「シャロウン男爵令嬢、もう大丈夫ですわ。安心してくださいまし」


 近くの植え込みにテントウムシを放してあげてから声をかけると、彼女は恐る恐るといった様子で顔を上げられましたわ。

 おびえたような光を宿した目には、涙がにじんでいらっしゃいました。


「あ、ありがとう、ございました……」


 頭を下げてから小走りで立ち去ってゆく彼女を見送っていると、半歩後ろで静観していらっしゃったマティルド様が小さく咳ばらいをなさいました。

 ナイスですわマティルド様!

 早く場を仕切り直さなければなりませんわね。


「お見苦しいところをお見せしてしまったこと、心より謝罪いたします」


 わたくしとマティルド様は、少し離れた場所で気まずそうにたたずんでいらっしゃった留学生の皆様に頭を下げましたわ。

 今回の件は大失態、由々しき事態ですわね……。


「そろそろ時間になりますので、教室に参りましょう」


 自然体を装って先に立って回廊を歩きつつ、わたくしは背後から向けられている視線の存在を強く意識しておりました。

 ……これは、誠に面倒なことになりましたわねぇ……。

18, 12, 2025

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