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最初前日譚として投稿したんですが、最後つけ足して詳細版にしました。続編書くための個人的覚書側面が強いので、多分テンポ悪いです。最後以外はほのぼのなので、あまり期待せずにお読みください。
侯爵令嬢エリス・クライスは疲れていた。
父親は明らかにエリスを愛していない。只の駒だと思っている。エリスを見る目には何の感情も宿っていない。父親が愛情を注ぐのは後妻とその子供たちだけ。
父はエリスに「今まで育ててやった恩を返せ」と、いずれ王太子に担ぎ上げる予定の第二王子ヴェイン・クトス・イスカータの婚約者になるようにと命じてきた。これはエリスの母が亡くなった直後、エリスがわずか八歳の時のことである。幼いエリスは父の命に従う他無かった。
ヴェインに好かれるよう努力しろとも命じられたが、それは無理な話である。彼は最初からエリスを嫌っている。
ヴェインは幼い頃から公爵家の令嬢フィーネ・クローディオに好意を抱いており、彼女を婚約者にしたいと駄々を捏ねていた。
しかし、フィーネは隣国の王子の婚約者となり、代わりにヴェインの婚約者となったのはフィーネとは正反対のエリス。フィーネは可憐で天使の様な愛らしさで天真爛漫、一方エリスは子供らしくない落ち着きの少女あるだった。
初めて顔を合わせた日、ヴェインはエリスを見て「何だ! この陰気な女は! こんな奴が婚約者だとは認めん!」と言い放った。
周囲に王族は決められた相手と結婚するのが義務なのだと諭され渋々了承したヴェインは、散々エリスに暴言を吐き八つ当たりする。婚約者となったその日からずっとだ。このような態度の相手に好かれるなど到底不可能。
だが、ヴェインとの仲が険悪であろうと、彼が王太子に選ばれればいずれ王になり、エリスは王妃になる。その為の教育は受けなければならない。好きでも無い者の為に強制的に学ばされるのは単なる苦行である。
疲れている要因はそれだけでは無い。母が亡くなった一か月後に後妻に入った義母。彼女とも上手くいっていないのだ。
義母は事あるごとにエリスに嫌味を言ってくる。父に相談すると、義母はいずれ王妃になるかもしれないエリスの為に助言しているのだと開き直る。
やがて生まれた異母弟妹は、義母の言動から「エリスは侮って良い存在」だと認識している。両親に愛されているのは自分たちだけだとエリスを見下す弟妹は幼いながらも優越感を滲ませた醜悪な表情をしている。
そんなこんなでエリスには落ち着ける居場所というものが無かった。
しかし、一時的にだがこの環境から脱出できる十五歳になった。これで王立学園への入学ができる。
王立学園は魔力を有する貴族の子女が十五になれば通うことが義務付けられている教育機関。この国の魔力持ちは大半が貴族なので生徒の殆どが貴族であるが、稀に現れる魔力持ちの平民も入学することができる。
生徒の自主性を育てることを重んじており、全寮制で冠婚葬祭や緊急時を除いて実家への接触を禁止しているという、近隣の国の中でも珍しい学園だ。まあ、自主性うんぬんは表向きの理由で、実際は他の理由があるのだが殆どの者は知らされない。
といっても察しの良い者は気が付く。要は実家から切り離して自由を得たら馬鹿をやらかす子供をあぶり出す為。在学中の行動により子供たちの未来は決まると言っていい。
つまりは、この王侯でさえも例外では無い学園の規則により、エリスは実家から合法的に離れることができるのだ。卒業までのたった三年間の自由だが、疲れ切っていたエリスには有難かった。
一年先に入学したヴェインが在学しているが、学園は学年によって敷地が分かれているので滅多に会うことは無い。せいぜい季節に一回ある学年合同のダンスパーティで遭遇するくらいだ。整ってはいるが傲慢さが表れているヴェインの顔面を年四回見るだけで済むのだからありがたい。
