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王立学園に入学してから一切外に出れていないニナを可哀想に思ったエリスは認識阻害の魔導具を購入した。これは事前に登録した者だけが装着者を認識できる仕組み。
ニナがこの魔導具を装備し、更に気配遮断の魔法を使用すれば、ほぼ人に認識されないことを証明すると時間は掛かったが外出許可が下りた。
「わーい、お出かけー」
この日の為に今月の仕送りを使わずに置いておいたニナがぴょんぴょん跳ねて喜ぶ。その喜びようにエリスも嬉しくなる。
「外出中、ニナは誰にも認識されないから私とはぐれないように」
「うん! ……あれ、もしかして今回出かけてる間中、他の人はエリスが一人でいるように見えるのかー?」
「そうね」
「えっ、じゃあ私と喋ってたらエリスはずっと独り言呟いてるやべー奴って思われる!?」
「まあ、そうなるわね」
「それは良くない。なるべく喋らないようにする」
両手で口を覆う仕草をするニナ。
「大丈夫よ、警備の騎士が近くにいてくれるから。そちらに向かって話しかけているようにも見えるでしょうし」
それに、誰にドン引きされようがエリスはニナが楽しければそれで良い。
「そうかー、じゃあちょこっとだけ話すー」
「沢山話してもいいのよ?」
「いっぱい話しながらのお出かけは卒業後にとっとくー」
「そう、そうね。そうしましょう」
卒業しても二人はずっと友達だ。二人で手を繋いで学園の裏門へ向かった。
□
生徒が外出する際は必ず騎士が同伴している。今回はいざとなれば破壊魔法を使えるニナが居るので騎士は一人だけ。
商業区に着いて様々な店を見て回ると時間はあっという間に過ぎて、気が付けば陽が傾いていた。秋が近づいていたので、暗くなるのは早い。
「門限に間に合わないくなるから帰りましょうか」
「うー、もうちょっとー」
そう言うニナに付き合ってギリギリまでエリスは付き合ってあげた。
少し暗くなってから帰りの馬車に乗る。近道だという人気の少ない通りを走っていた時、突然急停止した。車内が大きく揺れて座席から転げ落ちそうになったニナをエリスが咄嗟に抱きとめる。
何やら外の様子が騒がしい、騎士が声を張り上げてエリスとニナに馬車から出ないように告げる。しかし、すぐさま馬車の扉が乱暴に開かれて小汚い男が入ってきた。
エリスはニナを守ろうと庇うように抱きしめる。男はエリスの腕を掴み引き摺った。その瞬間、馬車内に魔法陣が展開され、男が鈍い音を立てて爆散した。
辺りに肉片と血液が飛び散る。男に腕を掴まれていたエリスはそれをかなり浴びた。美しい金髪が赤に染まる。
「に、ニナ……!」
エリスは腰が抜けてその場にへたり込む。ニナはそんな彼女を横に除けて外へ出た。
馬車の外では、衝撃を受けて固まっている爆散させた男の仲間とおぼしき者が三人。騎士を囲んでいる者が五人。御者にナイフを突きつけ脅しているのが一人。ニナはそれらを認識すると、必要な術式を瞬時に組み立てて無詠唱魔法を発動する。
次の瞬間、合計九人が人の形を失い肉塊となり地面に崩れる。先ほどの跡形も無くなった爆散よりは威力が低い為、ニナは不満げに顔を顰めたが、ふらりと体が傾くとその場に倒れてしまった。
「ニナ!」
エリスはすぐに駆け寄った。ニナは意識を失っているだけのようで、安心する。魔力が尽きたのだろう。しかし、すぐ別の不安が押し寄せる。
──ニナが十人も人を殺してしまった。襲われたとはいえ、過剰防衛と判断されても仕方がない状況だわ……。
そこへ、エリスと同じく血を浴びた騎士が近づいてくる。
「大丈夫ですか、クライス様、シェンテ様! お怪我は……」
「どうしましょう……! ニナが、ニナが罰せられてしまったら……!」
エリスはニナが学園を退学処分になったら、自分の前からいなくなったら、と思うと震えが止まらない。
十六歳という年齢で、おそらく初めて人が目の前でグロテスクに殺され、爆散した人間の肉片と血を浴びたというのに、それを気にも留めずひたすら友人が罪に問われるのを恐れる様は何とも異常だと騎士は思った。
□
「エリス様! ご無事で本当に良かった」
次の日の朝、リーゲルが第一女子寮の前で待っていた。
「殿下、ええ、ご心配おかけして申し訳ございません……」
答えるエリスは憔悴している。ニナの処遇についてだろうとリーゲルは推測する。
