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 まかないのお菓子を与えるとニナはそれなりに喜んだ。


 お菓子を一口食べて、


「む、これは……甘味がそこはとなくお上品で……舌触りはそれとなくお上品で……つまりはしゅごく……お上品れす……」


 あまり口に合わなかったのかと聞くと、


「うまいっちゃあうまい」


 そう言って口いっぱいにお菓子を詰め込んで答えるので、嫌いでは無いようだった。リスのように頬を膨らますニナをみると和むエリスであったが、少し考える。王立学園の調理人は皆一流だし、食材も一級品だ。庶民のお菓子を作っても、上品に仕上がってしまうのだろう。


 ──今度、自分で作ってみようかしら。


 寮一階の端には生徒が使用できる共同キッチンがある。稀にいる平民の学生が使う程度でほとんど使用されていない。人目が無いので失敗しても恥ずかしくない。エリスは早速お菓子作りに挑戦することを決意した。


 お菓子作りに挑む理由はこれだけでは無かった。数日に一度の朝方、件の調理人──ルークと名乗った──がお菓子を届けてくれるのだが、対応に困っている。


 ──随分話好きなのよね。


 毎回自分の多趣味さだとか、何故自分が調理人を目指そうと思ったかとか、最年少十九歳で王立学園の食堂に採用されたのは自分だとかを一方的に話す。この長話に付き合わされて一度遅刻しそうになった。


 ──悪い人では無いのだろうけど……。


 好かれようと必死にアピールするルークだが、一切合切興味の無いエリスには逆効果なのであった。





 庶民向けの料理本と材料を揃えた次の日、エリスは早朝にキッチンでお菓子作りを始めた。本通りに作業すれば簡単にクッキーを作ることができた。エリスは器用に何でもそつなくこなすのだ。


「最初にしては上出来じゃないかしら」


 味見してみると素材の味が生かされた素朴な味がした。ニナの好みがわからないので、これを美味しいと思ってくれるか不安に思うエリス。


 ──ニナが好きな味では無いのにご褒美として出されたら、嬉しく無いわよね。


 ご褒美として与える前にニナにお菓子を味見してもらい、彼女の好みを把握しておこうと考えた。早速クッキーを包み、ニナに会いに行くことにする。


 一般教養科よりも少し豪華な魔法科校舎入り口にたどり着いてから、ニナのクラスを知らないことに気付く。道行く魔法科生徒に尋ねる。


「すみません、ニナ・シェンテさんの教室をご存じですか?」

「ああ、シェンテは第一クラスですよ。まあ、おそらく登校してくるのは昼頃でしょうが」

「え」


 詳しく聞くとニナは遅刻するのが常だという。


 午前中の授業を受けていないのなら、かなり単位を落としているだろう。ニナの卒業が心配になった。以前にニナから第三女子に住んでいると聞いていた。


 ──今からなら、始業に間に合うわ。少し様子を見てこよう。





 第三女子寮に着いて、一階にあるニナの部屋をノックしたが返事が無い。ドアノブを握ると回った。鍵は掛けていないようだ。そろりとドアを開けて声をかける。


「ニナ、居るの?」


 足を踏み入れた先はぬいぐるみが溢れている部屋だった。広げられたままの図鑑らしき本やおもちゃも床に散らかっている。そして、視線をベッドへ向けると、


「し、白いパン!」


 ぽつんと大きな白いパンがベッドの上に。いや違う、何かが掛け布団に綺麗に丸く包まれている。ほぼ確実に中身はニナである。布団をかぶってダンゴムシのように丸まっているのだ。


