5
季節は夏、次の学年合同パーティの時期が近づいていた。
「すみません、エリス様。今回もやはり私がエスコートすることは許可されませんでした」
空き教室の勉強会に顔を出したリーゲルが頭を下げた。ここ数ヶ月ですっかりエリスと親しくなったリーゲルは馬鹿な兄の代わりにエスコートし、パーティでエリスに恥をかかせないようにしたかったのだが、第一王子アルテオに相談した所「やめておけ」と釘をさされた。
「気になさらないで下さい。いつも一人ですから慣れています」
もとより期待していないエリスは全く気にしていない。
「お前王子の癖に役に立たないなー」
ニナがやーいと嘲笑う。
「こら、ニナ。殿下と呼びなさい、それにその発言は駄目よ」
これはいつも注意しているが、一向に直さない。ニナはリーゲルをお前としか呼ばない。だが、威嚇はしなくなった。
「ニナ嬢の言う通りです。友人一人助けられないとは不甲斐ない……」
「いいえ、殿下には助けられています。春のパーティではアレと軽い挨拶をするだけで済みました」
アレとはヴェインのことだ。ニナに知らせると爆散させに行きそうなので名を伏せている。
いつもなら嫌味を長々と行ってくるヴェインだが、リーゲルがエリスに近づくとすぐ去っていった。ヴェインは己より賢いリーゲルを苦手としているのだ。
「アレの態度の悪さを改善させるには至らず申し訳ありません……」
「アレってあれかー? いつもエリスに嫌味いってくるっていうバカ上級生かー?」
「そうです。本当に頭が悪くて、誰にでも喧嘩を売るんです。その点に関しては、おそらくミョー以下の知能です」
真面目な顔つきで解説するリーゲルにニナが文句を言う。
「そんな奴とミョーを比べるなー! ミョーに失礼だろー!」
「それもそうですね。すみません、僕が間違っていました」
「わかればよろしい」
そんな二人のやり取りを微笑ましく眺めるエリス。
エリスのその笑顔に見惚れて静止していたリーゲルはニナに軽く足を踏まれて意識を取り戻す。
「……ええと、今回もエスコートはできませんが、早く会場入りしてアレの動きを把握しておきます。エリス様に近寄りそうになったら、また散らしに行きます」
「ありがとうございます、殿下」
そう言って笑うエリスに再び見惚れたリーゲルの脛にニナが蹴りを入れた。
□
パーティ当日、会場にてリーゲルは顔に出さないが呆れていた。ヴェインがエリス以外の女生徒をエスコートして会場入りしたのだ。
──あのバカ、婚約済みの者が婚約者以外をエスコートするのはとんでもない非常識だと知らないのか? エスコートされた側の令嬢にもある意味傷が付くんだぞ……いや、同程度のバカならお似合いなのかもしれんが。
非常識なバカにエスコートされるのも、またバカである。これ以上ないほどお似合いといえる。だが、相手は第二王子である。断れなかったという点も考えられる。しかし、ヴェインにぴったりと身を寄せて腕に控え目な胸を押し付けている女生徒の様子から、断れなかった雰囲気ではなさそうだ。
女生徒は桃色の髪で小柄、可愛らしい顔立ちだが、あまり知性を感じられない顔つきだった。
──あのバカは、か弱くて庇護欲をそそる存在が好きだからな。おっと、自分より知能が低いのも絶対条件だったか。
ヴェインはずっと入り口付近にいる。おそらくエリスが会場入りしたら女生徒を連れて嫌味を言いに行くだろう、と思ったところでエリスが会場入り。案の定エリスに向かうバカ二人。
──ああ、想像通り過ぎて笑える。
笑いを堪えつつ、エリスを助けに行こうとすると、突然軽くぶつかりざまに馴れ馴れしく肩を組んでくる者がいた。それはリーゲルと同じ色を持つ、背の高い男。
「おい、リオス、何のつもりだ」
彼は第三王子リオス。リーゲルの双子の兄である。色こそ同じであるが、二卵性の為に少し顔が違う。リオスは垂れ気味の目を持ち、少し軽薄そうなでありながら整った美しい顔つきをしている。