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入学式を終えて顔見知りの令嬢との挨拶を済ませたエリスは寮へ向かう。春の暖かい風が心地よい。部屋に到着したら初めて昼寝というものを試してみようかと思案していた時。
陽光を浴びて煌めく銀の髪がエリスの眼前に広がった。この髪の持ち主が突然道沿いの植木から飛び出してきたのだ。
その者はエリスにぶつかりかけるが、咄嗟に避けた銀髪の少女は止まることなく「あ、ごめんー」と詫びながら全速力で駆けて行った。
直後、後方から複数の人間の足音。
「待て、ニナ・シェンテ!」
教師一人と学園警備の騎士三人が少女を追いかけて行った。
──あの子がニナ・シェンテ……。
珍しい平民の魔力持ちで、貴族の養子になって学園に通うことになった少女だ。
同い年のはずだがエリスよりもかなり幼く見える外見だった、それに入学初日に教師に追いかけられるとは何をしたのか、と首を傾げる。
──彼女が他学年に決して知らせてはいけないという特別な人物……そうは見えないけど。
ニナ・シェンテは第一王子アルテオを王太子にしたい派閥が、発見保護した類稀なる魔術の才能を持つ人物。彼女は第一王子派閥の末端であるシェンテ男爵家に養子に入れられた。
第一王子派閥は辺境と友好な関係を維持する方針で、魔族の国と隣接する諍いの絶えぬ辺境に優秀な魔術師を派遣している。その一環でニナは卒業後に魔法師団に所属し辺境へ配属になることが決められている。
だが、それを第二王子派閥に知られれば阻止される可能性が大きい。第二王子派閥は辺境について第一王子派閥と正反対の方針だった。いずれは辺境の武力を削って掌握するつもりなのだ。
大人が学生に接触し未来ある若者を青田買いするのを厳しく禁じている学園だが、学生が優秀な人物を自身の元へ引き込むのは許容している。
自分の家がどの派閥に所属しているかはどの子女も把握している。指示されずとも家の益になるように動くことはある。勝手にニナを第二王子派閥に引き込むかもしれない。
故に、第一王子派閥は学園と、ニナの同学年になる子を持つ第二王子派閥の家と、学園警備の騎士団に見返りを用意し、ニナの存在を秘匿する契約を交わした。特に第二王子ヴェインとその側近たちに知られぬようにと。
──契約には誓約魔術まで使用されているのよね。そうまでして派閥に置いておきたい人材だということ。
ニナ・シェンテは本当に只の平民だった。己の能力だけで国中枢の人物に認められた。
──本当に凄い。私とは大違い。
エリスは侯爵令嬢として、間違いなく満点だ。礼儀作法も貴族としての教養も完璧。学園入学前の試験でも上位。やろうと思えば何でもそつなくこなす器用な人間。
しかし、本当にそれだけだと、彼女自身が認識していた。
──私はそれなりに優秀なのかもしれないけど、突出した才能というものが無い。唯一無二で、価値のある特別な存在とは程遠い。珍しい第二王子の婚約者という立場だけど、私の代わりはいくらでもいる。私が第二王子の婚約者として相応しくないと判断されたら、クライス侯爵家と同じ第二王子派閥の家から新しい婚約者が現れるだけ。あのニナという子に比べたら、私は何て価値の無い人間だろう。
煌めく銀髪が脳裏によぎる。
──ああ、何て眩しい。そして、羨ましい。あの小柄な体には私などとは比べ物にならない価値が秘められている。
凡庸な自分は一生関わることがなさそうな人種だと、エリスは思った。
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エリスが思った通りニナとは入学式以降に接触はなかった。エリスは一般教養科でニナは魔法科なので接点がない。