「大丈夫です。正当防衛が成立していると判断されるでしょう。いえ、確実そうなります。詳しくはお教えできませんが」
ただの一般生徒が十人も殺害したとなると大事だが、今回はあのニナだ。第一王子派にかかればもみ消せる。
「幸い、暴漢は全て死んでいますし、目撃者も少ない。今回は連れの騎士が全て処理したと発表されます」
「ですが、私たちに同伴していた騎士は一人です」
「大丈夫です。どうとでもなります。僕らは第二王子派の無能とは違いますから」
リーゲルは自信あふれる顔で告げる。権力で何でももみ消せることを自信満々で言うのはどうかと思ったが、エリスを安心させるためには必要だと考えた。
「そうですね、殿下がそこまで仰るのであれば、きっと……」
「ええ。エリス様が落ち込んでいてはニナ嬢も元気が無くなる。なるべく明るく見舞いに行ってあげて下さい」
ニナは魔力消費が激しかったので念のため今日は一日休むことになっている。
「はい、その通りですね」
エリスがやっと笑顔になり、リーゲルは安堵した。何となく二人で並んでニナの寮へ向かう。
「それにしても、破壊魔法は人に対して使うと魔力消費が激しいのですね」
校舎を何度爆散しても倒れなかったニナが十人爆散した程度で倒れたのは驚きだった。
「……ああ、エリス様は知りませんでしたか。確かに人に破壊魔法を使うのは魔力消費が少し多いですが、今回ニナ嬢が倒れたのは魔力減少の魔導具を身に着けているからです」
「え?」
「ニナ嬢は小さな耳飾りをつけているでしょう、あれは魔力が百分の一になる国宝級魔導具です」
エリスは絶句した。
「百分の一……?」
「ええ、百分の一。ニナ嬢はとてつもない魔力を保有しているので、その気になれば一日で学園全体を破壊できます。癇癪を起されては大変なので学園入学時、自ら外せないように呪いを付与して装着させたのです」
少し立ち眩みがしたエリスをリーゲルが支える。
「大丈夫ですか」
「ええ、大丈夫です」
エリスは、ニナのことをそこそこ貴重な人材なのだろうだと認識していた。それは間違っていた。とんでもない真材だったのだ。エリスが心配せずとも重要人物のニナは学園を退学させられることなどないのだろう。
□
第三女子寮のニナの部屋の前でエリスが扉をノックする。
「ニナ、体調はどう?」
「へいきー」
部屋の中から元気な声が上がる。扉を開けて中に入ると、ニナはベッドの上で布団に包まった白いパン状態のまま顔だけ出していた。
「今日、授業サボれるー」
白いニナパンが器用にぽいんぽいんと跳ねる。
「それだけ元気なら授業を受けた方がいいわ」
「ヤダー!」
ズボッと顔が布団に引っ込んでしまった。
「冗談よ」
エリスがクスクス笑うと、再び顔が出てきた。
「外は修羅の国!」
突然叫んだニナ。エリスが首を傾げる。
「修羅ってどいうこと?」
「学園の外っておっかないんだなーって。もうお出かけでしないほうがいいなー。十人以上居たら、今のニナさんじゃ爆散できない」
「大丈夫よ、これから外出する時はリーゲル殿下が一緒に来てくれると約束してくれたの」
リーゲルには一般生徒よりも多くの護衛が付けることができるのだ。
「ふぁああああん??」
それを聞くとニナが不満げに声を漏らす。明らかに今回の機の乗じてエリスとお出かけするチャンスを掴んだリーゲルへ心の中で冷たい視線を送った。
「そんなにむくれないの。リーゲル殿下は私たちを心配してくれているのよ」
「ぶー」
絶対エリスの心配しかしていないと確信しているニナだった。
□
第二王子ヴェインは荒れていた。愛しいルコットがエリスに虐げられていると知った彼はある計画を立てていた。
貴族の令嬢は暴漢に少し暴力を振るわれただけでも傷物になる。たとえ純潔を失っていなくともだ。
だから、エリスを襲わせて、少し怪我を負わせるつもりだった。だが、失敗した。連れの騎士が全て処理してしまったのだという。
滅多に学園から出ないエリスがやっと外出したというのに、折角の機会を無駄にしてしまった。
「そもそも、何故エリス一人に何人もの騎士が同伴していたのだ!」
ヴェインは椅子を蹴飛ばす。ここは寮の最上階、ヴェイン以外の入居者はいない。下も全部屋空室なので安心して大声と大きな音を出せる。
「もう伝手が無い……糞っ」
今回は第二王子が唯一持つ裏社会との繋がりを利用して、エリスを襲わせた。しかし、実行した者が全員死んだことで、もう依頼は受けないと告げられた。