リーゲルも整った顔には違いないが、双子の兄の顔と比べて幼い印象がある為、彼はそれがコンプレックスだった。故に双子の兄の顔を見ると機嫌が少し悪くなる。
リオスはそれを見透かしたように、へらっと笑い、
「何って、弟を見かけたからくっついただけだが~? 双子なんだから仲良くするべきだろう?」
「白々しい、お前が僕に構うのは僕の行動を邪魔する時だけだろうが」
「ええ~、そんな風に思われてたとか、お兄ちゃんショックだわ」
わざとらしく肩を落とす。
「あのバカ二人とエリス様を会わせてどうするつもりだ。何を企んでいる」
「いや~? 単に修羅場ってて、おっかないから弟を向かわせたくなかっただけだが~?」
「嘘つけ」
「ま~白状すると、実は兄上にお前を追い払えって言われてさあ」
そんなことだろうと分かっていたリーゲルは鼻で笑う。
「お前、あのバカと居てよく平気でいられるな」
「いや~? 実際一緒にいたら面白いぞ? アホな子ほど可愛いっていうだろう?」
リオスはヴェインがどうしようも無い馬鹿だと認識していながら、バカを傀儡にして甘い汁を吸おうとする第二王子派に属している。
「趣味が悪い、その上とにかく楽に生きようとする。碌な死に方しないぞ」
「ご心配なく~、お前を独りにしない為にお前より長生きするから」
「……虫唾が走る」
兄を振り切って、エリスの元へ向かう。なにやら騒がしい。例の女生徒が泣いている。そして、何やら怒鳴り散らしているヴェイン。彼の背後に立ち、肩に手を置く。
「ヴェイン兄上」
ヴェインは怒鳴るのを止めて振り返る、そこにはいつもと同じように微笑んだリーゲル。
「なっ、リーゲル!?」
「お連れの女性が泣いているではありませんか。兄上がやるべきことは人目を憚らず怒鳴り散らすことではなく、その女性を休憩室に連れて行って差し上げることでは?」
「い、今そうしようした所なのだ!」
慌てて女性の手を引っ張って去っていった。
リーゲルはエリスに声を掛ける。
「来るのが遅れてすみません、エリス様」
エリスの瞳は虚空を見詰めていた。
「エリス様……?」
そっと肩に触れてやっとエリスは目の前のリーゲルを見た。
「すみません、意識が自由の世界に旅立っていました……」
──あまりにもバカ過ぎる二人を相手して、体から心が出てしまっていたのか。おいたわしや。
□
エリスが会場入りすると、すぐさま女生徒を侍らせたヴェインが近づいてきた。
「おお、我が婚約者。紹介しよう、我が友人ルコットだ」
「初めましてエリス様。ルコット・シアーです」
初対面で家名でなく名前を呼んだということは、お前よりこちらの身分が上だと言っているのも同然。しかし、シアーはこの国で子爵のはず。外国の高貴な身分の方だろうとエリスは判断する。
「初めまして、シアー様」
「そんな、ルコットって呼んでください」
ルコットがわざとらしく恐縮する。
「高貴な方を親しくも無い私が呼び捨てする訳には参りません」
そう答えたエリスを見詰めて二人が固まる。
「え?」
「は?」
その声にエリスも固まる。
「お前、ルコットを子爵令嬢だと知って馬鹿にしているのか!?」
「いえ、先程の会話で外国の高貴な方だと判断したのですが」
「ルコットの言葉が訛っていると言いたいのか!?」
「酷い……」
涙ぐむルコットを抱き寄せ、エリスを睨みつけるヴェイン。
「そうではありません」
エリスは眩暈がしそうだった、まさかこの二人は、己より身分の高い者を許可なく名で呼んではいけないと知らないのかと。男爵令嬢のニナでさえ知っていたことだ。子爵令嬢が知らないはずも無い。
「私のお母さんが平民だから、私もこの国の貴族に見えないってことですか!?」
ルコットが泣きじゃくりながら大声を上げる。