よく教師や騎士に追いかけられていることと、貴族らしい振る舞いが一切できないことから、ニナは学園で浮いている存在だ。目撃しても、遠くから珍獣を眺めている気持ちで見る程度。エリスから特に声を掛けたりはしない。
だが、入学から半年が過ぎた頃に行われた全学科合同の課外授業にて偶然同じ班になった。
今回の合同授業内容は魔物の出現する森での気配遮断魔法の実技訓練だ。決められたルートを魔物に気付かれずに辿ることができれば合格。できなければ後日補習。
同じ班となった生徒と軽い自己紹介をしている最中、ニナだけは自己紹介せずに落ち着きなくキョロキョロしていた。特に誰もそれを咎めはしなかった。というのもニナは入学前からある意味有名だし、入学後は突飛な言動が目立っているし、いつも嫌いな授業を逃げ出して教師と騎士に追いかけられているので問題児として認識されている。
エリスと顔見知りの令嬢が溜息交じりに小声で、
「シェンテ嬢と同じ班だなんて不安しかありませんわ」
と呟くと、他の令嬢も同意する。
「森の中で突然暴れ出したりしないかしら」
「そもそもシェンテ嬢に気配遮断魔法という繊細な魔法が扱えるのでしょうか。彼女は魔力のまかせで威力が高いだけの大雑把な攻撃魔法しか使えないのでは?」
「ええ、私もそう聞いたことがありますわ」
その会話には加わらずにエリスは考える。
──確かにシェンテさんは変わった人。でも突然暴れるなんて粗野な行動をしたなんて噂は聞いたことがないわ。それに、攻撃魔法は単純に魔力を大量消費すれば威力が高くなるなんて単純な魔法ではないのに。
生徒総数の三分の一は一般教養科だ。この科では初歩的な攻撃魔法しか学ばない。高度な攻撃魔法について無知な令嬢はそれなりに存在する。エリスはいずれ第二王子妃になる教育を受けている為、高度な攻撃魔法が使えずとも知識としては学んでいた。ここで令嬢たちを窘めることもできたが「上から目線で偉そうに」と後で陰口を叩かれる光景が容易に想像できたので、エリスは居心地の悪さを感じながらも黙っていた。
エリスたちの班の順番が来て、一同は気配遮断魔法の用意をする。各々が呪文を詠唱して魔法を発動する中、ニナは無詠唱で足元に魔法陣を一瞬で展開する。これには先ほど不安を口にしていた令嬢たちも驚く。
無詠唱魔法は頭の中で複雑な術式を構築しなければいけない。己の魔力の循環スピードに沿うように脳内で術式を組み立てることで初めて成立する。術式組み立てが魔力循環より早くても遅くても発動しない。己の魔力循環速度と脳の情報処理能力速度を把握することで扱える高度な技である。
令嬢たちの感心の視線には何も反応せず、ニナはずんずんと森の道を突き進んでいく。慌てて一同も後を追う。
誰も一言も発せずににひたすら歩く。突然先頭のニナが足を止めて一方向を見詰める。
どうしたのかと皆がそちらへ視線を向けた途端、少し離れた藪から巨大な魔物が現れた。それは、とてもふわふわで神秘的な白い毛を持つ、くりくりとした目の愛らしいフォルムの──
「ミョーだ! ミョーがいる!」
「シェンテさん、刺激してはいけません!」
ミョーとはこの世界に存在する大型の魔物。愛くるしい外見に反して非常に獰猛で危険な生物である。ミョーに遭遇して一番やってはいけないのは視線を合わせること。敵と判断して襲い掛かってくる。
視線を合わせず、こちらから仕掛けなければ、ミョーは遭遇した者を取るに足らない路傍の小石だと判断してくれる。つまり見逃してくれる。獰猛だが、誰彼構わず襲うなんて知能の低いことはしないのがミョーだ。
「みょーきゃあわゅいいいいいいいい!!」
他の令嬢の制止も聞かずに、甲高い声を上げてニナはミョーに突撃する。唸り声をあげて鋭い爪を持つ前足を上げるミョーはニナを力の限り打ち払った。空中に投げ出されるニナ、切り裂かれた腹部から出た血飛沫が弧を描く、やがてべしゃりと音を立てて地面に落ちる。一瞬の出来事であった。