「なんて器用な寝方。ニナ、もう朝よ」


 優しく揺するが、反応が無い。少し強めに揺さぶる。


「ニナ、ニナ」

「む゛ーーーー」


 くぐもった不機嫌な声が上がった。


「単位を落とすと卒業できないわよ。居眠りしてもいいから授業は出てくべきよ」


 実際居眠りは良くないが、こう言わないと起きないだろうと判断した。


「む゛ーー。さっき寝たトコなのにー」


 白いパンがもぞもぞ展開され、目がショボショボのニナが顔を出す。


「さっき? 一体何時まで起きていたの?」

「む゛ーー、時間はわかんないけど陽が上ってから寝た」


 エリスは驚きつつ、ニナの布団を剥す。


「一体夜中に何をやっていたの」

「んー敷地内走ったり、木に登ったり……」

「何やってるの……」


 夜中に飛んだり跳ねたりしているニナを想像すると可愛いなどと思ってしまったが、自律神経の乱れから夜型になる場合があることを思い出す。悪化すると良くない。


「ニナ、今日は仕方が無いから授業を休んでも良いけど、今夜から眠くなくてもベッドで大人しくした方がいいわ」


 そうすれば、眠れなくとも体が休まると聞いたことがある。


「ぬー……、ん? 何か甘い匂いがする」


 すんすん鼻を鳴らすニナ。エリスは鞄からクッキーを取り出して彼女に手渡す。


「クッキーを作ったの。ニナの口に合うか試食して欲しくて」


 ニナが包みを開いてクッキーを一枚手に取りじっくり眺める。ウサギ型の可愛いクッキーを見詰める瞳はキラキラしていた。


「おーー、エリスが作ったの? すごーいかわいー」

「初めてだから、味はあまり期待しないでね」


 サクサクと食べ始め、目をカッ開いたニナは


「うみゃい!」


 そう叫ぶやいなや、すごい勢いで完食した。


「いつもご褒美に用意しているお菓子とどちらが好き?」

「エリスの」


 即答だった。これにはエリスの頬も緩んでしまう。


「そ、そう。なら、これからご褒美はこういう素朴な味のお菓子でいいかしら?」

「うん!」

「じゃあ放課後だけではなく、早く起きて授業を受ければ昼食のデザートにお菓子をあげるわ」

「わーい」





 次の日から朝、第三女子寮にニナを迎えに行くのがエリスの日課となった。ニナは眠そうながらも遅刻せずに登校できた。エリスの言った通り、授業中は居眠りしているが。


 昼食時に食堂で待ち合わせて、一緒に食事する約束もした。


「エリスーこっちこっち」


 ニナは一足先に来て、席を確保していた。エリスが昼食を乗せたトレイを運びながら近づく。ニナの前には何も置かれていない。


「ニナ、昼食は?」

「無い!」


 元気よく笑顔で答えるニナ。


「無いって、どうして」

「買う金が無し!」


 生徒の昼食は基本的に食堂で購入する。自分で作って弁当を食しても良い。


 ──そういえば、シェンテ男爵家はあまり裕福ではない。もしかしてニナは仕送りを貰っていないのかもしれないわ。


「ニナ、仕送りは……」

「毎月貰ったらすぐ使っちゃう!」

「え、ええと、何に?」

「ぬいぐるみとかおもちゃとか図鑑とか取り寄せる」


 そういえばそれらで部屋が散らかっていたのに気付く。


「お昼を抜くのはよくないわ、これで何か注文して来て」


 銀貨を数枚手渡す。受け取らずにじっと銀貨を見詰めるニナ。


「でも、今日からエリスがお菓子くれるよ?」

「お菓子を食事代わりにしてはいけません。食事は栄養を考えてバランスよく摂らないと。友人の不健康は見逃せないわ」

「んー、じゃあ遠慮なくー」


 ニナは銀貨を手にたーと食事を注文しに行こうとする。かと思いきや振り返り、


「エリスいつも色々ありがとー。エリスは優しいなー」

「いいのよ、友人なのだから」


 それにエリス自身、ニナに世話を焼いてやることに喜びを感じている。ニナには自分が必要なのだと、侯爵令嬢ではなく只のエリスを必要としているのだと、そう感じることができて得も言われぬ幸福感に包まれるのだ。