「いえ、そうではな」
「何と愚かな! お前は外国の貴族は田舎臭くて垢ぬけていないと、そんな差別的思想を持っていたのか!」
説明しようにも、激高しているヴェインが言葉を被せてくる。これはもう何を言っても無駄だと、エリスは諦めた。目の前のあまりにも無知な二人に関わりたくなくて虚空を見詰めてしまう。
「ヴェイン兄上?」
ここに来てやっとリーゲルが現れたのだった。
□
「そのようなことが……」
エリスからヴェインたちとの会話の説明を聞いたリーゲルは額に片手を当てて天を仰ぐ。
「アレが知らない、というより忘れているのは分かるが、その子爵令嬢が知らないというのもおかしい。おそらくわざとでしょう」
「わざと?」
そんなことをして何になるのだと首を傾げてしまうエリス。
「エリス様を名で呼んで高貴な身分だと勘違いさせて、エリス様の失態を引き出させたかった。ヴェインの気を引くために」
「まあ……」
まさか、この世にヴェインの気を引こうとする女性が存在するなどと露程も思わなかった。
「気を付けて下さい、エリス様。また、子爵令嬢は貴女に接触してくるでしょう」
「そうですね……」
許可なく他学年の敷地に入ってはいけないので、ルコットが二年の敷地に押し掛けてくることは無いが、共用の施設がある学園中心部で遭遇することはあるかもしれない。
「何かあれば私に相談してください」
「ええ、ありがとうございます」
そう答えるが、共用施設を利用するたびにリーゲルに同伴してもらう訳にはいかない。気持ちだけ受け取って置く。
□
パーティも中盤にさしかかった頃、エリスの結った髪が少し崩れた。パウダールームで直そうと会場から離れる。休憩室やパウダールームへ続く廊下を歩いていると、休憩室の一室から出てきたルコットを見つけてしまった。気が付かないふりをして通り過ぎようとしたが、声を掛けられた。
「エリス様! さっきはごめんなさい、取り乱してしまって。エリス様はただ、婚約者の殿下が私なんかをエスコートしたのが気に入らなかっただけなんですよね」
「いいえ、特に何も思って無いわ」
「ええっ」
露骨に驚くルコット。
「だって婚約者でしょう? 他の女性が一緒にいたら嫌ですよね?」
「いいえ、全く」
ルコットはわなわなと震えて叫んだ。
「そんな……! 殿下が可哀想です! 酷い! 婚約者に興味を持たれてないなんて知ったら殿下が悲しみます! だから寂しくて私なんかに構ってるんですよ?」
「殿下と私はただ親の決めた婚姻だけの関係だから、お互い情は無いの」
「そんなんだと殿下が他の女性に取られますよ! それは困るでしょう!? 殿下が王様になったらエリス様が王妃ですよ!?」
「誰と親しくなろうと、婚約は王家と侯爵家の取り決めだから覆らないわ」
相手にするのに疲れたエリスが去ろうとする。しかし、袖を掴まれる。
「それじゃあ、殿下の人生があまりにも辛いものになります! 仲良くして、支えてあげようと思わないんですか?」
「私が支えなくても、きっと他の人が支えるわ。手を離して」
「それって、私みたいなのは殿下の情婦がお似合いってそう言いたいんですか!?」
話がいきなり飛躍して、エリスは心底うんざりした。ルコットに袖を掴まれたまま歩き出す。
「そうは言っていない。貴女は私の話をどうやっても勘違いするようだから、もうこれで話は終わり。あまりしつこいと警備の騎士を呼びます」
袖から手を離したルコットはそれ以上追って来なかった。
□
第三王子リオスは寮の自室にて、椅子の上で胡坐をかいて悩んでいた。
「う~ん」
「何か悩み事ですか?」
紅茶を淹れながら尋ねるのは、リオスの同学年にして唯一の側近ディラン・ラースィ。
「いや~、前から思ってたけど、第二王子派やめようかと」
「英断です。私はリオス殿下こそ王太子になるべきお方だと」
