アイドル
爽やかな夏風が吹き抜ける。葉擦れの音に目を覚ますと、太陽は中天近くまで上がっていた。
「やばい!!今何時!?」
「ふむ、もうお昼時じゃな。」
「そんな・・・。学校完全に遅刻だ。」
走って疲れ切った後、そのまま眠り込んでしまったらしい。
これから学校にいかねばならないと思うと一気に憂鬱な気分になった。
「起こしてくれればよかったのに。」
恨みがましくいってみる。
「あまりにも気持ちよさそうに眠っていたもんでな。起こすには忍びなかったわい。」
フリードは飄々とそう言ってのけた。
立ち上がりうーんと伸びをする。体中の筋肉がこわばって痛みが走るが、不思議と心地よかった。
身体に力が戻っている。
「もしかしてなんか魔法使ってくれた?」
「回復魔法をちょっとばかしな。」
なるほど。道理で思ったより体が軽いわけだ。回復魔法なしだったらきっとまだ動けなかっただろう。
「どれ、じゃあ帰りも走るか!」
「えっ、うそでしょ!?」
僕の必死の抵抗もむなしく、フリードはさっさと走り去ってしまった。
「ぜい、ぜい」
今度は床に倒れこみ必死にあえいでいる僕を、母が冷たい目で見降ろしている。
「あんた、朝早くに出ていったと思ったら、学校も行かずになにしてんのよ。」
僕は呼吸するのに必死で、弁解の言葉も出てこない。
「ほら、いつまでも突っ伏してないで、さっさとシャワー浴びて準備しなさい。ご飯は用意しておくから。」
そんなこんなで、慌ただしく家を追い出され、僕はとぼとぼと学校へと向かった。
僕はクラスでなるべく目立たないように生きてきた。なにか目立つことをして、いじめの標的にされるのがいやだったからだ。まあ目立たないようにしてても標的になってしまったんだけど。
これ以上立場を悪くしないために、目立つことはなるべく避けたかった。
「はあ。」
学校へ向かう足取りが重い。こんな時間に登校してきて、クラスのみんなになんて思われるだろうか?
井出の憎々しい顔が思い浮かぶ。僕をいじめてくるクラスの中心人物。
きっと奴は何かしらいちゃもんをつけてまた僕を物笑いの種にしてくるだろう。
休み時間の隙を利用してなるべく気配を殺しながらそっと教室に入る。
さも最初からいたような風を装いながら、さっと荷物を片付けた。
良かった、誰にも注目されていない。
そうそっと胸をなでおろした矢先、唐突に声をかけられた。
「アキラ君遅刻?珍しいね。何かあったの?」
「えっ、あっ。」
突然のことにびっくりして声が出ない。あわあわを不審な動きを繰り返す僕を、彼女の大きな瞳が見つめていた。
常坂里穂。偏差値が低く、不良どもが幅を利かせているようなうちの高校にあって、あまりに不釣り合いなほどの明るさと天真爛漫さを備えた美少女。
透き通らんばかりの白い肌とよく動く活発なクリクリとした瞳。黒く艶のある髪は、流行のパーマなどかけずきれいにすとんと肩まで落ちている。
そして何よりその気取らない気さくな性格。不良とも真面目な子とも分け隔てなく付き合う姿から一部では聖女とまで言われている。
僕のような目立たない生徒から絶大な人気を誇る女神であり、学校のアイドルであった。
そして、その子は僕が長らく片思いしている子でもある。
はじめてあったのは高校2年生の時。同じクラスになった当初は可愛い子だなくらいの印象しかなかったのだが、隣の席になり英語の授業でペアを組んだ時に、彼女の瞳に吸い付けられてしまった。僕は授業そっちのけで彼女ばかり見つめていたような気がする。
その日以降、僕の中で彼女の存在が消えることはなかった。
もちろんそんなアイドル的な彼女に話かけられるわけなんてない。僕にできることは遠くから見つめることぐらいだ。
ただ、それだけで幸せだった。彼女を見ているだけで、灰色の僕の学園生活に光が差したような気がしていた。
結局ほとんど言葉を交わすこともないまま3年生になりクラスが分かれてしまったのだけれど。
そんな憧れの彼女がなぜか今目の前にいる。しかも自分の名前を覚えてくれていたという事実がうれしかった。
固まったまま言葉を返さない僕を、彼女は不思議そうに見つめていたが、やがて何か納得したらしく「まあそういう時もあるよね!」と明るく言い放って笑った。
そんな彼女のやさしさに救われる。普通だったら変なヤツ、気持ち悪いと思われて終わりだろう。なぜこうも美しい心を持てるのだろうか。
そんなとりとめのない思考をしていると、胸ポケットがガサゴソと動き、フリードがひょっこり顔を出した。
「・・・・・・・。」
固まって見つめあう俺と彼女。
えっ、えっ、何してんの。内心パニックになる。いや、絶対出てこないから連れてけって約束じゃん。何普通に出てきてんの!?
「かわいい!!!」
教室に彼女の声が響き渡る。皆が何事かと僕たちの方を向く。周囲の視線が痛い。僕は逃げ出したくなった。