私のエッセイ~第三十九弾:マイ・サーフィン・ストーリー(その1)
こんばんは!いかがお過ごしでしょうか・・・?
今宵は、私の「ヘタの横好き」の趣味のひとつであります、「サーフィン」のお話の一発目です。
私は、1996年・・・そうですね、今から約26年前に波乗りを始めまして、ここ数年は「コロナ」の影響やら、仕事の疲れ、あるいは「車換えたから、以前のサーフキャリアが使えねぇ!」という事情もありまして、なかなか行けない状況ですね。
あとで詳しくお話しますが・・・私、いわゆる「ロングボーダー」なんですヨ。
でもね、皆さんご存知かとは思いますが、「ロングボード」って、値段が、たっけえの!
私、2本所有してるんですが、一本目が「ボブ・マクタビッシュ」というサーフボードの先端の方に、でっかい「M」の字のステッカーが塗りこまれた特徴あるもの・・・これ、18万です。栃木県の小山市で買いました。
2本目が、「ケニー・サーフサイド」という千葉の工房で削ってもらった、初めての「オーダーメイド・ボード」でしたが・・・こちらは、22万!!
実は、最初の最初に手にしたサーフボードは、中古の「ショートボード」でした。値段は・・・5万8千円でした!たけえ・・・。
では、一発目なので、今日はここらへんにしたいと思うのですが・・・サーフィンを開始した当時に、私がうれしくてしょうがなくて作った文章が残ってました。
今宵は・・・読み返すと恥ずかしいんですが、その「駄文」を紹介して、次のエッセイにバトンタッチいたします。
ここまでお付き合いくださいまして、ありがとうございました。 m(_ _)m
☆ ☆ ☆ ☆ ☆
1995年、サマーバケイション。
茨城県日立市の河原子海岸で、私は、日に焼けた一人の少年を見つめていた。
・・・トワイライトタイム。
沈みゆく夕陽を全身に受けながら、小さな板切れひとつで楽しそうに波の上を躍動する、その姿は・・・
その後、何ヶ月も、私の心を捉えて離さなかった。
そして、翌年の1996年夏。
私は、あの日見た少年と同じ「サーファー」として、再び、河原子海岸に立っていた。
目の前に迫り来る無数の波を眺めながら・・・しばし、あの日の少年に思いをはせ、無限にも感じられる、時のはざまの陶酔のさなかにいた。
ふと、我に返った私は、体の内からほとばしる、なんともいえない「興奮」・・・わきあがってくる「喜び」に身を震わせながら・・・波たちが踊る「ダンスパーティー」に身を投じていった・・・。
帰り道の車内・・・まだ興奮冷めやらぬ「熱狂的な宴」の名残と・・・全身を優しく包む、心地よい疲労感に溺れながら・・・立ち寄った道の駅「北斗星」の駐車場で、深い眠りに落ちてゆくのだった。
次の旅へと続く、長い長い物語の、楽しい「最初の1ページ目」をそっと閉じながら・・・。