「前からちょいちょいそう言うけど普通に無理だからな?」
ある理由から、リオスは没落寸前だったラースィ伯爵家を援助した。それからというものディランはリオスを過大評価している。
「何かさ~、子供の頃からヴェイン兄上は扱いやすかったから、お飾り王に据えて俺は楽しようと考えてた訳よ」
煽てれば容易にコントロールできたヴェインを操って楽に甘い汁を吸おうと思っていた。
しかし、ヴェインはリオスより一年先に王立学園に入学して、リオスが傍に居ない内に、同学年の生徒を側近として勝手に採用していた。類は友を呼ぶと言うべきか、揃いも揃ってヴェインと同程度の知能ばかり。しかも、ヴェインはその気の合うバカを大変気に入り、彼らの意見を重視するようになっていた。リオスの一言よりも、バカ多数の言葉に耳を傾ける。これでは先も危うい。
「俺が常に兄上の傍にいる状態がよくなかった。そのせいで、俺も第二王子派閥のオッサンらも兄上の知能を見誤ってた。兄上は想像を絶する馬鹿だったんだ」
上手く手綱を引いている状態を馬鹿だと認識していた。手綱を引いていなければ超大馬鹿なのに、ずっと手綱を引いていたせいで本来の知能を認識できていなかった。
「仕方がありません。リオス殿下がご令兄を支えると決めたのは幼い頃です。失敗は誰にでもあります」
「まあな~、つーか途中で薄々そうじゃないかとは気づいてたけど、第二王子派閥のオッサンらの前では言えないよなあ」
第二王子派閥が出来る前、幼い頃のヴェインに「民の支持無き冷徹な父上の次は感情豊かな兄上こそ王になるべき!」と散々煽ててその気にさせたのはリオスである。今更「第二王子派やめまーす」と言って「はい、そうですか」とはならない。しかし、それなりの理由があれば話は別だ。
「兄上を失脚させられそうな機が巡ってきたんだよ。兄上がこれまた馬鹿な女を気に入ってな~。こいつの動き次第では何とかなりそうだ」
ヴェインがルコットという下級生に一目惚れに近い気に入り方をし、傍に置き出した。昼休憩と放課後に第三学年の敷地に呼び出して侍らせている。ルコットも最初は戸惑っていたが、王子と側近のバカにちやほやされて満更でもないようだった。
だんだん調子に乗ってきたルコットは、エリスと同学年のリオスにエリスのことを細かく聞いてきた。ヴェインの婚約者に失礼の無いようにしたいからだと理由を述べていたが、この時点でリオスは未来が予測できた。
学園全体に張られている誓約魔法によりニナのことを他学年に口外できないこともあり、「友人もおらず一人で過ごしているが、時々学園の中央図書館を利用している」と説明した。
そして、学年合同パーティではっきり判明したが、やはり予想通りルコットはエリスに味方がいないのをいいことに、エリスから苛められているなどと虚言を吐くつもりだ。
ルコットは現在同学年からやっかみで軽い嫌がらせを受けていたが、ヴェインには報告していなかった。パーティで揉めた後に、エリスの指示かもしれないと匂わせてヴェインに報告した。
ルコットは最終的にヴェインとエリスの婚約を破棄させて自分が後釜に座りたいのだろう。
「そうですか、しかし何故殿下はそこまでルコット嬢について詳しいのですか?」
「エリスチャンのこと詳しく聞いてきた時に、お、と思ったから、兄上にルコットの身を守るための魔導具だっつって、贈らせたんだよ。所謂盗聴器~」
そう言ってリオスは懐から魔導具を取り出した。それは受信機と記録の魔導具を連結させたもの。
「……犯罪ですよ」
「大丈夫大丈夫。実際持ち主の危険を察知した時に結界張る機能も付いてるし、盗聴も第二王子の寵愛を受ける令嬢を守る為っつったらいけるいける~。それに、ルコットと兄上が馬鹿やらかしてくれたら正当化できるから」
後にリオスの予測通り、ヴェインがやらかすことになる。