悲鳴を上げようとした令嬢の口を素早く塞ぐエリス。他の令嬢にも声を上げるなと視線で必死に訴える。
「えへへへ、痛いー。でもふさふさだった、でへへへ」
血を流して倒れているニナの表情は満足気だった。ミョーはニナをぶっ飛ばしたらそれで気が済んだのかフンッと鼻を鳴らした後、のしのしと去っていった。
ミョーが完全に視界から消えるとすぐさまエリスたちがニナに駆け寄る。
「シェンテさん、大丈夫ですか……!」
「多分大丈夫ー」
しかし、血はどくどくと溢れて止まらない。
「人を呼んできます!」
青い顔をした令嬢が駆けて行った。この授業は安全の為に等間隔に騎士が配置されている。
ここに生息するのは大人しい魔物が大半。ミョーは喧嘩を売らなければ大丈夫なので気配遮断魔法の授業に丁度いい森だった。今迄大怪我した生徒はいなかった。だから、通常通り回復魔法が使える教師は森の出口にだけ配置されている。まさかニナでもミョーに喧嘩は売らないだろうと教師は考えたのだった。
まあ確かに喧嘩は売らなかったが、突撃モフりはしてしまったという結果になった。
「うー、さむいー……」
ニナの顔からどんどん血の気が引いていく。傷はかなり大きいようでどんどん血が流れている。このままでは間に合わない、失血死してしまう。
「……!」
エリスは回復魔法の呪文を唱え始める。彼女の手から淡い光の粒が舞う。
「おりょ、回復魔法? めずらしーきれいーすごいー……」
死にかけているのに随分呑気なことを言うニナに答えず集中するエリス。実は回復魔法を使うのは今回が初めてだ。
回復魔法は聖属性の魔力を持つ者だけが使用できる。エリスは数少ない聖属性持ち。本来なら貴重な治癒術師になれたのだが、エリスを第二王子妃にしたいクライス侯爵は却下し、聖属性持ちだということをあまり口外しないように命じた。
しかし、エリスはこっそり回復魔法の指南書を手に入れて読み込んでいた。いつか困った時に使えると便利だろうと知識だけは詰め込んでおいたのだ。父にバレると叱られるため実践は出来なかったが。
回復魔法を使うと他の生徒に聖属性持ちだと知られてしまうだろう。だが、エリスは今ここで使わなければ一生後悔すると思うのだ。
光の粒はニナの傷口に集まり、そこで一瞬強く光ると消滅した。
「……おおー、痛くない!」
自分の腹部をぺたぺたと触るニナ。傷口は塞がっていた。それを確認したエリスは安堵で深く息を吐く。初めて回復魔法を使用したからか、魔力大量消費時特有の脱力するような疲労感を感じた。
「ニナさんふっかつ!」
立ち上がって両手を上げるニナだが、すぐにふらりとする。慌てて支えるエリス。ニナが小柄なので支えるというより抱きかかえる形に近い。何だかニナの髪からはお日様の匂いがした。
「あまり動いてはいけないわ。傷は塞がっても血は失っているから」
「そうかー」
ペタンと地面に座るニナに合わせてエリスも屈む。
「名前は?」
「え?」
聞き返すとニナはエリスを指差す。
「私? 私はエリス・クライスよ」
「綺麗な名前ー。クライスーありがとー助けてくれて」
ニナはにこりと笑う。血を失っているので青白い顔だが、花が咲いたような可愛い笑顔。エリスの胸に懐かしい何かが広がる。
──?
自分でも意味がわからずに胸に手を当てるエリス。
「どうしたの?」
キョトンとニナが問う。エリスは我に返り返事をする。
「……な、何でもないわ。それよりシェンテさん、他に痛い所は無い?」
「無いよー。それよりニナって呼んでほし」
「えっ」
キラキラとした緑の瞳で見つめられてエリスは戸惑う。
「に、ニナ?」
呼ばれるとにこにこ笑うニナ。エリスはきょとんとしてから再び胸に手を当てて首を傾げたのだった。