閑話1
僕、テオドール=トマ・ド・コリニーは――生まれて初めて、恋というものをした。
一目惚れだった。
そして、初めから、終わりが見えていた。
「もう、いつもの乗馬登校組は全員通過しましたよね?」
僕は近くにいる友人を捕まえて、問いかけた。
その日の空は雲一つなく、澄んでいた。
「あぁ、さっきのセザールで最後だ」
「では、もう門を」
閉めましょう、と続けようとした時、乾いた道の先に小さな影が見えた。
「……ん?」
乗馬登校してる子息は、もう全員門を通過しているはず。
よくよく目を凝らしてみると――
「門――まだ――閉じないでくださいまし!」
――それはそれは美しい、ご令嬢だった。
女神の化身ではないかと、本気で思った。
僕の家は軍人の家系で、だからこそ、幼い頃から剣だとか弓だとか鎧だとか、それから、馬だとか。
そういう、戦争で使う系統のものや技術には、それなりの目がある。
「あぁ?! って、おい、どこぞのご令嬢が馬で通学してきたぞぉ!」
「何だって?! 遅刻間際だ、早く開けてやれっ!」
「てか、ご令嬢が馬で通学するって見たことないんだけど!」
だから、本当に、心の底からびっくりした。
友人たちが右往左往している中、僕は一人、彼女から目が離せないままに佇んでいた。
――馬と、心が、通じている。
僕が惚れたのは、朝日に煌めく艷やかなローズブロンドでも、深海の雫を閉じ込めたかのような青い瞳でも、雪のように白い肌でも、今にも夢幻のように消えてしまいそうな儚げな容姿でもなくて。
彼女がまとっている、妖精のような不思議な雰囲気でも、隣を駆け抜けていったときに感じた、爽やかな風にのった蠱惑的な香りでもなくて。
いや、それもちょっとあるといえばあるけど。
一番は、彼女の、芸術のような馬術だった。
彼女は自然と調和――いや、自然そのものであるかのように、己の体の動きや呼吸はもちろん、彼女が騎乗している馬の躍動する筋肉も、微かに吹いている涼しい朝の風も、馬が足を動かす度に舞い上がり輝く砂塵も、全てを彼女自身が操っているかのような錯覚すら覚える。
周囲の自然を掌握している彼女の微かな仕草だけで、馬はその意を汲み取り、滑らかに動いていた。
心が、震える。
なんでか知らないけど、涙がこぼれそうになった。
「ありがとう存じますわっ!」
そう叫びつつ、まばゆい光の向こうから、全身を馬と共鳴させ、ダイナミックでありながら例えようもなく優美な動きで駆けてきた女性。
僕にとって、「ご令嬢」ではなくて「女性」として意識した人は、彼女が初めてだった。
別世界から抜け出してきたかのように、浮世離れした風情があった。
心臓が、抑えようもないほどバクバクと動いている。
彼女に聞こえているんじゃないか、そう思うくらい激しい鼓動に、恋を悟った。
耳まで真っ赤になって、気を抜けば「好きです!」と叫びそうになる口をきつく握りしめた拳で押さえた。
そうでもしないと、言葉が飛び出てきてしまいそうだった。
「はぁ?! ちょ、ギーズ公爵令嬢が馬?!」
友人のひどく動揺したような叫びで、彼女の名前を知り――そして、失恋を悟った。
とても短く、儚い、恋だった。
ギーズ公爵令嬢が王太子殿下の婚約者であることは、いくら貴族社会に疎い僕でも知っていた。
お二人が相思相愛である、ということも。
彼女の後姿が消えた後も放心していたら、鐘が鳴った。
僕は乗馬組の専用門の責任者を任されているから、別に、遅刻扱いにはならない。
でも、流石にそろそろ行かないと……。
名残惜しい思いで周囲を見渡した後、僕は門の鍵を預けに、守衛室へと駆け出した。
その途中で、ふと思い出し笑いをしてしまった。
――流石に、女性に対して「馬」はないでしょう、非常に失礼です……。
後で彼に会ったら叱っておこう、と心に決めた。
永遠に叶わないと知っても諦めきれない、そんな恋が、僕の胸に燻っていた。
燃え盛る熱い想いが、僕の心を焼き焦がし、満たしていく。
それが不思議と心地よくて、踊る鼓動に、生きているからこそ味わえる「しあわせ」を噛み締めた――。
27, 04, 2025