上手くいけばエリスと婚約破棄できて、ルコットを婚約者にできたというのに、これでは手詰まりだった。
頭を掻きむしっていると、扉がノックされた。
「誰だ!」
「俺だよ~、兄上」
入って来たのは弟のリオス。
「何だ! どうした!」
「兄上さあ、今回の件指示したって?」
「何故それを!」
「この階来たら聞こえたよ」
「しまった……!」
許可なくこの階には上がれないがリオスは別だった。この計画は漏洩しないように側近にもリオスにも知られたくなかった。
「兄上さあ、こういうのは抱え込まずに俺に相談してよ。兄弟だろ」
「しかし……! 漏洩したら……」
「漏洩っていうなら、依頼した所からの方がやばいよ。今回十人も死んだでしょ? それに対して補償はした?」
「何だそれは、そんなのしていない!」
リオスはわざとらしく大変だと青褪める。
「それは不味い、ああいう連中は金が全てだ。損失を補填する為に、兄上が依頼したって情報を何処かに売る可能性がある」
「なっ、だが……もう連絡する手段が……」
これ以上接触してこないようとにヴェインの連絡手段は向こうから断たれていた。
「じゃあ兄上、知りうる限りの情報と証拠を纏めて、俺に渡して。俺がどうにかする。いざとなれば兄上じゃなくて俺が依頼したことにもできる」
「いいのか!? しかし、お前のせいになど……」
「いいんだ、兄上が王になって民に尽くしてくれるなら、俺は罪人になっても構わない」
「リオス……!」
感極まったヴェインが涙ぐむ。
「ああ、後、ルコット嬢と結婚したいのなら、こんなことしなくてもどうにかなると思うよ」
「何!」
「普通に婚約破棄したいって父上に言ってみると良いよ。あっさりエリスチャンとの婚約破棄を許可してくれると思う」
王は王太子指名争いを静観している。どちらに決めても文句が出るので、さっさとどちらかが失脚してほしいとさえ望んでいる。侯爵令嬢と婚約破棄して男爵令嬢と婚約するなどと言い出せば喜々として許可するだろう。
「そうなのか!? 確かに、流石の父上も人を虐げるような人間が王妃になるのは相応しく無いと思うか……しかし、クライス侯爵が……」
「第二王子派閥は大きくなったから、もうクライス侯爵家がいなくても大丈夫」
嘘だが、派閥について詳しく把握してないヴェインは鵜呑みにする。
「婚約破棄はギリギリまでクライス侯爵に黙って置けばいいし、全部エリスチャンの態度のせいにしたらエリスチャンを嫌ってる侯爵はそっちに怒りを向けるよ」
「そうか、お前がそう言うのであればそうなのだろう。ありがとう、リオス!」
「いいってことよ~、あー婚約破棄のタイミングは兄上が卒業する直前が良いと思うよ」
「わかった!」
リオスは微笑みながら、心の中で「面白くなるぞ~」とわくわくしていた。
□
「よし、これでいつでも好きなタイミングで兄上を失脚させられるな。第一王子派閥に恩を売れるし、何か上手くいきすぎて逆に怖えわ」
リオスはヴェインが依頼した組織を特定し取引をした。というより、一方的に言うことを聞いてもらった。現在はラースィ家を使って、その組織を監視下に置いている。
ラースィ家は元々あまり公言できない仕事を請け負うこともある貴族だった。先代からその役目を他に譲り、細々領地を運営するのみのとなっていたが、未だに裏との繋がりはあった。第二王子派閥がラースィ家を潰して、自分たちに都合の悪い諸々の証拠隠滅を図ろうとした時に、待ったを掛けたのがリオスであった。
「やっと殿下のお役に立つことができた……」
ディランはほんの少しでも恩が返せたと心の荷が軽くなったようすだった。
「いや、いつも俺の身の回りの世話してくれて助かってるぞ~」
そう言いつつも、こういう時の為にラースィ家を助けたリオスである。
「今すぐに、第二王子殿下を始末しないのですか?」
「始末ってお前、言い方~。まあ、もう少し泳がせておこうと思って」
婚約者を襲撃させたという事実があれば、これ以上は必要ない筈だった。ディランがあまり納得のいかない顔を浮かべる。こういうことは他に先を越されないよう、早く行動した方が良い。
「何つーか、もっと面白いことしてくれそうじゃん」
とにかく楽しいことが好きなリオスは兄とルコットが愉快に滑稽に踊るのを望んでいる。
「そういう所は悪い癖ですよ。殿下が良いと言うまでは何としても情報漏洩を防止しますが……」
「よろしく~」