 季節は冬に移り、季節に一度の学年合同パーティが開催される日。


「今日は放課後に勉強会できないのよね……」


 パーティは正当な理由が無ければ欠席できない。友人との勉強会程度では欠席を認められない。憂鬱な気分になるエリス。


「なんでー?」

「今日は学年合同パーティだからよ」

「あれかー私が出ちゃ駄目なやつかー」


 ニナの存在は他学年、特に第二王子の学年に知られてはいけないので出席は禁じられている。


「なー、パーティってどんな感じ?」


 左右に揺れながら興味津々といった感じに尋ねてくる。どんな感じと聞かれても、成人後の社交界で恥をかかない為の練習である。わかりやすくニナに説明するならば、


「そうね……顔見知りに挨拶したり、踊ったり、談笑したり……」

「つっまんねー!」

「後は軽食が用意されていているから……」

「なんだと! 肉ある? 豪華? 美味しい?」

「そうね、パーティ用だから、いつもの学園の食事とは少し違ったメニューみたいね」


 食べたことは無いエリスだが、見た目や香りでそれくらいは分かる。


「肉料理は上品でもとにかく美味しいから好き。いいなーパーティ用肉……」


 少ししょんもりするニナ。なんだか可哀想だった。


「そのうちニナも参加できるわ」


 第二王子が卒業して、エリスたちが最高学年になれば許可されるはずだ。


「そうかー」





 放課後、学園の中心部にあるダンスホールに向かう前にニナがお見送りしてくれた。


「エリスいつも綺麗だけど今日はもっと綺麗ー」

「そう、ありがとう」


 腰まである艶やかな金の髪を結いあげ、瞳と同じ紫のドレスを着用しているエリスの周りを、ニナはくるくる回る。


「何かいつもと顔ちがう人多いけど、エリスはほぼそのまま?」

「ええと、お化粧をしているからね。私も一応化粧しているけど」


 通常は使用人など呼べないが、パーティの日はドレスの着用を手伝ってくれる人員と化粧師が用意されている。エリスは化粧が要らない程の美貌なのでいつもナチュラルメイクである。


「それじゃあ、行ってくるわね」

「いってらっさーい」


 両手を上げてふりふりするニナを残して、エリスはダンスホールへ。しばらく歩いた所で、振り返るとぽつんと残されたニナがまだ手を振っていた。何だか、後ろ髪が引かれる思いだが、仕方が無いと言い聞かせ手を振り返してから歩を進めた。


 ダンスホールに足を踏み入れるやいなや、一番会いたくない人物に遭遇してしまった。第二王子ヴェインだ。


「おお、辛気臭い顔の令嬢だと思ったら、我が婚約者ではないか。誰にもエスコートされないのは当然のことだが、友人も連れていないとは」

「お久しぶりにございます。ヴェイン殿下」


 内容は無視して、淑女の礼で挨拶する。


「お前のような暗い女は誰も相手にしてくれんのだろう。哀れだな。これで王太子妃が務まるわけが無い。お前などが婚約者でなければ、既に俺が王太子になっているだろうに」


 いつもの嫌味だ。反論せず、聞き流してこの場を去るべきだろう。しかし、エリスの心にふつふつと怒りが沸いてきた。初めてのことだ。


 ──第二王子がいるから、ニナはパーティに出席できない。そもそも一年の敷地からも出れない。それはこの人が居るせい。この人さえいなければ……。


 一人にしてきてしまった小さなニナの姿が脳裏をよぎる。目の前の人物が心底鬱陶しい。ヴェインの周りでニヤニヤしている第二王子派の取り巻きにも腹が立つ。


「いくら着飾ってもその冷徹さは隠しきれていない。見ていて気が滅入る」

「でしたら、私などに構わず、無視すれば良いだけのこと。何故わざわざ不快になりに来るのか理解できません」

「なっ」


 ヴェインは絶句する。


「それでは、失礼いたします」


 エリスはドレスの裾を翻し足早に去る。


 ──初めて言い返せた……。今までそんな気力も無かったのに。


 今迄はただ罵倒を受け入れていた。父に命じられたままに第二王子の婚約者として生きるしかないのだと何もかも諦めて、逆らうこともしなかった。それは生きていても心が死んでいたということ。


 エリスは慣れない行為に少し高揚していた。片手を頬に当てて少し息を吐く。


 ──言い返された殿下の間抜け面が笑えたから、少しスッとした気がする。


 ニナの存在が、自分の心を生き返らせてくれたのだろう。喜びも怒りも、ニナに関係することばかりだ。


 ふと軽食コーナーに目を転じる。肉料理がある。


 ──これ、余りを貰えないか、聞いてみよう。


 持ち帰ればニナはとても喜ぶだろう、想像して思わず笑みがこぼれるエリス。だが、残念ながら衛生的懸念から持ち帰りは許可されなかった。

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